前回は、政治家も官僚も国益のために尽くす政府を作ること 脱官僚とは何かについてまとめた。ここでは、つまずきの始まりは天下り人事 司令塔なきゲリラ戦だった民主党について解説する。
「事務次官会議の廃止」で好スタート
民主党が行った「事務次官会議の廃止」は、政治主導という意味で大きな意味を持つ。事務次官会議を廃止することで、全部局の同意を前提とするボトムアップ型の意思決定システムを、政治家同士が議論して方針を決定するトップダウン型に変えることを目指したのである。
そもそも事務次官とは、国家行政組織法に基づいて各省におかれるポストであり、各省の官僚トップである。しかし、事務次官会議(全省の事務次官が一堂に会する会議)には何の根拠もない。あくまで慣習として、内閣制度発足翌年の明治19年(1886年)から続いてきた。ここでのポイントは、総理以下、各大臣が勢揃いして閣議で決定する案件は、必ず前日の事務次官会議で全会一致で了承されなければならない、という不文律があったことである。全会一致で了承されるために各省では水面下で取引が行われ、事務次官会議にかけられるときには一変の余地もない状態になっている。さらに、その上の段階の閣議において、変更を議論することはほとんどなかったのである。
なお、民主党はマニフェスト2009において、以下のような脱官僚の5原則と5策を明示している。事務次官会議の廃止もこのマニフェストの一環である。
- 官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ:政務三役会議
- 政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ:閣僚委員会、事務次官会議の廃止
- 各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ:国家戦略局
- タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆の社会へ:幹部人事制度
- 中央集権から、地域主権へ:行政刷新会議
二枚看板「国家戦略局」「行政刷新会議」が始動
政権発足直後に実行された第二の柱が、国家戦略局と行政刷新会議の設置である。国家戦略局とは、総理直属で官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する機関である。法整備の関係で国家戦略「室」となったが、国家戦略担当大臣を設けるなど、政権の目玉であることを明確にしていた。
行政刷新会議とは、国民的な観点から行政全般を見直す、すべての予算や制度の精査を行い、無駄や不正を排除するというものである。このような会議は、自民党政権でも中曽根内閣の土光臨調(第二次臨時行政調査会)の成功以来繰り返し作られている。
内閣発足時に実現した3つ目の項目が、政府・与党二元体制の廃止である。かつての自民党政権では、例えば法案を閣議決定するプロセスであれば、政府内の意思決定と並行して、自民党内での法案審査が行われた。党の政務調査会の下に、国土交通部会、厚生労働部会などの部会が設けられ、まずは部会で了承を取り付け、さらに政務調査会、総務会の了承を得ない限り、政府として閣議決定できない仕組みだった。そこで、民主党は従来あった党の政務調査会を廃止し、「族議員」を生まないシステムを目指した。
「政務三役」の奮闘
政務三役とは、大臣・副大臣・政務官のことである。こうした役職は以前から存在したが、自民党政権ではほとんどの場合チームとして機能していなかった。その理由は、副大臣や政務官の任命にあたって各派閥の意向が重視され、その上司にあたる大臣の意向が全く反映されなかったからである。民主党はその失敗に着目し、「政務三役」をチームをして稼働させることを重視したのだ。
つまづきの始まりは「天下り人事」
民主党は「天下り根絶」を強く訴えていたが、問題点が2つあり、実質的に多くの天下りを容認してしまった。問題点の1つは、天下りが圧倒的に多いのは公益法人にもかかわらず、公募の対象が独法・特殊法人の役員(顧問・参与などは含まず)だけに限定されていたことである。もう1つは、公募が天下りを正当化するプロセスになりかねないことである。現在の天下り役員ポストの役割は「所管官庁とのパイプ役」であるが、その役割自体の必要性について問い直すことがなかったのである。
民主党が認めてしまった天下りには、日本郵政をめぐる一連の人事と、日本損害保険協会副会長ポストの人事がある。日本郵政社長に斎藤次郎・元大蔵事務次官を充て、副社長に坂篤郎前官房副長官補(旧大蔵省出身)と足立盛二郎元郵政事業庁長官(旧郵政省出身)を起用した。また、人事院総裁ポストには、国会同意人事の候補として江利川毅前厚生労働事務次官が提示され、国会同意が成立して任命された。さらに、日本損害保険協会副会長に元国税庁長官の牧野治郎氏を就任させたのである。このポストは、従来から財務省の固定天下りポストだった。
「事業仕分け」は脚光を浴びたものの
天下りでこれだけの大失態があったが、2009年11月にスタートした「事業仕分け」が評判を呼び、批判がかき消された。事業仕分けとは、NPO法人の構想日本(加藤秀樹代表)が、行政のムダ削減のため地方自治体を中心に02年から実施してきた取り組みである。各予算項目の必要性について、公開の場で仕分け人数名が行政の担当職員と議論し、最終的に仕分け人の挙手採決により「不要」「別の主体が実施すべき」「内容を改善すべき」などと仕分けていくものである。
国民の関心と支持を得た一方で、批判もあった。1つは、仕分け現場での議論の中身がパフォーマンスだとするものである。特に、スーパーコンピュータ開発など先端技術関連予算が削られたことに対して「二位ではダメなのか」といった発言が大きな話題となった。もう1つは、運営が財務省主導というものである。そもそも、対象となった447事業の選定を財務省が決めているといったものである。
