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ジェームズ・キャメロン 「アバター」を生み出した好奇心

「私はSFで育ち、芸術家であり、ダイバーになろうと決めました。しかし、選んだ職業は映画製作でした」キャメロンはこう語りかける。ここでは、85万ビューを超える James Cameron のTED講演を訳し、好奇心が持つ力について考える。

要約

ジェームズ・キャメロンの大予算な(そしてそれ以上に利益をあげる)映画は、それぞれが独自の世界を作り出します。彼はこの私的な話の中で、子どもの頃に感じたSFやダイビングの魅力が、いかに彼を「エイリアン」「ターミネーター」「タイタニック」や「アバター」の成功に導いたかを明かします。

James Cameron is the director of Avatar, Titanic, Terminator, The Abyss and many other blockbusters. While his outsize films push the bounds of technology, they’re always anchored in human stories with heart and soul.

 

1 私はSFで育ちました

私はSFで育ちました。高校時代は片道一時間の道を バスで通いましたが いつも本に没頭していました。SFの本です。心は別世界に飛び 物語という形で 飽くことのない 好奇心を満たしてくれました。

好奇心は別の形でも顔を出し 学校がないときはいつも 森にハイキングに出かけ 標本集めをしていました。カエル ヘビ 虫や池の水など 持ち帰っては 顕微鏡で覗きました。科学オタクだったんですね。それらは全て 世界を理解したい 可能性の限界を知りたいがためでした。

そして 私のSFに対する愛は 現実世界にも反映されているようでした。この60年代後半の時代は 人類は月を目指し 深海を探索していました。ジャック・クストーの特別番組が放映され 私たちがそれまで想像もしなかった 驚異的な生物や光景を 見せてくれた時代でもあります。それらのSF的な側面が 私の心に響いたのでしょう。

 

2 私は芸術家でもありました

また 私は芸術家でもありました。スケッチや絵が描けました。当時はテレビゲームもありませんでしたし 今日のように映画やメディアがCGで 溢れかえってもいなかったので 自分で想像するしかなかったのです。私たちは皆そうでしたよね。本を読んで その記述から 頭の中のスクリーンに想い描いたのです。私が想い描いたのは エイリアンや 異世界 ロボットに宇宙船などでした。授業では 教科書に落書きしているのを 見つかる度に 怒られていました。つまるところ 想像力には はけ口が必要なんでしょうね

 

3 ダイバーになろうと決めました

興味深いことに ジャック・クストーが この地球上に「異世界」があるという事実を伝え 私はすごく興奮しました。私が宇宙船で異世界に行くことは まずないでしょう。あり得ないことでした。でも 本を読んで想像したのと 同じくらい豊かで魅惑的な世界が この地球に存在する事がわかったのです。なので ダイバーになろうと決めました。15歳の時です。唯一の問題は 私がカナダの 片田舎に住んでいて 海から1000キロ離れていることでした。でも くじけませんでした。親父にせがんで 国境を越えてすぐの ニューヨーク州バッファローにある ダイビングスクールを探してもらいました。そして本当に免許を取りました。真冬のニューヨークの YMCAにあるプールでね。しかもその後2年間 カリフォルニアに引っ越すまで 本物の海を見る事すらなかったんです。

それからというもの 40年間で およそ3000時間を水中で過ごしました。そのうち500時間は潜水艇です。私が学んだのは 深海や 浅い海でさえ 私たちの想像を超える 驚くべき生物に満ちていることです。自然界の想像力というのは 人類の 貧相な想像力と比べ 本当に無限大です。私は今でも 水中で目にする光景に 畏敬の念を禁じ得ません。私の海への情熱は昔も今も 変わることはありません。

 

4 しかし選んだ職業は映画製作でした

しかし大人になって選んだ職業は 映画制作でした。それは 物語を伝えたいという衝動と 映像を生み出したいという欲求を うまく調和できると思ったのです。子どもの頃はいつも漫画を描いていましたしね。映画制作なら 映像とストーリーを 一緒にできます。理想的でした。そしてもちろん 私が選んだストーリーは SFものでした。「ターミネーター」に「エイリアン」 そして「アビス」。「アビス」では 私の海とダイビングに対する 愛情を 映画制作に注ぎました。二つの情熱を組み合わせたんですね。

 

5 「アビス」で初めてコンピュータCGを利用した

「アビス」では面白い収穫がありました。あるシーンの映像を作る上で 解決策が必要でした。水のような生き物を作る必要があったんです。そこでコンピュータによるCGを利用しました。結果的にそれは 映画界初の ソフトサーフェスCGアニメーションを使った キャラクターになりました。全くお金にならない映画でしたが かろうじてトントン と言っておきましょうか。とても興味深い発見をしたんです。世界中の観客が この目に見える魔法に 魅了されたのです。

 

