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年功序列制の廃止と各省庁による再就職の斡旋禁止 公務員制度改革の肝

前回は、長期試算、歳出増加、低成長率、高金利 増税の前提と埋蔵金の全貌についてまとめた。ここでは、年功序列制の廃止と各省庁による再就職の斡旋禁止 公務員制度改革の肝について解説する。

選挙の洗礼を受けた竹中大臣に政治家は

竹中平蔵氏が選挙の洗礼を受けた後、素直に竹中氏の政策に耳を傾ける議員が増えた。与野党問わず、選挙の洗礼を受けた後は苦労を共にした仲間、これが政治家の見方なのである。

竹中大臣が2004年の参院選に立候補し、参議院議員になったのは「君、バッジをつけなければ法案は通らない。郵政民営化のために立候補してくれ」と、小泉総理から強く説得されたからである。

選挙戦直前まで迷っていたが、いざ出ると決めたら別人のように選挙戦を戦った。結果は、72万票あまりをとって比例代表のトップ当選。竹中氏が集票したおかげで、自民党は2人多く当選した。政界では一般の人が考える以上に票の力は大きい。国民の支持が集まれば集まるほど発言力も増すのである。

 

安倍政権前夜の勉強会で

2006年9月18日、自民党総裁選の投開票日二日前に「安倍官房長官と相性の合う人材を探すための勉強会」が開催された。これは、竹中氏が著者に依頼をし、セッティングをしたものである。この日に安倍氏を迎えたのが、竹中氏をはじめ、政策研究大学院大学教授・大田弘子氏、国際基督教大学教授・八代尚宏氏ら、その後の安倍政権の方針に大きな影響を与えた人物だった。

 

「戦略は細部に宿っている」

「戦略は細部に宿っている」竹中氏がよく話していた言葉である。公募募集要項の「所属の長を経由して」応募するという文言、これだけで各省庁の人事当局の影響を大きくすることができるのである。

2006年9月21日、新総裁に就任した安倍氏は、内閣総務官室を通じて、課長・企画官級の総理官邸スタッフを10名、霞ヶ関から公募すると各省に通達した。募集要項には「公募する職員は各省との連絡調整ではなく、総理の指示による特定の政策課題の企画立案を担当する」と強調されており、政権の続く限り出身省庁には戻さない旨が書かれていた。

結果として、真の意味で公募に応募し、安倍総理と「殉死」したのは著者だけだった。採用された他の9人はみな各省庁の推薦で、安倍政権が倒れて後、全員、出身省庁に戻った。公募による自由任用は、政権と運命をともにし、次の政権では公務員の身分も失う政治任用とは異なり、古巣に戻る道は残されていたのだった。

 

小泉総理も着手できなかった改革とは

小泉総理も着手できなかった改革とは、公務員制度改革である。小泉政権の最優先課題は郵政民営化であり、これを成就させるには優先順位があるというのが小泉総理の考えだった。

ただし、公務員制度改革が全く行われていなかったわけではなく、小泉政権時代にも中馬弘毅行革大臣がまとめ、2006年9月に提示された「新たな公務員人事の方向性について」がある。公務員の人材バンクの創設や、官民交流、行為規制などを盛り込んだ「中馬プラン」である。著者はこの案を土台に、ブラッシュアップさせていた。

 

改革をリードした幹事長

当初、閣内ではあまり重視されていなかった公務員制度改革に熱心だったのが、自民党の中川秀直幹事長である。中川幹事長を中心に、第一次安倍内閣で行政改革担当大臣を務めていた佐田玄一郎議員は、国体、議運畑を歩んできた党人派で、党と一体になって行革を進めるという方針だった。

それに応えた中川幹事長が、佐多行革相、党参院幹事長として「片山プラン」を出すなど公務員制度改革に取り組んできた片山虎之助氏、党行革事務局長の林芳正参院議員の3人を集め、その席で公務員制度改革に本格的に取り組む方針が決まった。「中川プラン」の骨格をなしていたのは、国家公務員改革とともに地方公務員改革であった。

 

公務員制度改革の肝とは

公務員制度改革の肝は、年功序列制の廃止と各省庁による再就職の斡旋禁止である。著者らが民間議員ペーパーとして、2006年12月7日の諮問会議にあげた内容を、以下に引用する。

