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ジェーン・ポインター バイオスフィア2での生活

「私はバイオスフィア(生物圏)2で2年間と20分生活しました」ジェーンは語りかける。ここでは、55万ビューを超える Jane Poynter のTED講演を訳し、人工閉鎖生態系で生活することで気づいたことについて理解する。

要約

ジェーン・ポインターがバイオスフィア2での2年間と20分の生活について語ります—この経験から、彼女は非常に過酷な環境で生命がどうすれば生き延びられるかを探ることになりました。これは、独自のTEDxイベントから採用された初めてのTEDTalkです。(南カリフォルニア大学にて)

After weathering two years in Biosphere 2, Jane Poynter is trying to create technologies that allow us to live in hostile environments — like outer space.

 

1 バイオスフィア2でピザを作るには4ヶ月かかった

私は2つのバイオスフィア(生物圏)に住むという めったにない喜びを得ました。この部屋にいる我々は皆バイオスフィア1に住んでいますが 私はまたバイオスフィア2にも住んだのです。そして素晴らしいことに、私はそれらのバイオスフィアを比較することができ そこから何かを学んでいると思います。何を学んだのでしょうか? これは私がバイオスフィア2の中でピザを作っているところです。ピザ生地を作るために小麦を収穫し それからチーズを作るためにヤギの乳搾をして もちろんヤギも飼育します。バイオスフィア2でピザを作るには4ヶ月かかりました。こちらバイオスフィア1では2分しかかかりません。電話を取って 「ピザを届けてちょうだい」と言うだけですから。

 

2 バイオスフィア2は3エーカーの外界と完全に遮断されたミニチュア世界

バイオスフィア2は 3エーカーの 外界と完全に遮断されたミニチュア世界です。私はそこで2年と20分、生活していました (笑) 上は鉄とガラスで遮断され 下は鉄の底で遮断されていました。本質的に、完全に密閉されていました。そこには自前のミニチュア熱帯雨林に、 珊瑚礁のあるプライベートビーチ、 サバンナ、沼地、砂漠がありました。全ての栽培を行う半エーカーの農地と 人間が住むための居住区がありました。

80年代半ば、我々がバイオスフィア2を設計していた頃 我々は非常に基本的なことを自問していました。つまり、バイオスフィアとは何か? そのころ、我々が考えていたのは 「地球をとりまく生命の球体」のことでした。でしょう? でも、それを作ろうと思ったらもう少し具体的にしておく必要があります。そこで我々は、実際はそれは 物質的に完全に閉じていて どんな物質も出入りせず、かつ エネルギー的には開いた系と定義しました。地球がまさしくそうなのです。

 

3 生命はこれに順応できるか?

これはバイオスフィア2の400分の1の部屋で 「テストモジュール」と呼んでいました。そしてこの人物、ジョン・アレンが 彼を生存させるために我々が持ち込んだ 植物、動物、バクテリアと共に この中で二日間過ごそうとした初日から 医師団は、彼がなにか 恐ろしい毒素にやられるか、バクテリアか菌糸かで 窒息して死んでしまうのではないかと、ひどく恐れましたが もちろんそんなことは起きませんでした。その後の数年は バイオスフィア2の設計の偉大な物語があり 1991年には バイオスフィア2が建造されました。そして我々は その中に入ったのです。我々は知りたかったのです。生命はこれに順応できるか? 惑星規模に拡大した このバイオスフィアを 小さなビンに入れて それでも生命は維持できるのか? 大きな問いかけです。我々はこの答えを、ひとつは 宇宙のどこか他の場所、たとえば火星に 行くのに使えるのか知るために、 もう1つは、我々の住む地球についてより深く知るために 得たいと思いました。1991年、ついにその時が来て、我々は中に入り どうなるかを試しました。処女航海です。うまくいくか?それともなにか我々が 理解や解決ができないことが起きて 人工のバイオスフィアというコンセプトが否定されるのか?

