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自分への投資は消費 いまを取るか、未来を取るか 消費と投資

前回は、強いアジア、弱いアジアとしてアジア経済の裏表についてまとめた。ここでは、いまを取るか、未来を取るかとして消費と投資について解説する。

1 「自分に投資すること」は消費なのか?

消費とは「費して消えてしまう」ものである。例えば、1万円で寿司を食べる、1万円で英会話を習うというのは消費である。反対に、将来のリターン(利益)を見越してお金(資本)を投下することが投資である。例えば、企業が工場を建てるとか新製品を作るための機械を買うというものである。

つまり「自分に投資すること」は消費である。この消費分をやめて何らかの企業に資本を投下し、その企業が将来価値を生み出せば投資となる。

経済全体で見ると、どれだけの資本が消費をあきらめることによって投資されたかが重要である。つまり、個人としてのお金の流れでなく、将来のリターンを見越してお金を投資する人が増えることがポイントである。

 

2 消費と投資—いまを取るか未来を取るか

いまある価値を使うものが消費、将来の価値を生み出すものを投資という。例えば、民間企業の設備投資はGDPの15〜20%を占めているが、機械を買う以外にも自社ビルを買うことやコンピュータを入れることも設備投資となる。

また、自分で住むために買ったマンションなどは住宅投資となる。住宅投資はGDPの7%程度を占めている。また、車の場合は個人が買ったら耐久財の消費となるが、法人として購入すれば設備投資となる。

さらに、政府にも投資はできる。例えば、道路を作った場合、将来的に国民全員がその道路を通る恩恵を受ける(リターンを得る)ため投資となる。つまり、経済全体で見た主な投資には、民間の設備投資、住宅投資、公共投資の3つがある

また、経済から見ると消費しないお金は投資となるため、貯蓄と投資は一致するといえる。例えば、銀行に貯蓄としてのお金を預けたとしても、そのお金はどこかの会社へ貸し出される。その会社は通常何かしらに投資するため、結果としては貯蓄と投資は一致するのである。

 

3 「投資によい悪いはあるのか」

投資によい悪いはある。民間の自己責任において投資を行うことはよい投資だが、政府が行う公共投資はリスクを負わないため、多くのムダが発生しがちである。例えば、東京湾横断道路(アクアライン)はセメント業界と鉄鋼業界が利権を分け合う形で半分は海上、半分は海底トンネルとなった。川崎から乗って木更津に着いたらその先は高速道路がないため、木更津に行くためだけに作ったような橋である。

また、組織そのものが生き残りの組織力学を持つため、ムダが発生しやすい。例えば、道路公団は道路を作ることが専門なため、初期は機能していたが必要な道路を作った後でも解散せず、必要でない道路を作るという仕事を行うのである。

民間投資におけるベンチャーキャピタルとは、主にスタートアップ段階の企業(事業)向けに、株を持つことによって資金を提供する機関のこと。その企業がうまく成長すれば利益の配当が期待できる上、株式を公開することになれば大きなキャピタルゲインも得ることができる。投資家と企業の仲介役として集約機能を提供する。しかし、こうした会社はマクロ経済やテクノロジー、マネジメントに関する力が求められるため、まだまだ少ない。

また、ファンドマネージャーという投資信託を行う人がいる。多くのお客さんから集めたお金を運用する専門の代理人である。アメリカを代表するファンドマネージャーにジョージ・ソロスがいる。こうした投信に対して戦略財務広報活動を行うのがIR(Investors Relations)である。自らが行っている事業について第三者(投資家)に説明するというアカウンタビリティ(Accountability:説明責任)を果たすことが求められるのである。

 

4 日本のサラリーマンに未来はあるか

経済学において投資を問題にする主な理由は、以下の2つである。第一に、GDPに占める民間の設備投資の割合が2割近くと、消費の次に大きいからである。また、民間の設備投資はアニマルスピリット(将来に対する主観的な期待)を反映するため振れ幅が大きいが、これがどうなるかによって景気が左右されるのである。

第二に、設備投資によって企業の競争力が決まってくるからである。例えば、設備投資を行わないことで使用している機械が古くなり、その会社の世界での競争力が落ちてしまうのである。だから、投資は将来の供給力を決定的に決めるキーポイントになる。その意味で投資は「需要と供給の連結環」という。

今までの日本のサラリーマンには、新卒から定年退職に至るまでのライフサイクル仮説が見えていた。しかし、現在では終身雇用や年功序列といった制度への信頼が薄れているため、自らそうした見通しを作り上げなければならない

最後に、経済学における教育は消費である。形のあるものが投資であり、知識や技術という形のないものは消費ととらえるのである。税法上も経済統計上も消費と見なされる。

 

最後に

消費がいまある価値に使うものなのに対し、投資は将来の価値を生み出すものである。投資はむしろ「我慢」に近い。消費を我慢して投資できる人、モノを見つけるのが、投資家の仕事なのだろう

次回は、お金儲けはクリエイティブな仕事として起業とビジネスについて解説する。

経済ってそういうことだったのか会議 (日経ビジネス人文庫)


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