civil-life

マイケル・サンデル なぜ市場に市民生活を託すべきではないのか?

「現在の民主主義では、売りに出されるものがあまりにも多いのではないか」サンデルは語りかける。ここでは、100万ビューを超える Michael Sandel のTED講演を訳し、お金と市場の役割について考える。

要約

この30年でアメリカは市場経済から市場社会へ移行したと、マイケル・サンデルは言います。アメリカ人が「共有する」市民生活は、どれだけお金を持っているかによって違うものになってしまったと言っていいでしょう(主な例として、教育を受ける機会、司法と政治的影響力を利用する機会があります)彼は、話と観客による議論を通して、真剣に考えるべき問題を提起します。現在の民主主義では、売りに出されるものがあまりにも多いのではないか、という問いです。

Michael Sandel teaches political philosophy at Harvard, exploring some of the most hotly contested moral and political issues of our time.

 

1 私達の社会の中でお金と市場の役割はどうあるべきでしょうか

皆で共に考え直すべき問題があります。私達の社会の中で お金と市場の役割はどうあるべきでしょうか。現在 お金で買えないものは ほとんどありません。仮にカリフォルニア州 ― サンタバーバラで懲役刑を言い渡されたとします。普通の監房が 気に入らなければお金を出して 部屋をアップグレードできることを知っておくといいでしょう。これは本当の話です。いくら位だと思いますか? 500ドル? 高級ホテルじゃなくて刑務所ですよ! 1泊で82ドルです。もしテーマパークに行って 人気のアトラクションで長い列に 並びたくなければ いい方法があります。多くのテーマパークでは追加料金を払うと 列の先頭に行けるのです。ファスト・トラックとかVIPチケットと言います。

 

2 公聴会に参加したいが並びたくない人向けに行列代行会社がある

この仕組はテーマパークだけではありません。首都ワシントンでも 議会の重要な公聴会では 長蛇の列になることがあります。でも並びたくない人もいます。徹夜になるかもしれないし ― 雨が降ることもありますから。だからロビイストや 公聴会にぜひ参加したいけれど 並びたくない人向けに業者がいるのです。行列代行会社です。これを利用してはどうでしょう いくらか支払えば その会社がホームレスや仕事が欲しい人達を雇って どれだけ時間がかかろうと列に並ばせます。そして公聴会が始まる直前にロビイストが 列の先頭にいるその人達と入れ代って 会場の前列に陣取るのです。雇われて列に並ぶのです。

 

3 市場の原理や考え方、解決法を取り入れる分野が広がりつつある

市場の原理や考え方 解決法を 取り入れる分野が 広がりつつあります。戦争を例にとりましょう。イラクやアフガニスタンでは アメリカ陸軍の兵士より民間軍事会社の方が 多く展開していたことをご存知ですか? 戦争を私企業に外注するかどうかを 公に議論したわけでは ありません。でも それが実態でした。

 

4 市場社会とはほぼすべてのものに値段が付く社会

過去30年以上に渡って 私達はいつの間にか革命の中で生きてきました。気付かないうちに市場経済が 市場社会へと 拡大してきたのです。両者にはこんな違いがあります。市場経済は 生産活動を組織する重要で有効なツールです。一方 市場社会とはほぼすべてのものに 値段が付く社会です。市場社会とは一種の生活様式で 市場的な考え方や価値が 生活のあらゆる側面を支配します。人間関係や家庭生活健康や教育 ― 政治や法律や市民生活を左右します。

 

5 市場社会になることに不安を感じる理由:不平等

では なぜ私達は市場社会になることに 不安を感じるのでしょうか? 2つ理由があると私は思います。理由の1つは不平等に関するものです お金で買えるものが増えれば増えるほど ― 裕福か そうでないかがより重要になります お金で手に入るものが ヨットや優雅なバカンスやBMWに限られるなら 不平等も さほど大きな問題にはなりません ところがお金で手に入るものが次第に 豊かに暮らすために不可欠なものにおよび ― 一定水準の健康保険や最高レベルの教育 ― 政治的発言力や選挙戦での影響力までもが お金に左右されるようになると 不平等は非常に大きな問題になります すべてを自由市場化すれば 不平等が社会や市民生活に与える痛みは ますます激しくなります これが不安な理由の1つ目です。