 

4 奇妙な方法で、私は私自身を食べていた

男性4人、女性4人が中に入りました。そのあと増えたんですが (笑) これが我々が住んだ世界です。上には 美しい熱帯雨林と海 下には「テクノスフィア」がありました。ポンプや、バルブや 水タンクや、大気処理装置などなどです。メンバーの一人はこれを「空母の上のエデンの園」と 呼びました。そしてもちろん居住区があり 研究室がありました。ここが農園で 要するに有機農園です。

バイオスフィア2に入ったその日、 私は、はじめて、 7人のメンバーと共に 世界の他と誰とも全く異なる 空気を吸っていました。その瞬間、私はそのバイオスフィアの一部になったのです。それは抽象的な意味でなく 文字どおりそうなのです。私が吐いた呼気のCO2が 私の栽培するサツマイモになるのです。我々はサツマイモをものすごくたくさん食べました (笑) そしてそのサツマイモが 私の一部となるのです。サツマイモを食べ過ぎたせいで 自分がオレンジ色になったくらいです。私は文字通り同じ炭素をなんども繰り返し食べていました。ものすごく奇妙な方法で、私は私自身を食べていたのです。

 

5 非常にたくさんの酸素を失っていた

しかし、大気について言えば 長期的には、そんな冗談では済みませんでした。なぜなら、私たちは非常にたくさんの酸素を失っていたからです。私たちは二酸化炭素も失っていました。それで私たちは炭素を「隔離」しようとしました。おお、今だとこの用語も使えるのね。我々は狂ったように植物を育てました。そのバイオマスを地下室に貯蔵し また植物を育て、それを何度も繰り返しました。大気から炭素を除去しようとしたのです。炭素が大気に放出されるのを防ごうとしました。土地の灌漑を最小限にしました。土を耕すのをやめました。温室効果ガスが大気に混じるのを防ぐためです。それでも酸素は二酸化炭素が増えるより 早く減っていきました。予想もしなかったことです。テストモジュールではそれらは一緒に変化していたからです。まるで原子レベルでのかくれんぼのようなものでした。我々は7トンの酸素を失い どこにいったのか全く分かりませんでした。

 

6 息が止まって深呼吸で目が覚める

そして、大量の酸素を失うとどうなるかというと 我々の場合 21%から14.2%まで下がりましたが おお、恐ろしいですよ われわれはバイオスフィア内を身体を引きずるように歩いていました。夜には睡眠時無呼吸症候群がおこり 大きく息を吸い込んで目が覚めるんです。血液の組成が変わってしまっていて 本当にそうなるんです。息が止まって 深呼吸で目が覚めるんです。とてもいらいらします。外界の人たちはみんな、私たちが死にかかっていると思いました。メディアがそう報道したのです。私は一日おきに、母親に「大丈夫、大丈夫」と電話しなくてはなりませんでした。「私は死んでないわよ、大丈夫よ」って。実際は隊員の医師が、我々が本当に 大丈夫かどうかチェックしていました。しかし実際は彼自身が一番酸素に敏感だったのです。ある日、彼はついに一連の足し算ができなくなり 我々は外部から酸素を導入しました。あなたはこう考えるかも。つまり 「あなたの生命維持装置は 動作不能になっている。恐ろしいことだ」と たしかにある意味ではそれは恐ろしことです。事態が悪化すれば、いつでもエアロックから 歩いて出られると分かっている以外は でも誰か「もうがまんできない!」といったでしょうか? 私で無い事は確かです。

 

7 7トンの酸素はコンクリートの中にあった

しかし一方ではこれはプロジェクトの珠玉の発見でもありました。なぜなら、わたしたちはこのシステムを実際に 科学の道具として動かして 7トンの酸素がどこへいってしまったのか 発見できるかどうか試すことができたからです。そして、実際それは発見できました。それはコンクリートのなかにあったのです。実はとても簡単なことでした。我々は過剰な炭素をコンポストの土に入れてしまい それが分解して大気から酸素を奪い CO2が大気に放出され、さらにコンクリートに蓄積されたのです。とても単純なことでした。

それで、2年の後に 我々は達成感と共に出て来ました。たしかに、我々は 酸素が減り続けて 生命維持装置を使っての実験をやめたという とても「だめ」な結果を得ました。まさしくひどい失敗でした。ただし その原因と、対応方法もわかっていました。それ以外に重大な問題は 起きずに コンセプトそのものは、どうにか証明したわけです。一方、われわれ被験者の問題はまた別でした。我々自身は、修復できるかわかりませんでした。言うなれば、頭が変になってしまったようでした。

