3-reforms

3つの改革は必然だった 財投・郵貯・政策金融改革の経緯と現状

前回は、郵貯・資金運用部の歴史と郵貯シフトの要因 郵貯の経済分析についてまとめた。ここでは、3つの改革は必然だった 財投・郵貯・政策金融改革の経緯と現状について解説する。

1 財投改革

従来の行政改革においては、財投システムに対して問題意識はあまりなく、現状維持を容認するものだった。財投システムとは、郵政の郵便貯金を主たる原資として、政策金融機関や特殊法人に資金を流して、政策融資や公共事業などを行うものである。

しかし、、1990年代の行革の動きとともに、財投システムの問題も注目されるようになった。その後、行革会議が郵政3事業の民営化を見送るとともに、郵政3事業の公社化、郵貯の自主運用の動きと呼応して、1997年11月、旧大蔵省資金運用審議会懇談会は、財政投融資の抜本的改革について「今後の財政投融資の資金調達のあり方としては、①財投機関債(政府保証のない特殊法人債券)、②政府保証債(政府保証のある特殊法人債券)、③財投債(国の信用で市場原理に基づいて一括調達する債券)が考えられる」と取りまとめた。

さらに、1999年12月、大蔵省が財政投融資制度の抜本的改革案(骨子)を打ち出した。2001年度から郵貯は自主運用に移行し、財投システムは原則として必要な資金量だけ財投債の発行により資金調達を行うようになった。

 

2 郵政民営化

郵政をめぐっては、昔から銀行界と郵貯の間で「郵貯100年戦争」といわれるものがあった。それに対応して旧大蔵省と旧郵政省の間でも、郵政資金の管理運用についての論争があった。

郵政民営化が政治の舞台に上がったのは1995年9月の自民党総裁選挙である。圧倒的多数の支持を得た橋本龍太郎の立候補に対して、郵政民営化を持論とする小泉純一郎が挑戦した。結果は橋本が勝利したが、1996年にスタートした橋本行革で、郵政事業の民営化議論が大きな山場を迎えた。全国的な反対運動が展開された結果、1997年12月の最終報告では「3事業一体、全国ネットワークという国営の公社」「公益性に企業性を取り入れた国営の公社」という基本的な方向が決定された。

郵政民営化が本格的な政治課題になったのは、2001年4月、小泉政権になってからである。2003年4月、すでに予定されていた日本郵政公社が発足し、初代総裁に正田正治(商船三井会長)が就任した。2003年9月、小泉首相は第157回国会において所信表明演説を行い「今後、国民的議論を行い、日本郵政公社の中期計画が終了した後の平成19(2007)年から、郵政事業の民営化を実現します。このため、来年秋頃までに民営化案をまとめ、平成17(2005)年に改革法案を提出します」と宣言した。

その後、自民党においても「郵政事業改革に関する特命委員会」(村井仁委員長)が設置され、検討が行われた。一方、経済財政諮問会議でも議論を進め、2004年4月に「郵政民営化に関する論点整理」、9月に「郵政民営化の基本方針」を決定した。

郵政民営化の理由は「だから、今民営化」の冒頭に小泉首相が自ら書いたとされる文章によれば、①資金の流れを変える、②よりよりサービス、③公務員削減、④財政貢献である(「どうすれば民ができるかを考えてほしい」 小泉政権の舞台裏参照)。

 

3 特殊法人改革・政策金融改革

特殊法人改革

1983年第2臨調第5次答申で、特殊法人改革が取り上げられ、その後断続的な議論は行われてきたが、1995年2月「特殊法人の整理合理化について」を閣議決定してから議論が本格化した。また、1997年6〜12月に具体的な特殊法人の整理合理化として「特殊法人等の整理合理化」の第1次〜第3次分が決定された。

その後、各省庁で具体化が行われ、2005年1月までに全163の特殊法人等のうち135法人の組織形態が見直された。その結果、廃止15法人(石油公団、簡易保健福祉事業団、日本育英会など)、民営化等39法人(東京地下鉄㈱、成田国際空港㈱、道路関係4公団など)、独立行政法人化39法人(国際協力機構、水資源機構、農畜産業振興機構など)、共済組合として整理45法人(日本たばこ産業共済組合など)となっている。

 

政策金融改革

従来、政策金融についてはあまり見直しが行われてこなかったが、小泉内閣では財投改革の実施を受け、特殊法人改革とともに2002年度から政策金融改革にも着手した。ただし、政策金融機関のうち住宅金融公庫については、2001年12月に閣議決定された「特殊法人等整理合理化計画」に基づき2006年度末までに廃止し、新たな独立行政法人を設置するとされた。

一方、経済財政諮問会議では、2002年10月に政策金融改革の基本方針を提示し、12月には改革達成への道筋やあるべき姿の実現を取りまとめた。この基本方針を受けて、2002年末に改革案(「政策金融改革について(案)」)がまとめられた。また、この改革案ではすでに政策金融の規模と組織のあり方についても言及された。

同年11月、経済財政諮問会議は「政策金融改革の基本方針」をまとめ、同時に政府・与党政策金融改革協議会においても政府・与党合意「政策金融改革について」がなされた。それらを踏まえて、同年12月「行政改革の重要方針」の一部として政策金融改革は決定された。

 

最後に

財投改革、郵政民営化、政策金融改革は郵政民営化の流れから始まった。資金の入口である郵貯・簡保、資金の出口である政策金融機関・特殊法人、それらをつなげる財投システム。どれか1つを改革すれば、すべてに影響を受ける。資金の流れはつながっている

次回は、ガバナンスと金利に問題あり 米国の先行改革や他国に学ぶ財投改革についてまとめる。

財投改革の経済学


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>