公務員制度についても、労働市場改革(労働ビッグバン)と整合的な改革が必要である。オープンな公務員制度を確立し、官民の優秀な人材が幅広く参加する新しい政府を、国、地方ともにつくっていく必要がある。

また、「天下り」や、過度の身分保障、年功賃金などを見直し、民間並みの合理化を実現しなければならない。他方、優れた国政には、優秀な行政官が必要である。メリハリの利いた給与体系を構築し、優秀な人材を確保・育成・処遇しなければならない。

公務員制度改革について、特に重要なのは、以下の点である。公務員制度改革担当大臣におかれては、これらの点を踏まえて検討を深め、来年早々にも経済財政諮問会議にご報告いただきたい。

なお、地方自治体についても、同様の取り組みが必要である。

  1. 「新たな公務員人事の方向性について」(中馬プラン)における官民間の人材移動を抜本的に拡大する、という方向性は重要である。ただし、以下の点を修正して制度設計することが必要である
    1. 国家公務員制度全体をパッケージとして見直すことにより、国家公務員の再就職を「天下り」ではなく、その能力や技術を活かした通常の転職とすべきである。特に、利益誘導や省益追求の背景となってきた各省庁による再就職斡旋を禁止すべきである。併せて円滑な転職を可能とする環境整備を行うことが重要である。
      1. 一定の再就職準備期間や、希望者は定年まで働けるスタッフ棒給表(年功賃金的性格の薄い給与制度)を創設する
      2. 政府全体で一元化された窓口で、民間の再就職支援サービス等と連携して、公務員の希望と求人をマッチングさせることが必要である。現在の人材バンク機能を、2年間程度の移行期間内に強化すべきである
      3. 若い時点から官と民の垣根を低くするキャリアシステムを構築し、大学・民間等でも活躍できるようにすべきである
    2. 現行の2年間の再就職規制の完全な撤廃には、2年程度の経過期間を設け、その間に新たに導入する行為規制を厳しく執行して、その定着を図るべきである
    3. 現在の「国と民間企業の間の人事交流に関する法律」は、一時的な交流を想定した法律となっている。これを抜本改正し、官民間の人材流動化の障害となっている諸制度(給与・年金・退職金など)を官民のイコールフッティング(同等条件)実現の観点から見直すべきである
      1. 公務員の賃金や退職金の勤続年数に比例した上昇ペースを抑制し、民間への転出が著しく不利にならない状況を整える。民間の優秀な人材の受け入れの障害とならない給与制度など
  2. 国際比較も勘案しつつ、警察、自衛隊等を除く国家公務員、地方公務員に対して労働基本権を付与する方向で真剣に検討すべきである。それに伴い、人事院、人事委員会もその存廃も含めて検討し、民間と同等の労使協議制を導入することを検討してはどうか。併せて、公務員の身分保障をなくすとともに、公務員を雇用保険の対象とすべきである。また、現在、公務員の給与水準の決定にあたっては、国や自治体の財政事情を勘案することになっていないことから、その見直しを行うべきである。地域に勤務する公務員について、地域の民間の給与水準の反映が十分とはいえないことから、その見直しも必要である
  3. 多様化・高度化する国民のニーズに的確に対応する意欲あふれた公務員を育成するには、年功序列システムを壊し、能力・実績主義を重視して、年齢にかかわらず優秀な人材を登用・処遇する人事・給与制度へと移行すべきである。その際、国際機関で活躍できる人材についても、積極的に育成し、適切に処遇すべきである

 

日本の役所だけに見られるいびつな制度

省庁ではポジションも、給与も入省年次で決まる。年次による年功序列は聖域となっている。年功序列を全面的に否定はしないが、企画など能力が問われる仕事では、年次を基準にするのはおかしい。さらに、年功序列は終身雇用と天下りにつながっている。

年功序列とは、どんなに無能であっても全員に、ある年齢までは一定の所得を保障するという制度に他ならない。役所を辞めざるを得なくなった者にも、それなりの給与を保障しなければならないのである。そこで、人事課が役所の子会社ともいえる特殊法人、独立行政法人などに再就職を斡旋する。これが役人の天下りが横行する基本構造なのだ。

ただし、禁じるのは各省庁による斡旋である。民間企業への再就職や独立行政法人への天下りとはいえ、高い能力を持った役人がいけば経営がうまくいく。問題は、能力のない人間が天下るために血税が使われていることなのである。

そこで、年功序列制を廃止して能力主義を導入し、能力に見合った棒級を与える制度に変えようという案が骨子である。

 