6 「十分に発達した科学技術は魔法と区別がつかない」

まさにアーサー・クラークの法則: 「充分に発達した科学技術は 魔法と区別が付かない」です。観客は魔法を見ているかのようでした。その反応に私は興奮したんです。「これは映像表現の手法として取り入れなければ!」 そう思いました。そこで 次の作品「ターミネーター2」では それを更に 推し進めました。ILMと組んで 液状金属のキャラクターを生み出しました。映画の成功は その特殊効果が 当たるかどうかにかかっていました。そして成功したんです。再び魔法が生まれました。観客の反応も前回同様でした。前よりはお金になりましたけどね。

異なる二つの経験を 組み合わせることにより 全く新しい世界、映画制作者にとって 今までにない想像の世界が もたらされると思いました。そこで当時一流のクリーチャーデザイナー兼 メイクアップアーティストだった スタン・ウィンストンと デジタル・ドメインという会社を始めたのです。会社のコンセプトは 光学式プリンタのようなアナログのプロセスを 過去のものにし デジタルプロダクションに 一気に移行しようというものでした。私たちはそれをやり遂げ しばらくは業界をリードしましたが。

 

7 「アバター」は保留にして「タイタニック」を作った

90年代半ばには 怪物や キャラクターデザインにおいて 後れを取りました。その為の会社であったにも関わらずです。そこで「アバター」を書きました。特殊効果やCGの限界を 圧倒的に押し広げ 人間のように情感豊かな キャラクターが CGで 登場するものでした。主要なキャラクターは全てCGで 世界もまたCGでできています。でも限界はすぐ押し戻されました。この作品はまだしばらく無理だと 会社のスタッフに言われたんです。なので一旦保留にして でかい船が沈む映画を作りました (笑)。映画会社には「これは船上のロミオとジュリエットだ」 「壮大なラブロマンスなんだ」と 売り込みました。でも密かに私が企んでいたのは 実物のタイタニック号を潜って見ることでした。その為にこの映画を作ったんです (笑)。本当です。でも制作会社には言えません。そこでこう言って説得しました。「本物のタイタニックを撮影しましょう」 「それを映画のオープニングで使うんです」 「もの凄い宣伝効果がありますよ」 そして探索の経費まで話をつけました (笑)

どうかしてますよね。でもこれが 想像力が 現実を生み出すという テーマに戻ってくるんです。なぜなら 半年後私たちは 実際にロシアの潜水艇に乗り 深度4000メートルの北大西洋で 本物のタイタニック号を見ていたんです。映画でもテレビでもなく 現実にです。

 

8 そして深海探索の虜になった

何もかも圧倒的でした。準備からして大変でした。カメラから照明から 全部作りました。驚いたのは 深海への潜水が まるで宇宙での活動のように 感じられることでした。極めて専門的な分野であり 膨大な準備を必要とします。小さなカプセルに閉じこもって 自力で戻れなければ 絶体絶命な 暗黒の世界へ向かうんです。こう思いました。「まるでSF映画の中にいるみたいだ」 「これは凄いぞ」

そして深海探索の虜になりました。その奇妙さと科学的な側面に魅了されたんです。全てが揃っていました。冒険であり 好奇心を満たし 想像力を掻き立て それはハリウッドでも得られない 体験だったんです。私は生き物を想像し 特殊効果で 作り出せますが 窓の向こうのそれは 想像すらできないものでした。その後も探索を続けるにつれ 熱水噴出孔に住む生き物を見たり 私がそれまで見たことのないものや さらには誰一人見た事のないもの 当時の科学では説明されていない事象を 発見し 撮影しました。

私はすっかり夢中になってしまい もう止められませんでした。そこで私は奇妙な決断をしたんです。「タイタニック」の成功の後で言いました。「ハリウッドの映画制作者という仕事は 一時休業だ。しばらく探検家になるんだ」 そして 探査計画を 練り始めました。その成果として 戦艦ビスマルク号を ロボット潜水艇で探索しました。その後タイタニック号に戻り 今度は 光ファイバーを積んだ小型ロボットを 作り 持ち込んだのです。当時まだ謎に包まれていた 船内の調査をするためです。それまで手段が無く 誰も入れなかったので 私たちはその為の技術を開発したんです。

 

9 「人類後の世界」を垣間見た

私は潜水艇に乗って タイタニック号の デッキにいました。ちょうどこんな感じのステージがあり そこはあのバンドが演奏していた場所でした。私は小型ロボット潜水艇を操縦し 船内の通路を進んでいました。操縦していると言いましたが 私の心はそのロボットの中にありました。難破したタイタニック号の船内に 本当に自分が潜入しているようでした。そして私は かつてない 超現実的な デジャヴ 既視感を体験したんです。ロボット潜水艇のライトが 通路の先を照らし出す前に 私には何が見えるかがわかったんです。なぜなら 映画を撮影している時に セットの中を何ヶ月も歩いていたんですね。そのセットはタイタニック号の設計図を 完全に再現していたんです。

これは本当に驚くべき体験でした。このようなロボットアバターを使い 遠隔地の臨場感を経験すると、意識はそのアバターに乗り移り 形を変えて存続できるのだと 気がついたのです。もの凄く深い体験でした。ひょっとすると 何十年後かに 人類が探検などの目的で サイボーグの体を持つようになって もたらされる世界を、私がSFファンとして 想像する 「人類後の世界」を 垣間見たのかも知れません