 

6 市場社会になることに不安を感じる理由:規範の喪失

不平等に関わる不安の他にも もう1つ理由があります。それは ― 社会的なものや慣習には 市場的な考え方や市場価値が導入されたとたんに 意味が変わってしまうものがあって 大切にする価値のある態度や規範が 失われるかも知れません

 

7 インセンティブとして子どもにお金を与える

こんな例をあげましょう。よく議論になる市場原理の利用のひとつ ― インセンティブとしてのお金です。皆さんは どう考えるでしょうか。多くの学校では子どもの意欲を高めることに 苦労しています。とりわけ恵まれない環境で育つ子ども達が 熱心に勉強し 学校にうまく適応することを目指しています。一部の経済学者は市場原理による解決を提案しています。インセンティブとして子どもにお金を与えるのです。成績やテストの得点が良かったとか 本を読んだことへの報酬です。これは実際に試されています。アメリカでは いくつかの実験が主要な都市で実施されています ニューヨーク シカゴワシントンD.C.での実験では 成績がAなら50ドル ― Bなら35ドルを与えました。テキサス州ダラスのプログラムでは 8才の子どもに本を1冊読む度に2ドルを与えました。

 

8 お金を与えて成績向上を促すことには賛成の人も反対の人もいる

ここで考えてください。インセンティブとして お金を与えて成績向上を促すことには 賛成の人も反対の人もいます。皆さんはどう考えるでしょう。自分が大都市の学校教育組織のトップで そんな提案が持ち込まれたとします。相手は とある財団で資金も出してくれます。自分達が支出する必要はありません。試行に賛成の人と 反対の人は それぞれどのくらいでしょう? 手を挙げてください。まず 試す価値があると思う方は? 手を挙げてください。反対の方は どのくらいいますか?反対する人の方が多いですが 賛成の方もかなりいますね。では検討してみましょう。先に反対の立場の方 ― 試行も認めないという方に聞きましょう。反対する理由は何でしょう? 誰から始めますか?どうぞ。

 

9 反対理由:動機の本質を損なう

Heike Moses: こんにちはハイケといいます。お金は動機の本質を損なうと思います。子どもが本を読みたいと思うならそんなインセンティブは 与えるべきでないと思います。子どもの行動を変えてしまいますから。 Michael Sandel: インセンティブを与えてはいけないということですね。では動機の本質とは何ですか?または どうあるべきでしょう? HM: 動機の本質は 学びであるべきです。 MS: 「学び」とは?HM: 世界を知るということです。それにお金を与えるのを止めたらどうなるでしょう? 読書も止めるのでは?

 

10 賛成理由:お金をやめても読み続けるかを実験する

MS: なるほどでは次に賛成する方 ― 試す価値があると思う方は? Elizabeth Loftus: エリザベス・ロフタスです。試す価値と言う位ですからまず試してみて 実験をしていろいろ調べてみたらどうでしょう。 MS: 調べるというと何を調べるんですか? EL: 子どもが何冊読んでいて ― お金を与えるのを止めても どの位 ― 読み続けるか です。 MS: お金を止めた後もですね。どう思いますか? HM: 気にさわったらすみません。でも率直に言っていかにもアメリカ的なやり方です(笑)(拍手)

 

11 実験結果はほとんどの場合成績は向上しなかった

MS: この議論で明らかになったのは こんな論点です。「お金というインセンティブのせいでより高い動機 ― つまり子どもに伝えたい本質である ― 進んで学ぶことや自分のための読書が 追い出され 腐敗し ― 失われるのではないか?」 効果については意見が分かれるでしょうが 疑問として残るのは 市場原理や インセンティブとしてのお金が間違ったメッセージを伝えるとしたら 教わった子ども達がその後どうなるかです。先程の実験の結果をお話ししましょう。成績に応じてお金を与える実験では明確な結果は出なかったのですが ほとんどの場合成績は向上しませんでした。1冊の読書に2ドル与えた実験では 子ども達がより多く本を読むようになりました。ただし薄い本を選ぶようにもなりました(笑)。でも本当に知りたいのは この子ども達が将来どうなるかです。読書は面倒な雑用で 報酬目当ての作業だと考えるでしょうか? あるいは間違った理由がきっかけでも 結局は読書自体が好きになるのでしょうか?