自民党内の党人派と官僚派の文化の違い

自民党内の党人派の多くがこの改革案に賛同してくれた一方で、官僚派のほぼ全員が反対であった。反対する官僚派の代表的な理由は「公務員制度改革をすると、優秀な人材が集まらなくなり、国家の損失につながる」であった。

しかし、そもそも天下りというシステムのために官僚になろうと思う若者はほとんどいない。2008年度の国家公務員採用Ⅰ種新卒職員へのアンケート結果によれば、「仕事にやりがいがある」約73%、「公共のために仕事ができる」約72%に対し、「堅実で生活が安定している」約8%、「給与等の勤務条件がよい」約1%強であった。純粋に国の政策に携わりたいと思って官僚を目指すのであって、初めから落後した後のことを考える者はほとんどいない。

そもそも日本の天下りは、公務員が急増した昭和初期から増え、組織的に役所が面倒を見るシステムは、いわゆる1940年体制で確立された。戦時統制経済期に、直接・間接に軍事に関係した特殊会社、国策としての経済統制機関・金融統制機関が相次いでつくられ、国策に沿った形で官界から人材が送り込まれたのが発端である。

そして、戦後の官僚機構・特殊法人の拡大とともに、公務員の再就職先として人事政策の一環になっていった。人事の一環になると、急に止めることが難しくなるのである。

 

安倍政権の崩壊を招く引き金になった会話

今の官僚システムでは国家の損失につながる」といった著者の持論に対し、安倍総理は「そういう改革はいいね」と答えた。しかし、このときの会話が、後に安倍政権の崩壊を招く引き金になろうとは予想だにしなかった。

著者の持論とは、現代の若い人たちの志向や、霞ヶ関に有能な人材を集めるという観点からみて、望ましいのは「出入り自由(リボルビングドア)」なシステムだというものである。現代の若い人たちが就職にあたって重視するのは、正当に能力を評価してくれるかどうかである。その意味で、役所と民間の制度を同等にし、積極的な官民交流が行われるような仕組みにすることが必要だとするものである。

 

居並ぶ大臣のほとんどが役人を代弁

2006年12月7日、公務員制度改革のペーパーを諮問会議で提起されると、出席した閣僚5名中3名から否定的な意見が出た。出席していた閣僚は、佐田玄一郎行革大臣、菅義偉総務大臣、尾身幸次財務大臣、甘利明経済産業大臣、塩崎恭久官房長官だったが、批判したのは佐田氏、尾身氏、甘利氏であった。

まず、佐田氏が斡旋の禁止や雇用保険加入について難を示し、続いて尾身氏や甘利氏も斡旋禁止について相次いで反対の意を表明した。キャリアの一大関心事である人事権限に斬り込む案に対して、閣僚も反対したのである。

 

渡辺行革大臣に渡らなかった「べからず集」

しかし、風向きは変わった。2006年12月27日、佐田行革大臣が政治資金収支報告書の虚偽報告問題で辞任を表明したのである。その日の深夜、安倍総理の側近から著者に一本の電話があり「渡辺(嘉美)さんに決まったから、よろしく」とのことだった。

「べからず集」とは、大臣の就任の記者会見において、役所にとって都合の悪い事態を招かないために渡す答弁集である。しかし、この答弁集は渡辺行革大臣に渡ることはなかった。むしろその対策として、事前に著者と打ち合わせをしていたことで、公務員制度改革などについて多いに語る会見となった。

 

大臣と異なる方針を新聞にリークする役人

自分たちに都合のいい情報をリークし、マスコミに報道させ、既成事実にして政策を意図する方向に導く、これは霞ヶ関の常套手段である。公務員制度改革においても、渡辺行革大臣の方針とは異なる記事が掲載された。そこで、著者は大臣に「仕事始めの日に、こんな記事を流した役人たちを一喝してください」と話し、実際に行われ、その場は緊迫した空気が漂った。

 

政府税調会長のスキャンダルで匂う謀略

12月7日の諮問会議が終わった直後、政府税制調査会会長に任命された本間正明氏のスキャンダルが報道された。12月11日発売の『週刊ポスト』の記事によると、「本間は正式に結婚していない女性と格安の都内原宿の公務員宿舎で一緒に暮らしている」と。しかし、そもそも多くのマスコミ関係者は、大阪大学教授の本間氏が女性と公務員宿舎に住んでいることを知っており、なぜこのタイミングかと思われた。