 

10 気がつくと宇宙科学者たちを深海に案内していた

これらの探索を行う事で 深海の素晴らしさを理解するようになりました。海底の熱水孔や そこに生きる不思議な生物のことです。彼らは地球に住むエイリアンのようなものです。化学合成によって生きているんです。光合成ベースの生態系では 生きていけないのです。摂氏500度もの水柱の 側で生きる動物を 目の当たりにしているんです。ありえないと思いませんか。

同時に私は 宇宙科学にも強い興味を持ちました。これもまた。子どもの頃のSFの影響でした。結局私は 宇宙関係の コミュニティーとつながりを持ち NASAとも関わるようになり。諮問委員会に参加し 実際の宇宙計画を立て ロシアで宇宙飛行前の 生体検査や いろいろなものに参加し、私たちの3Dカメラシステムと一緒に 実際に宇宙ステーションに 乗り込む計画もありました。とても魅力的でした。でも気がつくと 宇宙科学者達を 深海に案内していました。宇宙生物学者や惑星学者など 極限の環境に興味を持つ人々ですね。彼らを熱水孔まで連れて行き サンプルの採取や 機材のテストなどを 行ってもらいました。

 

11 リーダーシップとは挑戦とスリルと「絆」

それはドキュメンタリーの撮影でありながら 実際には宇宙科学に 取り組んでいたのです。私は完全に輪を閉じました。子どもの頃に SFファンだった少年が それを現実のものにしているのです。そしてこの発見の 旅の途中で 多くを学びました。科学についてもたくさん学びましたが リーダーシップについても学びました。皆さんは監督というのはリーダーであり 船の船長のようなものだと思うでしょう。

私はこれらの探査活動を行うまで リーダーシップについて理解していませんでした。ある時点で こう思ってしまったのです 「自分はここで何をしているんだ? なぜやっているんだ?何を得られるんだ?」。この手の見せ物はお金になりません。利益にならず 名声も得られない 人々は 私が「タイタニック」と 「アバター」の間 どこかのリゾートで 爪でも磨いていると 思っていました。これらのドキュメンタリーを撮りましたが とても限られた観客向けのものです。

名声も栄誉もお金もない 自分は何をしているんだ? まさにその任務のため その挑戦のためなのです。海ほど挑戦的な環境は無いでしょう。そして発見のスリルと チームが結束したときに出来る 奇妙な「絆」のために行動するのです。これらの仕事は10人ほどのチームで 何年間にも及びます 時には洋上で2、3ヶ月も過ごします。

 

12 お互いに対する敬意の絆が最も重要

この絆の中で 最も重要なことは お互いに対する敬意であり、それぞれが 他の誰にも説明不可能な 課題を克服しているんだという 尊敬の念だと 気づきました。陸に上がっては 言うんです。光ファイバーがどうだの 減衰がどうだの あれやらこれやら その技術的側面と 難しさ 洋上で働く事による人間的側面 うまく説明出来ないのですが 警官か 戦場で共に戦い抜いた仲間なら この意味が分かると思います。尊敬の絆が生まれるのです。

次の映画を撮るために戻ったとき 「アバター」だったのですが 同じリーダーシップ論を持ち込み、チームを尊敬し 彼らからも 尊敬を得られるよう努めました。これは本当に原動力を変えました。私は再び小さなチームと共に 未開拓の分野で それまで存在しなかった技術を使い 「アバター」の制作にかかりました。もの凄くエキサイティングで とてつもない挑戦でした。そして4年半の歳月を経て 家族になりました。私の映画制作は完全に変わりました。人々は 私がうまいこと 海の生物を 惑星パンドラに 当てはめたと言いますが 私にとっては 変わったのは 基本的な仕事の進め方であり 結果的にこうなったのです。

 

13 好奇心とチームからの尊敬が教訓

さて ここから何を導き出せるでしょうか? 教訓は何でしょうか。まず第一に 好奇心です。あなたが持つ最もパワフルなものです。想像力は実際に 現実を呼び起こす力があります。そして チームからの尊敬は 世界中のどんな栄誉よりも 重要なのです。若い映画制作者が アドバイスが欲しいと言ってきました。こう言いました。「自分に限界を設けるな。それは周りがやる事だ。自分じゃない。自分でできないと思うな。進んでリスクを取れ」と。

 

14 選択肢にないのは「恐れ」

NASAの好きなこんな文句があります。「失敗は選択肢にない」。でも 芸術や探求においては 選択肢で あるべきです。 信じて飛び込むべきなんです。革新的な試みは全て リスクを承知で 実行されてきたのです。このリスクは 自ら引き受けるべきです。最後に申し上げたいのは、何をするにしても 失敗は選択肢であり 選択肢にないのは「恐れ」なんです。ありがとう。

 

最後に

「気がつくと」やっていることを極めてみよう

和訳してくださった Satoru Arao 氏、レビューしてくださった Masahiro Kyushima 氏に感謝する(2010年3月)。

アバター 3Dブルーレイ&DVDセット(2枚組) [Blu-ray]


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