 

8 自分の食物がどこからくるか分からなくなった

私がバイオスフィア2から出て来た日 私は家族や友人に会えるのでわくわくしていました。それまでの2年間、ずっとガラス越しに見ていたのですから。みんなが私の所に駆けてきましたが、わたしはあとずさりしました。彼らはひどい臭いがしたのです! みんなひどく臭うのです! ヘアスプレーや腋の臭い消しや そういったものの臭いがするのです。私たちはバイオスフィアのなかで清潔にする道具を持っていましたが 香水の類いは持っていませんでした。しかし、こちら側では臭うのです。それだけでなく 私は自分の食物がどこからくるか分からなくなりました。以前は私は自分の食べるもの全てを育てていました。しかし今では自分の食べ物に何が入っているか、それがどこからくるか分からなくなりました。それどころか自分が食べているものの名前が半分くらいしか分かりません。店の棚のところで、何時間も 全商品の成分を調べていたりします。頭が変になったと思われているでしょう。本当に驚くべきことで 私は次第に、自分たちが住んでいる この大きなバイオスフィアの中のどこにいるか分からなくなりました。バイオスフィア2では、私自身が バイオスフィアに対して常に大きな影響を持つこと、 バイオスフィアが私に影響することを理解していました。とても肉体的にも、また文字通りにも。

 

9 火星でも植物を育てられる、完全に分離されたシステム

そこで私はパラゴン宇宙開発という 会社を始めました。私がバイオスフィアにいた頃の仲間と始めた小さな会社です。他にやることがありませんでしたから 私たちがやったことのひとつは バイオスフィアをどこまで小さくできるか それでなにができるかを試してみることした。そのバイオスフィアをミール宇宙ステーションに載せ スペースシャトルに載せ、国際宇宙ステーションにも16ヶ月載せました。われわれは、宇宙空間で完全なライフサイクルを なんども繰り返す生物を 作るのに成功しました。我々の生命システムがどこまで 順応できるかを理解する 枠組みに挑戦しました。

そして、光栄にも、みなさんに、 金曜日に公開する予定の、月で生育する植物のシステムを開発する チームをつくったことを 報告いたします。これはとても面白いことになるでしょう。そして、その元になっているのは、私たちが設計していたシステムです。火星でも植物を育てられる、完全に分離されたシステムです。その設計の過程で 酸素と二酸化炭素の非常に高速な 循環システムを設計しなくてはなりませんでした。

 

10 地球の悩みの種のエビの養殖場を砂漠の人々の財産にした

その設計の結果、 わたしはアフリカの突端 エリトリアの各地に行くことになりました。もとはエチオピアの一部だったエリトリアは 驚くほど美しく、信じられないくらい荒涼とした場所で、 私はここで人々がどうやって稼いで 生活しているかまったくわかりませんでした。ものすごく乾燥しています。これが私が目にしたものです が、これもまたわたしが見たものです。私は、ある会社が 海水と 砂を利用して、まったく無処理で 純粋な海水で育つ植物を育てているのを見ました。食料を作り出すのですが、 この場合はオイルシードです。私は驚きました。彼らはまたプランテーションで マングローブを育てていました。マングローブは木材、蜂蜜、 動物に使われる葉となり ミルクなど、我々がバイオスフィアで 生産したようなものを生産していました。

そしてそれらはすべて、エビの養殖場からもたらされます。率直に環境の観点から言うと エビの養殖場は地球の悩みの種です。大量の汚染物を海に流し込みます。それはまた隣りの池も汚染します。お互いに汚しあっているのです。文字通りに このプロジェクトが行おうとしているのは この汚染の流れを取り込んで すべて食物にすることです。彼らは文字通り、汚染物を砂漠の人々の財産にしているのです。ある意味では工業的なエコシステムを作ったのです。

 