その背景を想像するに、本間氏が政府税調の抜本的な見直しを唱え、機構的にも改革をする構想を掲げたことである。それまで事実上、財務省主税局に置かれていた政府税調の事務局を内閣局に移し、税調会長室も新設、内閣府と財務省、総務省から会長補佐官を任命する。政府税調の会合も、総会は官邸に、それ以外は内閣府に移行し、さらに委員も刷新する。そうして、名実ともに総理の諮問機関とする。これが、本間氏の方針だった。

この方針は、財務省からすれば、到底容認できない改革である。審議会事務局の「庶務権」が官僚の力の源泉 秘密のアジトはビルの一室でも述べたように、政府税調は財務省の司令塔をもぎ取られるのと同じだからだ。

法令的にも、本間氏の理屈のほうが通っている。政府税調は税制を討議する機関である。税金には地方税と国税があり、所管は総務省と財務省の2つにまたがっている。此のような場合、法令では内閣府に事務局を置くと定められているのである。むしろ、財務省主税局が事務局を独占していたことこそが、法令の趣旨とは違う。著者は直感的に、このときの恨みが関係しているのではないかと思ったのである。

 

役所を激高させた安倍総理の慣行破り

永田町・霞ヶ関の慣行では、閣議に諮る前に、各省庁のトップが集まる事務次官等会議にかけることになっていた。そして、事務次官等会議ではねられた案件は、閣議にはかけられなかった。しかし、安倍総理は事務次官等会議で公務員制度改革に関連する質問主意書の政府答弁が反対されたにもかかわらず、「閣議に諮りたい」との意向を示したのである。

しかし、そもそもこれは慣行にすぎず、規則違反でもなんでもない。しかも、閣議よりも事務次官等会議が格上で、事実上、事務次官等会議が政策の決定権を握っているともいえるため、存在自体がおかしいのである。

 

記事にならなかった総理の快挙

こうした安倍総理の政治主導の快挙にもかかわらず、翌日の新聞は事の経緯を一切報道しなかった。その理由は3つ考えられる。

第一に、役人の情報操作である。表面上は「政府案は天下りバンクの創設にすぎない」との民主党のプロパガンダに新聞が乗った形になっているが、その裏では、霞ヶ関が民主党と結託して、批判記事を書かせたと推測される。

第二に、マスコミ各社の自主規制である。新聞各社にとって、霞ヶ関は欠かすことのできない情報源である。各省庁には記者クラブが設けられていて、役所が場所も情報も提供している。役所の意向に反する記事を書くと、締め出されて情報が入ってこなくなる恐れがあるからである。

第三に、マスコミの反体制、反権力のポーズである。マスコミ人には左翼主義的な思想を持つ人が多い。体制批判は、現政権に欲求不満を感じる大衆にも受けがいい。そこをうまくついて、役所に都合のいい記事を書かせるのである。

 

民主党案の重大な欠陥

民主党案の公務員制度改革には重大な欠陥がある。天下りの全面的禁止を述べるだけで、年功序列制について何も言及していないことである。

年功序列制を残したままで、天下りを全面禁止すればどうなるか。再就職できないのだから、全員、定年まで役所にしがみつくことになる。しかも、年功序列制を残したままだとすれば、結果的に公務員の数は膨れ上がり、高給取りが増え、人件費が巨額になるのである。

人材バンクを設立する理由は、役人に自分の市場価格を自覚してもらい、能力主義への移行をスムーズに進めるためである。役人はみな例外なくエリート意識を持っているが、能力が伴っていない者もいる。だからこそ、役人には一度客観的な評価を受けて、意識を変えてもらう必要があるのだ。

 

最後に

公務員制度改革の肝は、年功序列制の廃止と各省庁による再就職の斡旋禁止である。年功序列制の廃止によって抜擢人事と人件費の抑制ができ、各省庁による再就職の斡旋禁止(人材バンク創設)によって能力主義への移行をスムーズに進めることができる。

マスコミには役人の情報操作、自主規制、反体制・反権力のポーズが入り込む余地がある。複数の情報源を得て、「誰が得する情報なのか」で判断すればいい。本質は単純

次回は、「政府や役人も間違える」必要なのは確認態勢 消えた年金と改革路線についてまとめる。

さらば財務省! 政権交代を嗤う官僚たちとの訣別 (講談社プラスアルファ文庫)


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