bloodlines

タリン・サイモン 「血脈の裏にある物語」

「シヴダットは地元の土地記録局で公文書に自分が死亡者として記録されていることを知りました。写真は生きている証拠なのに、彼らは死亡者のままなのです」サイモンは多くのエピソードを紹介する。ここでは、35万ビューを超える Taryn Simon のTED公演を訳し、血脈と運命がもたらす多様な人生の物語を提示する。

要約

タリン・サイモンは、実話の主要人物の子孫を写真に撮ることで、数世代にわたる膨大な物語のエッセンスをとらえています。この興味深いトークでサイモンは、家系の本質と私たちの生が多様な力の相互作用によって形作られる様子を探求し、世界中から集められた一連の物語を提示します。

With a large-format camera and a knack for talking her way into forbidden zones, Taryn Simon photographs portions of the American infrastructure inaccessible to its inhabitants.

 

1 シヴダットは自分が死亡者として記録されていることを知った

彼はシヴダット・ヤダフ インドのウッタルプラデシ州出身です。シヴダットは地元の 土地記録局で 公文書に自分が死亡者として 記録されていることを知りました。自分の土地は 他人名義になっていました。兄弟のチャンドラバンとプールチャンドも 死亡と記録されていました。

 

2 家族が役人を買収し、土地の相続手続きに介入した

家族が役人を買収し 彼らを死亡したことにして 代々の農地のうち父親の相続分を 自分たちが相続できるように 土地の相続手続きに介入したのです。そのせいで彼ら3人とその家族は 家を立ち退くことになりました。ヤダフ 一家によると 裁判所が再審理を決めたのは 2001年のことですが 審理は一向にはじまりません。

 

3 ウッタルプラデシ州では適切に審理がなされないまま死亡が宣告される事例が見られる

ウッタルプラデシ州では 適切に審理がなされないまま 死亡が宣告される事例が見られます。シヴダットの父が亡くなったことで 財産目当ての汚職が起こりました。父親はガンジス川に葬られました。ここでは死者は 土手で火葬するか 重石をつけて沈めます。

 

4 写真は生きている証拠なのに彼らは死亡者のまま

彼ら兄弟を撮影していると わけがわからなくなりました。彼らは書類上 存在しません。写真は生きている証拠なのに 彼らは死亡者のままなのです。そんな混乱がこの題名を生みました。このプロジェクトで 考察したのは 我々が 生ける屍であり 我々自身が 何らかの形で― 過去と未来の亡霊を体現していることです。

 

5 運命にまつわる考えや血縁や偶然や境遇によって運命は決まるのか

この物語は新しい作品群― 「死亡宣告された生者 他」を構成する18章のうち 第1章です。この作品のために 4年間 世界中を旅して 血筋とそれにまつわる話を 調べ 記録してきました。私が関心をもったのは 運命にまつわる考えや 血縁や偶然や境遇によって― 運命は決まるのか といったことです。記録したテーマは ブラジルの家族同士の抗争 ボスニアの虐殺被害者 最初の女性ハイジャック犯や インドの生きる死者にまでわたります。各章でご覧いただくのは 支配や権力と領土 宗教といった外的な力が 心的 肉体的に受け継がれた― 内的な力と衝突する様です。

 

6 それぞれの作品は血族、物語、注釈パネルからなる

それぞれの作品は 3つの部分からなっています。左側は1つまたは複数の肖像パネルで ここに血族のメンバーを 体系的に並べました。続くテキスト・パネルは巻物の様にデザインしました。この部分で 取り上げたテーマを 物語に仕立てました。右は 私が注釈パネルと呼ぶ部分です。ここはより直感的なスペースで 物語の断片や別の物語の冒頭や― 証拠写真を見せています。我々が歴史やネット上の物語と どう関わっているかを 時系列でない形で 反映させようとしたのです。順序はバラバラです。この乱雑さは 血脈の不変の秩序と 際立ったコントラストを見せます。

 

