前回は、福田政権での労働基本権の制約撤廃 自民党による公務員制度改革2についてまとめた。ここでは、麻生政権での政令による改革逆行 自民党による公務員制度改革3について解説する。
「官僚は使いこなす」とのたもうて
2008年9月、前年の安倍総理に続いて福田総理も突然の退陣を発表し、それを受けて麻生太郎内閣が発足した。発足当初から、麻生氏が繰り返したメッセージは「官僚は使いこなす」というものだった。しかし、これは新しい社長が従業員に向けて「私は従業員を使いこなす」と宣言するようなもので、異様なものだった。通常「自分はこういうことに取り組みたい」と宣言し、従業員についてくるよう求めるだろう。また、特に難題に取り組むときは、社内の人材資源を活用するだけでなく、外部から登用する必要もあるかもしれない。つまり、「使いこなす」だけでは足りない場合もある。
このように考えると、「官僚は使いこなす」というのは「官僚と協調していきたい」というメッセージに過ぎない。そもそも、実行したい政策プランやアイデアさえ持っていない人が、部下を使いこなすことは不可能である。
自分たちに都合がよければ「憲法違反」も敢行
麻生内閣では天下り規制の施行(08年12月)を迎えたが、予定外の方向に向かい始めたきっかけが「監視委員会」の国会同意人事である。国会同意人事とは、任命権者が国会の同意を得て任命する仕組みである。衆参ねじれの状態では、両議員の同意が容易に得られない事態がしばしば生じた。監査委員会もその1つである。
監査委員会には法律上、2つの役割がある。1つは、違法な各省斡旋等が行われないかどうか監視すること。もう1つは、天下り規制の施行から3年以内の経過期間中、各省斡旋の承認を行うことである。しかし、監査委員会が立ち上がらないことで、この2つ目の役割を行う主体がなくなってしまった。
そこで、官僚たちは思わぬ解決策を発動した。「退職管理政令」によって法律を読み替えるといった憲法違反を行ったのである。この政令の中で、監視委員会に代わって総理が承認を行うと規定したのだ。つまり、この政令は「超法規的措置」を堂々と条文に定めて閣議決定してしまったのである。
容認されてしまった「渡り」
退職管理政令には「元職員に対する斡旋(渡り)も、必要不可欠と認められる場合には承認する」という規定がおかれた。これは、どんなケースであっても必要不可欠と説明すればいいので、実質的に承認するという意味である。こうして、安倍・福田両内閣で築き上げてきた改革は、麻生内閣になった途端、一気に逆行した。2013年現在でも退職管理政令は継続している。
また、天下り容認への動きも相次いだ。1つは、08年末、公益法人への天下りルールが事実上撤廃されたことである。「所管省庁OBは3分の1以下にしなければならない」というルールさえ今後は適用しないと政府は回答したのである。もう1つは、08年末に発足した官民人材交流センターでの随意契約のルールを骨抜きにされたことである。「1400万〜1600万円以上の随意契約…」というものを「1億円以上の…」と書き換え、さらに「高度な専門的能力に着目した就職の場合は、1億円以上の随意契約を締結する法人であっても斡旋してよい」との例外規定も設けられた。
「内閣人事局」を巡る攻防の始まり
内閣人事局をめぐる攻防とは、内閣人事局の設立時期の問題である。2009年度に立ち上げるべきという事務局の立花宏局長らと、顧問会議の屋山太郎氏らは無理に09年度に立ち上げる必要はないと主張した。結論は、屋山氏らの主張どおりとなった。
また、幹部の人事制度改革そのものを進めるべきではないかという争点もあった。内閣人事局が器とすれば、人事制度が中身である。08年9月に大臣に就任した甘利氏は、就任直後「器よりも中身を優先したい」と語ったが、実際にはかすかに触れる程度だった。
甘利vs.谷バトルの真相は内閣人事局の空洞化
内閣人事局の設計に関する議論も迷走続きだった。内閣人事局は、政府全体の人事部を目指したものであり、そのためには総務部、人事院、財務省から、それぞれにある人事関連の機能を移して一元化することが必要である。しかし、新聞などでは、総務省の関連二局(人事・恩給局と行政管理局)だけを母体とする小人事局案が報じられた。結局この案は、顧問会議の堺屋太一氏らの奮闘により封じられた。
次に勃発したのが、甘利行革大臣vs.谷人事院総裁のバトルである。谷公士総裁が、甘利氏の検討する「内閣人事局」法案に真っ向から異論を唱えたのである。それは「人事院の機能は内閣人事局に移管させない。その論拠は、中立・公正の確保ができなくなることと、労働基本権の制約との関係」である。しかし、このバトルの背景には内閣人事局を空洞化させるという思惑があり、その黒幕は霞ヶ関守旧勢力全体(特に財務省幹部)だっただろう。
漆間副長官の内閣人事局乗っ取り
閣議決定前、最後の最後にもめたのが内閣人事局長を誰にするかだった。政府は官房副長官の兼務としていたが、自民党内の中川秀直元幹事長らは新設ポストにすべきと主張していた。これは、内閣人事局のトップを官僚機構(官房副長官)で制圧することを意図しており、結果として事務の副長官の漆間嚴氏(元警察庁長官)がそれを達成した。
かくして内閣人事局法案は09年3月31日に閣議決定され、国会提出された。しかし、与党側に強い推進力がなく、国会でまともに議論されないまま閉会を迎え、結果として廃案となってしまった。残ったのは、公務員制度改革に対する教訓と教材だけであった。
最強の呪文「公務の中立・公正」
「公務の中立・公正」という言葉は、公務員制度改革を阻止するための最強の呪文である。その意味自体に問題はないが、往々にして「官僚は中立・公正だが、政治家は中立・公正でない」という論理にすり替わる。単に「官尊政卑」の偏見を述べているに過ぎないのである。
「官尊政卑」と「官と民とは違う」論の連結
「官尊政卑」と「官と民とは違う」論は、根底で特殊な公務員制度の維持につながっている。役所も民間企業も、トップの責任者がいて、従業員を率い運営する組織であることは変わりない。しかし、この2つの論の結果、トップに権限を集中させたりしないし、人事制度もトップが部下の人事に介入できないといったことが生じているのである。
最後に
麻生政権では「退職管理政令」によって法律を読み替えるといった憲法違反を行った。その結果、自民党政権での3年間の公務員制度改革では、混迷状態に陥った天下り規制と、何一つ実行されていない膨大なプログラム(基本法)が、鳩山政権に受け継がれた。公務員制度改革に必要なのは統治機構。
次回は、二重権力構造の利用は官僚主導の常套手段 公務員労組にも配慮した民主党についてまとめる。
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