911memorial

ジェイク・バートン あなたの博物館

「2001年9月11日に世界貿易センターが崩れ落ちたとき、あなたはどこにいましたか?」ジェイクは語りかける。ここでは、65万ビューを超える Jake Barton のTED講演を訳し、9.11記念追悼博物館の様子と参加型展示プロジェクトを紹介する。

要約

2001年9月11日に世界貿易センターが崩れ落ちた時、世界の3分の1の人々がその様子をテレビで見ていました。その24時間以内には、更に3分の1の人々がそのニュースを耳にしました。(その時あなたは何処にいましたか?)まもなく開館する「9.11記念追悼博物館」は、その日世界が経験した様々なものを映し出します。デザイナーのジェイク・バートンは、感動的な講演の中で、記念追悼博物館の様子と共に、博物館来館者による参加型展示プロジェクトを紹介します。

Principal of the New York media design firm, Local Projects, Jake Barton creates interactive and digital exhibits for the likes of the 9/11 Memorial Museum, Cleveland Museum of Art and Storycorps.

 

1 私たち一人ひとりに文学がある

これはチャーリー・ウイリアムズです。この写真が撮られた時 94歳でした。1930年代にルーズベルト大統領が 橋やインフラやトンネルの建設で 多くのアメリカ人の雇用回復をさせ ― その一方 アメリカ一般市民の話を 記録するため 数百人の 記録者を雇うという 面白い事もしたのです。貧しい小作人のチャーリー・ウイリアムズは 普通なら 重要なインタビューの対象にはならないでしょうが 実は チャーリーは22歳までは 奴隷だったのです。彼の人生について記録された物語は 元奴隷の実体験を紡いだ 歴史上 最も貴重な 記録の1つです。

アンナ・ディーヴァー・スミスの有名な言葉ですが “ 私たち一人一人に文学があります ” 三世代を経て 私は あるプロジェクトに参加しました。『StoryCrops』は 一般のアメリカ人の 話を聞き集めるもので 公の場に 防音のブースを設置しました。このアイデアは とてもシンプルで ブースに入り自分の祖母や親戚を インタビューするというものです。インタビューの記録は米国議会図書館へ送られます。1つのインタビューごとに国の口頭歴史記録となるのです。ここで質問ですが皆さんの祖母と 45分だけ一緒に居れたなら誰を思い出したいですか? 創始者のデイヴィッド・イサイとの会話で面白いのは このプロジェクトは少し危険だと いつも話していました。というのは 考えてみると 実際 話される内容がどうのというのでなく 聞き方がキーなのです。そこで尋ねられる質問は 他では聞けない様な質問であったりするのです。このプロジェクトの一部をお見せしましょう。

 

2 飛行機、ラジオ、指輪…

[ ヘスス・メレンデスが語る詩人ペドロ・ピエトリの最後 ]ヘスス・メレンデス:私たちの飛行機は飛び立ち 水平飛行になる 1万4千メートル上空に到達する前から ペドロは少しずつこの世を去って行ったのです。その美しさとは この世を去っても何かあるのだと信じさせられた事です。それをペドロに見出しました。

[ ダニー・ペラサから結婚26年になるアニー・ペラサへ ]ダニー・ペラサ:実は いつも「愛してるよ」と君に言うのは 悪い気がするけど いつも忘れないで欲しいからなんだ。こんなに くたびれた私から出てくる言葉だから 壊れたラジオから綺麗な歌が聞こえてくる様なものだ。でも そんなラジオを家に置いていてくれるなんて優しいね(笑)

[ マイケル・ウォルメッツと彼女のデボラ・ブラカーズ ]マイケル・ウォルメッツ:これは父が母にあげた指輪なんだ。今は ここに置いておこう。父はこれを買うためにお金を貯めて この指輪で 母にプロポーズしたんだ。これを君にあげたいと思う。これで父も僕達と一緒に居れるから 君もマイクに出てごらんデボラ。どの指に着けたらいい? デボラ・ブラカーズ:(涙) デボラ結婚してくれる? ええ勿論よ 愛してるわ (キス) 子ども達よ こうやって君達のお母さんと結婚したんだよ。グランド・セントラル駅のブースでおじいちゃんの指輪を持ってね。僕の祖父は40年間タクシーの運転手で 毎日ここで人を乗せていたので ここが ふさわしい気がしてね。

