「私の基本的立場はコスト・ベネフィット分析と世界標準です。日本では倫理的な側面からの報道が多いが、数値や論理や地域分権の観点から判断します」著者は語る。ここでは高橋洋一『日本の大問題が面白いほど解ける本』を5回にわたって要約し、シンプル・ロジカルに問題解決する方法を理解する。
公共事業、やめるべきか続けるべきか、それが問題だ—「八ッ場ダム」を例に
コスト・ベネフィット分析と世界標準で考える
コスト・ベネフィット分析(cost-benefit analysis)とは、投下するお金(コスト)とそれに見合った便益(ベネフィット)が得られるかを計算し、投下したお金より便益が大きければ事業を行うと判断するものである。八ッ場ダムをめぐる報道では「ダム建設に翻弄され続けた人々」といった情緒的なものが多いが、ダム建設も事業である以上、数字で判断することが重要である。
ダムの場合、便益を測るのはそれほど難しくない。ダムの基本的な役割は治水と利水である。治水は、ダムを造ることによってどれだけ水害などを減らせるかということであり、利水は生活用水や農業用水、産業用水、あるいは発電などの水利用である。これらから得られる便益が、メンテナンスを含めた建設や運用のコストに見合うかどうかを考えればよい。
治水を数量的に考えるにはリスク管理の発想が必要である。災害が起きた場合、人的、物的にどれほどの被害が発生するのか、またその災害はどれくらいの頻度で起こるのかを数値として捉え、それをコントロールするというものである。場合によっては保険(無過失補償制度)を利用して備えるという方法もある。
こうしたコスト・ベネフィット分析や保険によってリスクに備えるというものが、世界標準(global standard)の考え方である。著書はこの2つの考え方に沿って展開されている。
サンク・コストという考え方
治水は、もっと簡単に計算できる。ダムを設計した時点で貯水量が決まり、それによって利用できる水の量が決まる。そこから各種用水や発電から得られる便益が計算できる。ダムにはこれまでに多くの経験値があるので、こうした計算は難しくはない。
八ッ場ダムの建設が揉めている理由は、すでに付帯する工事が進められ、多くのコストが投下されているからである。このように投下した資本のうち、事業の撤退や縮小を行っても回収できない費用のことをサンク・コスト(sunk cost:埋没費用)という。
八ッ場ダムの場合、最初の計画では2100億円をかけて6000億円の便益があるという数字が出されていた。しかし、結果として4600億円に修正され、すでに3400億円ほどが使われている。この残りの1200億円をかければ6000億円の便益が得られるというのが正しいとすると、中止すべきではないと判断せざるを得ないのである(2013年5月、八ツ場ダムの本体着工が再開されている)。
日本橋の景観修復工事の例
かつて小泉純一郎元首相が日本橋の上に架かっている高速道路を取り払って、往事の風情を復活させようという提案をしたことがある。問題は、誰が費用を負担するのかである。
景観修復工事を行って便益を受けるのは、その地域に住む人やそこで商売をする人たちである。そのため、地元主体の公共事業として起債(債券の発行・募集)をし、資金を集めてやるのが筋が通っている。八ッ場ダムの建設も、初めから地域が主体となって事業を行えば、これほど揉めることもなかっただろう。
地方分権とレベニューボンド(事業目的別歳入債券)
ここには2つの論点がある。1つは地方分権である。八ッ場ダムも、本来は地域の治水、利水がテーマの事業である。ここでいう地域は群馬県吾妻郡ではなく、利根川水系にかかわる関東六都県である。つまり、コスト・ベネフィット分析に基づいてこの関東六都県が主体となって行えばよいのである。
もう1つは、事業を進める手段としてのレベニューボンド(revenue bond:事業目的別歳入債券)である。これは、地方自治体などが特定の事業について発行し、その事業から得られる収入(レベニュー)でそれを償還する債券のことである。海外ではすでに多くの成功例があり、世界標準になろうとしている。
1 高速道路無料化は天下の愚策
無料化は世界の常識ではない