7 秩序ある血脈と無秩序な物語の衝突が主題

これまで私はシリーズ物を手がけ― 決まったタイトルと提示方法で 一見 包括的に見えるけれど 実際には かなり観念的な事物を 記録してきました。今回は正反対を目指しました。すなわち 私が干渉も構成も編集もできない― 絶対的なカタログを見つけたかったのです。そこで注目したのが 血です。血脈は不変で秩序があります。ただ この作品で焦点を当てるのは 秩序と無秩序の衝突です― 血筋の秩序が 混沌として暴力的な物語に表れる― 無秩序と衝突します。そんな物語が私の作品の主題です。

 

8 もしイスラエルがウガンダにあったら世界はどうなっていたか

第2章ではアーサー・ルッピンの子孫を撮影しました。シオニスト機構は彼を 1907年に パレスチナに派遣しました。ユダヤ人の入植予定地を視察し 土地を手に入れることが目的です。パレスチナ土地開発公社を代表して ルッピンは土地の購入を監督しました。公社の仕事はユダヤ人国家の 建国につながりました。エルサレムにあるシオニスト文書館での調査で 私はユダヤ人国家建国に関する 初期の書類を見たいと思い この地図を見つけました。これはシオニスト機構が 入植地の代替案を求めて 調査を依頼したものです。私は地勢がもつ影響力に関心があり もしイスラエルがウガンダにあったら 世界がどうなっていたかを 想像しました。この地図はそれを示しています。エルサレムの公文書館では 1919年から1965年までの パレスチナ のちのイスラエルへの 初期の移民と移住希望者の― カード目録を保管しています。

 

9 治療の報酬は女性

第3章― ジョセフ・ニャムワンダ・ジュラ・オンディジョは ケニアのキスム郊外で 患者を診ていました。AIDSや結核 不妊― 精神病や悪霊の治療です。ほとんどの場合 治療費は現金か牛やヤギで 支払われます。でも時には女性の患者が 治療費を払えない場合― 家族が治療の報酬として その女性をジュラに与えます。このやり取りの結果― ジュラには9人の妻と 32人の子ども― 63人の孫がいます。これはジュラの血脈のうち 子どもと孫です。

 

10 ケニアでは複婚は富と地位と権力の象徴

妻のうち2人は不妊のため ジュラの元に連れてこられ 彼が不妊を直しました。3人は悪霊― 1人は喘息と重度の胸の痛み― 2人は 彼によると 愛情から結婚し 計16頭の牛が家族に支払われました。1人は彼の元を去り 1人は悪霊の治療中に亡くなりました。複婚はケニアで広く行われています。たくさんの贈り物と 複数の家庭をまかなえる― 特権階級の間では普通です。社会的 政治的に有力な人物が 複婚をしていることから 複婚は 富と地位と権力の 象徴とされています。

 

11 撮影中に父親が子どもを誘拐することを恐れる母親もいる

お気づきだと思いますが いくつかの章には 空白の写真が含まれます。これは 撮影に来られなかった― 存命中の人を表します。不在の理由はテキスト・パネルに書きました。たとえば デング熱― 服役 兵役― 宗教的あるいは文化的理由で 撮影が許されない女性達などです。この章の場合― 子どもたちが 母親から 撮影に来ることを禁じられました。撮影中に父親が誘拐することを恐れたのです。

 

12 1950年代からオーストラリアはウサギの個体群に 致死性の病気を導入している

24匹のアナウサギが 1859年に オーストラリアに持ち込まれました。イギリス人入植者が 狩猟用に持ち込んだのです。100年間で 24匹は 5億匹にまで膨れ上がりました。オーストラリアには天敵がいないので 元々の野生生物と生存競争をし 在来の植物に被害を与え 土地を荒廃させています。1950年代から オーストラリアはウサギの個体群に 致死性の病気を導入しています。個体数を調整するためです。このウサギは政府施設― バイオセキュリティ・クイーンズランドで 飼われていました。施設では 3つの血統を飼育し 病気をうつして ウサギが効率的に死ぬかどうか― 経過を観察しています。病気の毒性テストです。この実験でウサギは ほとんど死に― 残ったウサギは安楽死させられました。

 

13 オーストラリア固有でウサギに生存を脅かされているビルビーを宣伝する

ヘイズ・チョコレートは ウサギ撲滅財団と協力して イースター・バニーのチョコを 生産中止にし 代わりに イースター・ビルビーにしました。毎年恒例のウサギのお祝いに 対抗することで ウサギを殺すことへの― 抵抗感を減らそうと考えたのです。また オーストラリア固有で― ウサギに生存を脅かされている動物を 宣伝することにもなります。