 

3 「聞く」という愛の行動に基づいたプロジェクト

断っておきますが 何もお涙頂戴の話ばかりを選んだのではありません。どれも感動的なんです。このプロジェクトは「聞く」という愛の行動に 基づいています。会話の ある部分を取り出して 聞くという行為を作品にするのは私の会社である 『Local Projects』が 実際に良くやっている事です。メディア・デザインの会社で 様々な機関と一緒に博物館や公共の場所で メディア・インスタレーションを行っています。

最近の仕事はクリーブランド美術館で 『Gallery One』というものを作りました。『Gallery One』は面白いプロジェクトで クリーブランド美術館の3億5千万ドルをもかけた 拡張事業と共に始めたので 私たちのプロジェクトで 新しい可能性を広げて利用者を増やし 同時に 美術館も発展してくれればと考えました。ニューヨーク近代美術館(MoMA)館長グレン・ローリーが うまく表現しています 「来館者は お客さんに留まって欲しくありません。その場限りの訪問者でなく住人になって自分の場所だと 感じて欲しいのです」

 

4 来訪者に住人になったように感じてほしい

私たちがやっていることは 人々が 実際にギャラリー内の 作品にかかわれるよう様々な方法を提供します。昔ながらのギャラリーもありますが もし興味があれば1つの芸術品に的を絞って どのような所で使われたかその背景を見たり 作品で遊んだりできます。例えば このライオンの頭はクリックできます。ここは紀元前1,300年前を再現したもので こちらの作品は 寝室を覗いてテンペラ絵画についての 考えを 大きく変えてくれます。これはアトリエが見れるので私のお気に入りの1つ ロダンの胸像です。素晴らしい工房を感じ取れます。文字通り 人類の何百何千年もの 創造の歴史について考えさせてその作品が どうやって その物語の一部になったか教えてくれます。これはピカソです。20世紀芸術をまさに体現しています。

 

5 私たちの顔が数千数万年の歴史と繋がる

次にお見せするインターフェースは この種の創造性を利用したものです。顔認識で博物館の貯蔵品を閲覧できるのは アルゴリズムのお陰です。この人は色々な表情を作っていますが その表情に繋がる様々な作品を 美術館の所蔵品から見せてくれます。皆さんご想像のとおり来館者が博物館内で演じ 感情の繋がりを感じとることができます。この様にして 私たちの顔が数千 数万年の 歴史と繋がるのです。このインターフェースは描いた形から 同じ形を持つ作品を 見つけてくれます。私たちは人々が館内で お互いのしている事を見て理解し 創造的に何かを生み出せる そんな方法を増やそうとしています。

この展示品の壁には 3千もの作品を全て同時に見ることができます。自分で館内のツアーをデザインし 他の人とシェアする事が出来るので 館長に案内してもらう事も出来るし 親戚の子と見て回る事も出来るのです。私たちはクリーブランドの 仕事をしている一方で これまでで一番大掛かりな プロジェクトにも従事してきました。それは9.11記念追悼博物館です。

 

6 「9.11記念追悼博物館」プロジェクト

2006年に Thinc デザインチームの一部として 博物館の基本計画の原案を作り 博物館と記念碑の 全メディアデザインとメディア制作をしました。記念碑は2011年 博物館は来年の2014年に開館します。この写真から見れるように 生々しく歴史を物語っています。もちろん この惨事は最近のもので 歴史と現代の間の出来事です。この空間にどうやって応えるか この様な惨事をどのように伝えるかは 想像するだけでも大きなチャレンジでした。

