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福田政権での労働基本権の制約撤廃 自民党による公務員制度改革2

前回は、安倍政権での天下り規制への着手 自民党による公務員制度改革1についてまとめた。ここでは、福田政権での労働基本権の制約撤廃 自民党による公務員制度改革2について解説する。

第二の急所「労働基本権」へ

公務員の労働基本権は制約されているが、これが天下りに次ぐ第二の急所ともいわれている。労働基本権とは、①団結権(労働組合を作って加入する権利)、②団体交渉権(使用者と労働条件について団体交渉を行う権利。その一部として協約を締結する権利、いわゆる協約締結権も含まれる)、③争議権(いわゆるスト権)の三権である。国家公務員や地方公務員の場合は、国家公務員法と地方公務員法により、警察職員・消防職員などは三権とも、一般職員は協約締結権と争議権が制約されている

制約が正当化される実質的根拠としてしばしば引用されるのが、全農林最高裁判決(1973)だが、その論拠はいずれも決定的ではない。このため、古くから公務員にも労働基本権を付与すべきとの議論があり、渡辺喜美行革担当大臣も「労働基本権をフルセットで解禁(争議権と協約締結権を付与)すべき」との立場を明確にしていた。

 

「制約」で誰が得しているのか

労働基本権の「制約」の最大の受益者は、次官から係員に至るまでの公務員全体である。例えば、給与においては、制約の代替措置として設けられている人事院の勧告制度によって、適正な給与水準が決められている。民間の給与水準を調査しているというが、一定規模以上の企業を対象としており、零細企業は対象に含まれていない。そのため、実態より高い水準が示されている。

公務員労働組合は、長らく労働基本権拡大を運動の目的にしてきたともいわれる。しかし、本音では協約締結権はまだしも争議権までは求めていないのではないか。もし争議権まで獲得したとすると、人事院の存在理由がなくなり、人事制度や給与体系を民間並みにせよとの圧力も高まるからである。実際に、民主党のマニフェスト2009には「争議権」という言葉は見られない。

 

これこそ公務員天国を守る城壁

労働基本権の制約こそ公務員天国を守る城壁に他ならない。労働基本権の制約の代償として、人事院勧告制度や(人事院の定める)固定的な給与体系など、いわば広義の「身分保障」ともいえる制度が設けられているからである。少なくとも、事務次官や局長といった幹部にもそうした保障を与えるのは非常識である。

 

報告書は例によって玉虫色ながら

専門調査会などの報告書が玉虫色だったのは、結論を出さないことが関係者すべての利益にかなっていたからである。「拡大」派と「制約維持」派の双方に対して解釈できる文言を入れ、結論は「慎重に決断すべき」と根回しするものである。ただし、それでも「方向性を示した」と解釈できる結論にまで達したことは、大きな前進だったといえる。

 

インターネット中継の効用

官民人材交流センター懇談会は、インターネット中継で国民が誰でも見ることができる。これは、委員の長谷川幸洋氏(東京新聞論説委員)らが「会議はインターネット中継すべき」と主張したからである。その結果、誰しもが国民の前で恥ずるところなくできる主張しかしなくなり、国民目線での議論が進むようになった

なお、渡辺氏は、法案決定前の段階から以下のような「新・人材バンク三原則」を示していたが、政治的に進めるのが不可能だった。そこで前述のような官民人材交流センター懇談会という場を設定したのである。

  1. 人事の一環から再就職の支援へ:主たるユーザーは職員など
  2. 各省縦割りから内閣一元化へ:各省庁の人事当局と企業等の直接交渉は禁止など
  3. 透明性と規律の確保

 

「渡りの即時禁止」も争点に

センター懇談会は、2007年12月に報告書を取りまとめ、政府に提出した。報告書の冒頭の「市場価格の再就職」という言葉が基本思想である。具体的な設計プランとして、副センター長は民間から登用、1400〜1600万円以上の随意契約を役所と継続的に締結する法人には斡旋を行わない、といったこれまでのような天下りを紛れ込ませないようにする項目も加わっていた。

また、渡りの即時禁止についても争点となった。渡りとは、いったん天下った官僚OBが別の天下りポストに渡っていくことで、そのたびに高額の退職金が支払われるケースも多い。これについて、センター懇談会委員の野村修也中央大学教授・弁護士は即時禁止を提言したが、福田内閣の町村信孝官房長官から横やりが入った。しかし、たまたまテレビカメラがいる前で町村氏が渡辺氏に電話をしていることが放映されたこともあり、こうした封印工作は立ち消えになって即時禁止も報告書に盛り込まれることとなった