結果として、事業仕分けによる予算削減はわずか7000億円程度で、当初予定されていた3兆円超の4分の1にも満たなかった。そのため、民主党がマニフェストに掲げた政策は約束どおりに実行されなかった。
小沢主導は「ニセモノの政治主導」
民主党が実施できなかった典型的な政策に、ガソリン税暫定税率の実質維持がある。この決定プロセスは、小沢民主党幹事長が党の要望(重点要望)として持ち出したものであり、陰の権力者による密室での政策決定になってしまったのである。さらに、選挙戦術優先の立場で判断されており、選挙で民主党を支援しなかった団体の予算は大きく削り、一方で支持母体として期待できる分野への予算は増額といった傾向が顕著に見られた。
「普天間」と「天皇会見」で政治主導が暴発
鳩山内閣は普天間基地移設問題と中国の周近平国家副主席との天皇会見問題も起こした。鳩山代表(当時)が「県外・国外移設が望ましい」と発言するなど、日米合意見直しに傾斜する姿勢を見せて、その後迷走した。
天皇会見問題では、30日ルール(外国要人が天皇との会見を求める場合、30日前までに会見を申し込むことが求められる)を破って、会見実現を働きかけた鳩山総理や平野官房長官の対応に、羽毛田信吾宮内庁長官が異例の批判会見。これに対し、小沢幹事長が「日本国憲法、民主主義というものを理解していない人間の発言としか思えない」と強烈に批判して騒ぎとなった。こうした「国民の選んだ内閣だから、天皇に何をさせても自由」といった発言は、天皇を政権の外交の道具として利用するという「象徴」としての地位を脅かすものである。
司令塔なきゲリラ戦の迷走
こうした民主党政権を総括すると「司令塔なきゲリラ戦」といえる。その原因は以下の2つが挙げられる。1つは、司令塔不在である。予算編成、ムダ削減、外交など、いずれの局面でも官邸が大戦略を示すことができていない。もう1つは、各大臣らがそれぞれの省内の官僚機構を掌握しきれていないことである。これは、幹部官僚の手綱を握る仕掛けを用意しなかった官邸の責任が重大である。
真っ先に国家戦略室を「局」に格上げし、人員を増強し、これが司令塔となって予算を編成する体制を整えておけば、違った結果になっていただろう。事業仕分けにおいても、「政務三役&事業仕分けチーム」vs.「官僚機構」と位置づけるべきが、戦略不足で「財務省(政務三役・官僚)&事業仕分けチーム」vs.「事業所管省(政務三役・官僚)」になってしまった。
さらに、国会法の制約という問題もあった。国会法には「兼職禁止」規定と呼ばれる条文がある。「国会議員は、大臣や副大臣・政務官など特定ポストを除いて、原則、政府の役職を兼務できない」という内容で、三権分立と議院内閣制の折り合いをつけている条文である。国会法を改正しない限り、事業仕分けチームも国家戦略室も行政刷新会議も、政治主導の司令塔になることはできないにもかかわらず、鳩山内閣は実行しなかった。
消え去った「局長以上は辞表」プラン
官僚機構を掌握できなかったというのは、「局長以上は辞表」プランが実行されなかったことが大きい。2009年2月、当時民主党幹事長であった鳩山氏が表明したもので、「局長クラス以上には辞表を提出していただき、民主党が考えている政策を遂行してくれるかどうかを確かめる」というものである。幻の公約ともいわれ、結局民主党のマニフェスト2009には載せられなかった。
現実に鳩山内閣が行ったことも、このプランと正反対だった。政権発足後、次官や局長ら幹部官僚は、結局、全員自動的に留任となった。また、設立されたばかりの消費者庁の初代長官ポストも、麻生内閣で指名されていた元内閣府事務次官の内田俊一氏(旧建設省出身)をそのまま任命した。さらに、政治任用の「特別職」ポストも前政権で就いていた人たちをそのまま留任させたのである。
総理が「優秀な官僚の皆様を尊敬」していたのでは
幻の公約が消し去られた理由は、鳩山総理が「優秀な官僚の皆様を尊敬」していたからではないだろうか。これは、鳩山総理が内閣発足直後の9月18日に、全事務次官を官邸に集めて行った挨拶から推測される。「官僚の皆さん、特にトップになられておられる事務次官の皆さん方に対する尊敬の気持ちは、変わりません」「皆様方の優秀な頭脳を100%使い切っていただきたい」というものである。
これを民間企業にたとえれば、経営破綻しかけた企業に新しい経営陣が乗り込んだときに、部長クラスの幹部に対して「前の経営陣はダメだったが、優秀な皆さんのことは尊敬」と言うようなものである。もちろん優秀な人もいるだろうが、ダメな人もいるだろう。真っ先に行うべきことは、使える人間の選別を冷徹に行って人事刷新をすることである。
たしかに現行の国家公務員法では、事務次官以下の「一般職」公務員には身分保障の規定があって、特段の事由がない限り、免職、降格、減給などはできない。しかし、本気でやる気があるのなら、法改正して身分保障規定を緩和すればよいだけである。こうした案は、自民党の中川秀直元幹事長やみんなの党の渡辺喜美代表らも以前から提唱しており、過去にも次官ポストは政治任用ポストとされたことさえある。こうした議論を行わなかったことが、鳩山内閣がつまづいた大きな要因である。
最後に
鳩山内閣の失敗の原因は、戦略とそれを実現させる戦術への見通しの甘さに尽きる。司令塔を作り、官僚機構の手綱を握れ。
次回は、安倍政権での天下り規制への着手 自民党による公務員制度改革1についてまとめる。
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