 

14 1つの血脈に対して虐殺が与えた影響

第7章では1つの血脈に対して 虐殺が与えた影響に 焦点をあてました。スレブレニツァの虐殺では2日間に渡り この血族のうち6人が 殺害されました。死者を視覚的に表現しているのは この作品だけです。ただし 私が表したのは 虐殺の被害者だけです。これは第2次大戦以降 ヨーロッパで最大の 集団殺人として知られています。この虐殺では 8000人にのぼる― ボスニア回教徒の男性や少年が 組織的に処刑されました。

 

15 国際行方不明者委員会にはブルーのスライドだけが残されている

作品を細かく見ていきましょう。左上の男性は 女性の父親です。女性の名はズムラです。彼女に続くのが4人の子どもで 全員スレブレニツァの虐殺で殺されました。4人に続くのはズムラの妹で さらにその子ども達が続きます。彼らも同じく殺害されました。私がボスニアに滞在していた時に ズムラの長男の遺骸が 集団墓地から掘り起こされ まとまった遺骸を 写真に収めることができました。一方 ほかの人達は 歯と骨のサンプルが写った― ブルーのスライドで表しました。歯や骨は家族から採られたDNAと照合されて 本人のものであると 証明されました。すでに全員 埋葬されており 国際行方不明者委員会には このブルーのスライドだけが残されています

 

16 正教会の司祭に祝福された後に少年と男性を集めて殺害する

これは集団墓地から発掘された― 個人の所有物で 家族の確認を待っています。ポトチャリ電池工場にあった落書きです。ここには国連軍のオランダ兵が― 処刑の際にはセルピア人兵士が 駐留しました。これはミロシェヴィッチ裁判に 使用されたビデオで 上から下に セルビア軍のサソリ部隊が 正教会の司祭に祝福された後に 少年と男性を集めて 殺害する様子です。

 

17 一人っ子政策が血脈を通して伝わる

第15章は広告宣伝用です。私は2009年に中国国務院新聞弁公室に 中国を象徴するような 複数の世代からなる― 一族を紹介してもらいました。北京在住の大家族が選ばれましたが 選んだ根拠については それ以上 教えてもらえません。これには 珍しいことに 空白の写真がありません。全員が撮影に来ました。また一人っ子政策の影響も見ることができます。政策が血脈を通して伝わるのです。

 

18 新聞弁公室は北京にある中央テレビ塔を撮影することを指示した

かつて対外宣伝部として知られていた― 新聞弁公室は 中国における対外宣伝活動の担当部署です。海外メディアおよび中国国内で活動する― 海外メディアが国外で作りだす― イメージの統制を行ないます。また インターネットを監視し 地元メディアに対して チベット 少数民族 人権― 宗教 民主化運動 テロといった― 論争になりうる微妙な問題の 取り扱いについて指示しています。この作品の注釈パネルについて― 新聞弁公室が私に指示したのは 北京にある中央テレビ塔を撮影することでした。私はまた 弁公室がくれた― おみやげを撮影しました。

 

19 取り上げた過去と結びつけられることを拒んだ人もいる

これはハンス・フランクの子孫です。フランクはヒトラーの法律顧問で 占領下のポーランドで総督を務めました。この血脈には多くの空白の写真があり 家族の歴史との複雑な関係が 際立っています。不在の理由としては 参加を拒否した人や 自分は参加したけれど子どもの参加は 認めなかった親もいます。自分で決めるには若すぎると考えたのです。一族の何人かは 人物の代わりに 服が写されています。私が取り上げた過去と 結びつけられることを拒んだのです。最後にもう1人 この人物は 後ろ向きで撮りましたが 後日 参加を撤回したので 特定できないようにモザイク処理をしました。

 

20 フランクとヒトラーの軋轢を生む目的でポーランドで発行されたハンス・フランクの切手

この作品の注釈パネルには アドルフ・ヒトラーの公式 郵便切手と イギリス情報部が この切手に似せて制作した― ハンス・フランクの切手を写しました。フランクとヒトラーの軋轢を生む目的で ポーランドで発行されました。フランクが権力を乱用していると ヒトラーに思わせるためです。

 