それで2009年に始めた 『Make History』というプロジェクトをもとに 記念館と それに関わるプロジェクトを立ち上げる 新しいアイデアから始めました。世界の3分の1が 9.11を生放送で見て 残りの 世界の3分の1が 24時間以内に事件を知りました。この事件によって全世界の人々が 同じことを認識した前代未聞の瞬間となりました。それで世界中からこれに関する話を ビデオや写真や 記録文書を通して 集め始めました。その日 人々が経験した事 つまり最初のステップをオープンフラットフォームにする事は 私たちにとって 実は大きなリスクだったのです。しかし口頭歴史ブースと連結させて自分の居場所を 地図で確認出来る とてもシンプルなものにしました。6ヶ国語であの日 自分に起こった出来事について 話すことができます。世界中から驚く様な写真や ストーリーが 集まって来た時 ― こちらは着陸装置の一部ですね ― 私たちは 事件そのものと 人々の事件についての伝え方そして そう伝えなければいけない 必要性についての驚くべき酷似点を 理解し始めていました。

 

7 「息子の最後の写真」

特に この写真はその当時 私たちの注意を引きました。あの事件を如実に物語っているから ブルックリン ・バッテリー・トンネルからの写真で 交通渋滞で立ち往生した消防士は 現場まで約2キロの 距離を走っています。背中に30キロもの装具を背負ってです。その後 驚くべきメールを受け取りました。「このサイトで何千枚もの写真を見ていて 思いがけず 息子の写真を見つけました。胸が詰まりましたが見つけられて幸運でした」 なぜなら彼は 「これを投稿してくださった写真家に ― 感謝します。これが たぶん息子の最後の写真だと思うと 言葉では とてもその気持ちを 言い表すことができません」と書いていたからです。

この歴史を伝えるには 私たちが設立するものはどうあるべきかを 考えさせられました。歴史の証人台に立たされる人が 実際に この博物館を訪れるのに この様な出来事を第三者である 歴史家や展示関係者だけが 語ることはできません。

 

8 『私たちは覚えている』

そこで 私たちは クリエイティブ・チームメンバーとキュレーターと共に 来館者が館内で耳にする最初の声に 共鳴するという構想を始めました。『私たちは覚えている』と言うオープニングギャラリーを デザインしました。試作品を お聞かせしますが 実際に そこに足を踏み入れると 歴史のあの瞬間に引き戻される 感覚がお分かりになると思います。

(ビデオ)声1:ハワイのホノルルにいました声2:エジプトのカイロにいました。声3:パリのシャンゼリゼにいました声4:カリフォルニア大学のバークレー校にいました。声5:タイムズスクエアにいました声6:ブラジルのサンパウロにいました(複数の声)声7:多分 夜の11時頃でした。声8:仕事に向かう車の中で現地は朝の5時45分でした。声9:会議中だったんですが 誰かが飛び込んで来て 「大変だ! たった今旅客機が世界貿易センターに突っ込んだぞ」声10:慌ててラジオをつけようとしてました。声11:ラジオで聞いて・・・。声12:ラジオで聞きました(複数の声)声13:父からの電話で知りました声14:電話で目が覚めました 私のビジネスパートナーがテレビをつける様にと言ったのです。声15:それでテレビをつけました。声16:イタリアのテレビ番組はどこも同じ映像を流していました。声17:ツインタワー声18:ツインタワー

 

9 1年間ハドソン川の水圧に耐えた遮水壁

ここから 広い大洞窟の様なスペースにいざなわれます。これが遮水壁と呼ばれる物で 世界貿易センターの地下から掘り出された壁です。9.11以降 1年間ハドソン川の 水圧に持ちこたえました。そこで私たちは これを展示する事によって あの瞬間が実際にあったのだと 感じられる様にしました。同じオーディオコラージュを利用して ビル内の様子も紹介しました。人々が旅客機が激突する様子や 階段を下りていく様子を話す内容を 聞くことができるのです。さらに展示を進むとその後の復興の様子を 表す情景として 瓦礫の上に 捻れた鉄などの 実際に掘り起こされた物を 映し出しました。ここで口頭歴史を聞くことができます。これは当時人々が消火のための バケツリレーをしたりその他 何千という 救助活動をしている人々です。

人々の物語から抜け出した頃には 9.11について理解を深めてもらい 博物館を「聞く」という時間に戻し 個々の来館者に 9.11の時の 実際の経験について質問します。ここでの質問は 9.11によって引き出されるような 実際 答えられないような質問をします。質問は こんな感じです 「どうすれば民主主義は自由と安全のバランスを取れるか?」 「どうやって9.11は起きたのか?」 「9.11後 世界はどう変わったか?」などです。