 

101独立行政法人の総点検の顛末

独立行政法人(独法)とは、橋本龍太郎内閣による行革の際に、イギリスのエージェンシーを参考に設けられた制度である。従来の政府機能を企画立案部門と実施部門に分類し、実施部門は政府から切り出して、民間の力も借りて運営を効率化していこうという発想だった。しかし、実際に制度運用が始まると、それまであった特殊法人が独立行政法人に移行するだけだった。

101独立行政法人の総点検の顛末は、07年12月24日「独立行政法人整理合理化計画」が閣議決定されたが、成果は限定的なものにとどまった。成果は行動と期限の区切りの組み合わせ(成功=行動○期限○、引き分け=行動×期限○、失敗=行動×期限×)で測れるが、成功は日本貿易保険の会社形態への移行などごく少数にとどまった。引き分けは、雇用・能力開発機構の一年以内に廃止を検討、都市再生機構の3年以内に組織のあり方を検討など。失敗は、国立印刷局の将来課題や実現不可能な条件付きというものであった。

また、独法の仕組み自体を総論的に見直すべきだという論点もあがり、「独立行政法人通則法改正案」として08年4月に閣議決定・国会提出された。しかし、結果としてこの法案は国会で全く審議されずに廃案となった。与党の自民・公明側も重要案件として位置づけておらず、民主党も「独立行政法人の全廃」を掲げている立場上、独立行政法人を維持を前提としたプランには関心を示さなかったのである。なお、内容は以下の4点である。

  1. 理事長の選任の際は公募を義務付け
  2. 独立行政法人から関連法人への再就職を天下り規制の対象に
  3. 独立行政法人の事業評価を一元化
  4. 不要資産を売却した場合の全額国庫返納

 

総理の拒絶反応もあったが

福田内閣における公務員制度改革のメインイベントが、07年7月の「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」(以下制度懇談会する)である。渡辺氏の『絶対の決断』や長谷川幸洋氏の『日本国の正体』で明かされているが、福田総理は、当初、改革に極めて後ろ向きだったようである。両書では、一時は渡辺氏が辞任の決意を固めるまでの事態になったものの、中川秀直元自民党幹事長が福田氏に掛け合い、何とか報告書を総理が受け取るところまで持ち込んだ経緯が語られている。

制度懇談会報告書は何とか提出されたが、続いてその法案化が焦点となった。もともと、07年4月末の安倍内閣の閣議決定には「国家公務員制度改革基本法」(以下基本法)案を提出すると書かれている。ここでいう基本法とは、いわゆるプログラム法のことである。プログラム法とは、法律という強い拘束力を持つ形で、改革のメニューとそれぞれの実行期限を最初に決めてしまう方式である。例えば、一年以内に○○のための制度整備を行う、といったものである。

 

目玉は「内閣人事庁」構想

渡辺氏が法案化を目指した内容は、制度懇談会の報告書とほぼ同じである。その内容は以下の3つである。

  1. 官僚内閣制から真の議院内閣制へ:政官接触の集中管理、内閣主導の政策立案を支える「国家戦略スタッフ」と「政務スタッフ」
  2. キャリア制度の廃止:開かれた競争を通じ、優秀な人材の選抜・育成
  3. 各省割拠主義から日の丸官僚へ:幹部人事を内閣一元管理、内閣一括採用、「内閣人事庁」の設立

第一に、官僚内閣制とは、官僚が内閣と国会をコントロールして政策決定を主導する体制をさす。政治学者の松下圭一氏らが使い始め、飯尾潤氏の『日本の統治構造』で広まった言葉である。そこで改革プランでは、官僚と政治家の接触を大臣がコントロールすることを打ち出した(人事の一元化による大臣の人事権の強化 第二次公務員制度改革の目的参照)。