11 全ては地球全体と関連している

実は私は国連の京都議定書の 炭素排出枠プログラムのための マングローブ分野のモデル設計の為そこにいました。このマングローブの沼の設計中に 私は考えました「どうやって周りに箱を作るのか?」と 私は植物を入れる箱を設計するとき、文字通り どこを境界にすればよいか知っていますが マングローブの森でどうするかはわかりませんでした。もちろん地球の周りにも境界線を引かなくてはなりません。全ては地球全体と関連しているのです。そしてプロジェクトをその文脈のなかに置く必要があります。

今日世界中で、我々は信じられないような変貌を目にしています。それは「殺生命」型の種族、 意図的あるいはそうでなくとも 非常に多くの生命を殺すようシステムを設計した種族によるものです。この美しい写真は、実は アマゾン上空からのものですが ライトグリーンの大規模な森林破壊の領域がみられ このふわふわと美しい雲は 実は人工的な山火事です。私たちは、この状態から いわば「生命順応的な」社会に変わる途上にあります。そこで我々は社会を育むことを学ぶでしょう。そうは思えないかもしれませんが、そうなのです。それは世界中のあらゆる 生活の営みで、 あらゆる職業や 思いつくあらゆる産業界で起こっています。その中で人々はしばしば迷います 「この世界でどうやって道を見つけたらいいんだ?」と。それほど大掛かりな命題なのです。そこでは、非常に小さなことがらが重要なのです。本当に。

 

12 熊手を捨てさえすれば小さなことが意味を持つ

これは私の家の裏庭の「熊手(箒)」の話です。ここがうちの裏庭です。ずっと昔、わたしが(もちろん)アリゾナに 家を買った頃、庭には砂利を敷いたものです。そして庭に美しく箒がけをして、落ち葉は全て取り除きました。日曜の朝、隣人が落ち葉を吹き飛ばす機械を持ち出すと それを止めたいと思いました。それはある種の美意識です。ちらかっているのがとても嫌だったのでしょう。私は箒をほうり出しました。そして自分の土地の木から落ち葉が落ちるに任せました。時がたつと、どうなったでしょう? 私は表土を作っていたことになるのです。するとたくさんの鳥がやって来て、鷹もやって来て オアシスが出来たのです。毎年春になるとこうなります。6週間か8週間は緑のオアシスになるのです。ここは河岸になったのです (アリゾナの)ツーソンのどこでもこうなり得るのです。皆が立ち止まって、箒を捨てさえすれば 小さなことが、意味を持つのです。

 

13 呼吸は我々全てをつないでいる

産業革命とプロメテウス(火)が 私たちに世界を照らす力をもたらしました。それはまた 世界を外側から見る力も与えました。私たち全ての人が 人工のバイオスフィアで生活し その世界とこの世界を比べることはないかもしれませんが それでも私たちは世界を見渡し その枠組みの中で自分がどこにいるかを知ろうとし それとどうかかわるべきか選ぼうとすることはできます。そして、もしあなたがバイオスフィアのどこにいるか分からなくなったり あるいは自分のバイオスフィア上の位置と 繋がりが持ちにくくなったとき あなたにこう申しましょう。深呼吸をしてください。ヨガの導師は正しかった。呼吸は、我々全てをつないでいます。文字通りの意味で 息をしてください。あなたが息をする時 その息になにが入っているか考えてください。隣りの人からきたCO2があるでしょう。近くの海岸の海藻が作った 酸素もいくらか入っているかもしれない。息は時間ともつながっています。あなたの息の中の炭素は 恐竜のものだったかもしれない。あなたの吐く息の中の炭素が あなたの曾、曾、曾、曾孫の息に なるかもしれないのです。ありがとうございました。

最後に

バイオスフィア2は3エーカーの外界と完全に遮断されたミニチュア世界。バイオスフィア2でピザを作るには4ヶ月かかった。奇妙な方法で自分で自分自身を食べていた。火星でも植物を育てられる、完全に分離されたシステム。呼吸は我々すべてをつないでいる

和訳してくださった Masahiro Kyushima 氏、レビューしてくださった Akira KAKINOHANA 氏に感謝する(2009年3月)。

バイオスフィア実験生活―史上最大の人工閉鎖生態系での2年間 (ブルーバックス)


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