 

10 人々の 9.11の思い出

ここ数年で 収集してきた口頭歴史データは インタビューを行った ドナルド・ラムズフェルド ビル・クリントン ルドルフ・ジュリアーニという 9.11に対する 異なった立場や経験 考えを持った人々と 一緒に記録されてあります。ここで又「聞く」という事に 戻ります その中から 数人の声で 作られた物を1つお見せします。人々の 9.11の思い出が 詩的にも感じられます。

(ビデオ)声1:9.11はニューヨークだけの事ではありませんでした。声2:同じ経験を通して皆が一つになりました。声3:あの日 相手が誰であろうと 人々が 即座に援助に駆けつけたのを見て 私たちは乗り越えられると思いました。声4:全国から寄せられた溢れるほどの 愛と様々な思いは 生涯 決して忘れられないでしょう。声5:今でも あの時 命を落とされた方 救助のため 亡くなられた方を思い祈りを捧げます。そして アメリカ人の繋がり 愛 思いやり 強さを実感しました。この恐ろしい悲劇の中で 国が一つになるのを見ました。

 

11 人々の人間関係が見れる記念碑広場

来館者は様々な体験や 自分の考えに思い耽りながら館内から出て それから実際の記念碑を訪れるため 地上にあがります。私たちは博物館を数年手がけてから 記念碑に取りかかりました。記念碑の原案者のマイケル・アラドは この事件で亡くなられた方々全員の名前を 無差別に ほぼランダムに表記し テロのような性質のものの上に詩的思いを イメージしました。遺族や後援者特に初動レスキュー隊員には 大きな問題でした。その後 話し合いが進んで その結果 時系列やアルファベット順でもなく 解決案となったのは 隣接関係性と呼ばれるものでした。

これが 実際の名前のグループで 無差別のようですが順序があります。私たちは ジャー・ソープとアルゴリズムを作って 膨大な量のデータを取り出し それぞれの名前の繋がりを探り始めました。これが 実際のアルゴリズムのイメージです。名前は分からない様にしてありますが ご覧いただいている異なる色のブロックは 4つの旅客機 2つのツインタワーと初動レスキュー隊員の方々です。当時 どの階にいたか分かります。緑色の線はご遺族に お伺いした 犠牲者の人間関係です。記念碑広場へ行くと 2つのプールの周りに 当時の情報が表記されており 記念碑広場の中で9.11を地理的に 把握出来ます。個人の名前でも 『カンター・フィツジェラルド』の様に会社名でも検索出来ます。何百という名前がどんな風に 記念碑そのものに記録されているか 分かるでしょう。こうやって記念碑を見て回れます。

記念碑広場でもっと大切な事は 人々の人間関係が見れること。犠牲者の方の 人間関係が分かります。無差別に並べられた見ず知らずの人々が 突如 生身の人間として現実味を帯びてくるのです。こちらはハーリー・ラモス氏 投資銀行のヘッドトレーダーでした。彼はサウスタワーの55階でビクター・ヴァルド氏を助けようと留まったのです。目撃者に拠るとラモス氏はヴァルド氏に 「君を置いては行かない」と言ったそうです。ヴァルド夫人に2人の名前を隣同士にして欲しいと頼まれました。

三世代前は一般の人の話を集めるには 人を雇って 話を聞いて回らなければいけませんでした。今日 未来の世代に残すべき 私たちの物語は未だ嘗てない程の量です。その一人一人の物語に詩がある事を 私たちは願っているのです。ありがとうございました(拍手)

 

最後に

「聞く」という愛の行動に基づいたプロジェクト。来訪者に住人になったように感じてほしい。私たちの顔が数千数万年の歴史と繋がる。「9.11記念追悼博物館」プロジェクト。『私たちは覚えている』1年間ハドソン川の水圧に耐えた遮水壁、人々の 9.11の思い出、人々の人間関係が見れる記念碑広場。私たち一人ひとりに文学がある

和訳してくださったReiko O Bovee 氏、レビューしてくださった Mari Arimitsu 氏に感謝する(2013年5月)。

ぶらぶら美術・博物館 プレミアムアートブック2014-2015 (エンターブレインムック)


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