第二に、キャリア制度の廃止とは、採用試験とは切り離した「幹部候補育成課程」を設け、民間企業と同様に、働きぶりに応じて入省後に幹部候補を選抜するものである。

第三に、各省割拠主義から日の丸官僚へとは、各省縦割り主義を打破し、国のために働く官僚にしようというものである。従来の霞ヶ関では、各省ごとに職員採用を行っているため、政府全体を1つの企業と考えれば、事業部門単位でそれぞれ独立して閉鎖的に採用・人事管理を行っているようなものである。これを、内閣一括採用にし(総合職のみ)、幹部人事も内閣で一元管理することで、全社的な視野を持つように育成するというものである。

この3つの柱の目玉が「内閣人事庁」構想である。これはいわば政府全体の人事部であり、本質的な目的は官僚内閣制の打破である。つまり、株主(国民)の信認を受けた経営トップ(総理以下閣僚)が、自らの経営戦略(国家戦略)を定め、それに沿って、例えば最重要部門に最も優秀な幹部を配するなど、最適の人事配置を行うための方策である。経営戦略の立案をサポートするのが経営企画室(国家戦略スタッフ)であり、その人事をサポートするのが人事部(内閣人事庁)である。

 

身内からばらまかれた怪文書

法案化を進める中で、特に抵抗が激しかったのが政官接触規制と内閣人事庁だった。改革に反対する閣僚や自民党議員らのバイブルともいえる「怪文書」(素朴な疑問)には、その2つに対する反論が書かれていた。例えば、政と官の関係はなぜ集中管理が必要か、公務員のキャリアパスはこれで優秀な人材が集まるのかといったものである。前者は組織のガバナンスとして必要であり、後者はむしろ優秀な人材を社会に還元するために必要と反論できる(「紙爆弾」や族議員らとの政官接触 第二次公務員制度改革への抵抗参照)。

 

ついに「基本法」成立

強い反発を受けた改革プランだが、2008年4月4日、ほぼ当初案どおりに閣議決定された。修正されたのは「幹部になったら各省ゼッケンを外し内閣に本籍」という点で、福田総理裁定で「内閣と各省の両方に籍」という足して二で割る決着が図られた程度だった。

与野党修正協議後成立した最終的な基本法は、以下の6つの特徴を持つ(国家戦略スタッフ、キャリア制度については変更なし)(内閣一元管理、政官接触、キャリア制、労働基本権が争点 壮絶な国会論戦参照)。

  1. 政官接触規制は削除し、接触時の情報開示のみ
  2. 内閣人事庁は内閣人事局に格下げ
  3. 幹部職員の所属は従来どおり各省
  4. 総合職の一括採用は行わない
  5. 幹部職員を任命する際の候補者名簿作成は内閣人事局が行う
  6. 労働基本権は「自律的労使関係制度を措置する」との規定に変更

 

「人事権は各省大臣にある」

内閣人事庁をめぐって「各省大臣の人事権が侵される」との主張が出た。そもそも、官僚の人事権は憲法上は内閣にある。しかし、慣例的に官僚の人事は官僚が行っており、公務員の身分保障規定によって人事権はすでに制約されている。つまり、官僚の人事権が侵されるというのを「大臣」に置き換えて、主張を権威づけただけである。

 

「内閣の一員」ではなく「各省の代弁者」か

各省大臣は「各省の代弁者」なため、内閣人事庁の長たる官房長官と対立するはず、との意見も出た。しかし、そもそも各省大臣は「内閣の一員」であり、意見が対立した場合には政治家として協議して自分たちで決めるだけにすぎない。各省大臣を就任記者会見で「各省の代弁者」として仕立ててきた官僚の詭弁である。

 

総理の人事権まで侵されると吹聴

「スタッフの公募」について、総理の人事権を奪おうとする意図だとする嘘もみられた。公務員制度改革推進本部事務局など、内閣に直属する組織の場合、法律上、人事権は総理にある。公務員制度改革担当大臣などの特命担当大臣は、あくまでも特命事項を任されるだけの立場で、組織の長として人事権を持つことはない。しかし、結果として公募は実現しなかったが、発足当初は3分の1程度が民間人が占め、画期的なものとなった。

 

最後に

福田総理は当初は公務員制度改革に消極的だったが、中川秀直元自民党幹事長らの働きによって報告書提出・法案成立に至った。また、インターネット中継による公開も国民目線での議論を誘発した。労働基本権の制約こそ公務員天国を守る城壁

次回は、麻生政権での政令による改革逆行 自民党による公務員制度改革3についてまとめる。

官僚のレトリック―霞が関改革はなぜ迷走するのか


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