21 フランクによって略奪された絵画が与える影響

運命と言えば 私は ある美術作品の物語と運命に 興味をもちました。この絵画は第三帝国の時代にフランクによって 略奪されました。これら絵画の不在と存在が与える影響にも関心があります。これはレオナルド・ダ・ヴィンチの「白貂を抱く貴婦人」 レンブラントの「善きサマリア人のいる風景」 ラファエロの「若者の肖像」 この絵は未だに行方不明です。

 

22 そこに生まれたせいで闘うようになった人々

第12章で取り上げたのは 自分が始めた闘いではないのにそこに生まれたせいで 闘うようになった人々です。これがフェラズ家― そしてノヴァエズ家の人々です。血みどろの抗争を繰り広げています。抗争はブラジル北東部ペルナンブコ州で 1991年以来ずっと続いており 死亡者は両家族20人と 家族以外の40人― 雇われたヒットマンや たまたま居合わせた人や友人が 含まれます。両家の緊張関係は1913年にさかのぼります。発端は地域の政治権力争いでした。ここ20年でエスカレートし 斬首事件や2人の市長の 殺害事件が発生しています。一家の長 ルイス・ノヴァエスの 住宅を囲む防護壁に 設置されているのが この銃眼です。ここから射撃や監視を行います。

 

23 ペルナンブコ州では報復殺人が後を絶たない

ペルナンブコ州はブラジル国内でも 最も犯罪の多い地域に数えられます。ここでは応報的正義 すなわち 目には目を の精神が根付いています。だから ここでは報復殺人が 後を絶ちません。この話は 他の物語と同様に シェークスピアを思わせる― 典型的な逸話と言えます。今起きており 今後も起こるであろう出来事です。このような 反復に関心があります。帰国後 私は家族の一人が 顔面を30発撃たれたという 知らせを受け取りました。

 

24 血脈と歴史の不在に関する探求

第17章は 血脈と歴史の不在に関する― 探求です。ウクライナの この孤児院には6才から16才までの子どもがいます。肖像は年齢順に並んでいます。血脈で並べられないからです。私がこの孤児院にいた12か月で 養子になったのはわずか1人でした。16歳になるとここを出なければなりませんが 多くの子どもには行く当てがありません。報道によると 子ども達は 孤児院を出たとたん 人身売買や チャイルド・ポルノや売春の ターゲットになっています。生きるために犯罪に手を染めることも多く 自殺率も高くなっています。

 

25 自分の過去を知らぬ者は未来に値しない

これは男子用の寝室です。ここではベッドの数も 暖かい服も 十分ではありません。10月まではお湯を出さないので 子どもはあまりお風呂に入りません。これは女子用寝室 孤児院の院長が至急必要と訴えるのは 業務用の洗濯機とドライヤー 掃除機4台 コンピュータ2台― プロジェクタ コピー機― 冬靴 歯科用ドリル です。孤児院の教室で撮影した掲示です。帰国後に私が翻訳しました “自分の過去を知らぬ者は 未来に値しない” とあります。

 

26 物語は蓄積しているのか、それとも繰り返しているだけなのか

このプロジェクトには他にも章があります。今回は千以上のイメージから かいつまんでお見せしたに過ぎません。この大量のイメージと物語が 展示されています。私は蓄積した画像と文書から 規則性を見出そうしています。またこの中に 私たちの人生を取り巻く物語が 血と同じように コード化されていると考えています。展示物は 言葉にできない何かを訴えています。集まった情報の間で 何かが語られるのです。誕生と死が止むことなく続き その合間に 物語が絶え間なく堆積していきます。人が生まれては死に 物語が次々と現れる様子は まるで機械仕掛けのようです。ここで私が考えるのは これが何らかの進化につながる― 蓄積なのか― それとも私たちが同じことを 繰り返しているだけなのかということです。ありがとうございました。

 

最後に

血脈には秩序があるが、物語は無秩序である。「自分の過去を知らぬ者は 未来に値しない」孤児院の教室の言葉としては、あまりに重い。血族、物語、注釈パネルからなる、数奇な運命の物語

TED公式和訳をしてくださった Kazunori Akashi 氏、レビューしてくださった Akira Kan 氏に感謝する(2012年4月)。

日本の血脈 (文春文庫)


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