 

12 市場はどの領域で大切な価値や態度を傷つけるのか

こんなに短い議論でも多くの経済学者が 見過ごしがちなことが明らかになります。経済学者は こう考えがちです。市場は取り引きされるものに 影響を与えないしそれを汚すこともない。市場で取り引きされるものの意味や価値は 変化しないと 彼らは考えます。対象が物的財貨の場合は 確かにその通りでしょう。薄型テレビなら 私に売ろうが 私にプレゼントしようが 全く同じ商品です。どちらにしろ機能は同じです。でも物的財貨ではない場合や 社会的慣習 例えば ― 教育や学習や市民生活での共同作業には 当てはまりません。そういった分野では市場原理や お金によるインセンティブが 市場に属さない大切な価値や態度を傷つけ ― 排除するかも知れません。市場や商業が 商品の次元を越えて もの自体の性質や 社会的慣習の意味を変え得ることを 教育や学習の例で見てきました。それがわかったら次に こう問うべきです。市場は どこに属すべきか ― なじまない領域は どこか ― 市場は どの領域で 大切な価値や態度を傷つけるのか。ただし この議論を進めるには 私達が苦手とすることをしなければなりません。私達が重んじる社会的慣習の価値と意味について 公の場で共に検討することです。そこで検討するのは 私達の身体や家庭生活 ― 人間関係や健康 ― 教育や学習 市民生活などです。

 

13 物議をかもす問題なので誰もが避けがちな話題

どれも物議をかもす問題なので 誰もが避けがちな話題です。実際に過去30年間 ― 市場の論理や考え方が 勢いを増し権威を持つようになり 一方で 公の議論は 骨抜きにされ より大きな道徳的意味を失っていきました。私達は対立を恐れるあまりこれらの問題を避けています。でも市場がものの性質を変えてしまうことを 理解した瞬間に ものの価値を評価するというより大きな問題を 皆で議論する ― 必要に迫られるのです。

 

14 あらゆるものに値段を付けたときに深刻な害を被るのは共通性

あらゆるものに値段を付けたときに ― 深刻な害を被るのは 共通性 つまり ― 皆が一緒にいるという感覚です。広がる不平等を背景にして 生活のあらゆる側面を自由市場化することで 裕福な人とそうでない人が 次第に離れて生活する状況が生じます。私達は別々の場所で暮らし 働き ― 買い物をし 遊ぶのです。子ども達は別々の学校に通います。

 

15 民主主義は市民が共通の生活を共に送る必要がある

これは民主主義にとって良くない状況です。満足できる生き方でもありません。それはお金を払って列の先頭に行くことができる ― 人々にとっても同様です。なぜなら ― 民主主義には完全なる平等は必要ありませんが 市民が共通の生活を 共に送る必要があるからです。大切なことは 様々な社会的背景を持つ 様々な階層の人々が 普段の暮らしの中で 顔を合せたり 知り合ったりすることです。そうなれば私達は お互いの違いを乗り越え受け入れられるようになります。こうして皆に共通する善が維持できるのです。

 

16 私達がどう共に生きるかという問題

だから結局は市場の問題の中心にあるのは 経済の問題ではありません。本当は 私達がどう共に生きるかという問題です。私達はすべてに値段が付く社会を望んでいるのでしょうか? それとも 市場では尊ばれない道徳的で社会的な ― お金で買えないものがあるのでしょうか。ありがとうございました。

 

最後に

市場の問題の中心にあるのは経済の問題ではない。私たちがどう共に生きるかという問題である

和訳してくださった Kazunori Akashi 氏、レビューしてくださった Ichiro Nishimura 氏に感謝する(2013年10月)。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>