高速道路無料化をとっている先進国はほとんどない。ドイツのアウトバーンがよく取りだたされるが、これはその建設費がすでに償還されていたからこそ可能だった。現在は環境対策などを理由に有料化政策が進んでいる。2005年からは大型トラックが有料化されている。アメリカの高速道路も一部を除いて有料であり、他のヨーロッパ諸国でもほとんどが有料である。
著者は公共サービスについて、対価を取ることが技術的に可能ならば取るほうがいいとしている。その理由は、それによって利用量のコントロールが可能になるからである。アメリカでも、東海岸の交通量が多い地域において、激しく混雑するところは料金を高くする政策が採られている(ピーク・ロード・プライシング)。
ETCをもっと上手に活用すべき
ETC(道路通行量自動徴収)システムを活用することで、料金所設置コストを最小限にすることができる。また、電車料金が乗った距離に応じて細かく設定されているように、料金設定はよりきめ細かくしたほうが効果が高くなる。そのため、高速道路にもイギリスで行われているような走った距離に応じて支払う(Pay As You Drive)システムの導入が必要だろう。
国交省がゆがめたETCの普及
ETCは今後も活用の余地が期待されるが、日本では国土交通省が不当に介入することでその普及がゆがめられている。2009年春から、ETC搭載車に限り週末の高速料金を一律1000円にするという政策が、緊急経済対策として実施された。
対象をETC搭載車に限った理由は、国土交通省の利権拡大である。ETCを管理運営する道路システム高度化推進機構という財団法人は、国交省の天下り先である。ETCが普及すればこの財団法人は潤い、天下りの強化となる。また、「ETC車載器新規導入助成」という総額50億円の施策も同時に行った。これを仕切るのが高速道路交流推進財団で、国交省の天下り先なのである。国交省は、ETCの普及と助成の両方で利権拡大を行ったのである。
さらに、日本のETC機器の値段は高い。例えば、アメリカではクレジット会社などが無料で取り付けてくれる場合があるが、これはそれくらい安いということである。日本の機器が高いのは、役所が実態に合わないハイスペックな規格にしたからだが、その機能の95%は誰も使ったことがないといわれている。例えば、車内にいながら買い物の決済ができる機能も含まれているが、使っているという話は聞かない。
ETCにまつわる利権をなくせば、もっと安くして普及させ、交通政策に利用できる。最もよいのは、国がETCを無料で配布し、民営化された高速道路会社がそれを活用して混雑が起きないような料金を決めることだろう。
環境とバランス
高速道路無料化は環境対策としても疑問が大きい。必要以上に自動車の活用を推進し、渋滞を増加させ、二酸化炭素をまき散らす政策が支持を受けることはないだろう。
交通経済政策としても疑問である。個別の交通手段に対して価格介入することは資本主義からかけ離れている。特に、無料化や上限2000円の割引は長距離の道路輸送を優遇しすぎである。また、渋滞が増加して困るのはトラック業者であり、トラック輸送の恩恵を受けている利用者である。
2 民主党の政策は財源不足?
自民党の「財源不足」批判は意味がない
財源不足になることはない。その主な手段は、①赤字国債を出す、②埋蔵金を使う、③予算を組み替える、の3つに集約できる。
政権交代とは予算の組み替え
まず、①赤字国債を出せばどんな予算でもできるが、さすがにこれは世論の風当たりが厳しい。日本の借金(国および地方の長期債務残高)は約1000兆円あり、国民一人当たり800万円にのぼる(2013年7月現在)という財務省のプロパガンダもかなり浸透している(流動性供給、資本注入、金融緩和の3本柱 世界同時不況への対応策参照)。
次に、②埋蔵金(財政投融資特別会計の剰余金)の活用については、官僚の抵抗はまだまだ続くだろう。これは、特別会計のバランスシート(貸借対照表)を分析することで明らかになった、資産負債差額である(特別会計には資産負債差額がある 「埋蔵金」とは何か参照)。
最後に、埋蔵金に頼らない③予算の組み替えが予算編成の王道である。政権交代とは、まさに予算の組み替えにほかならない。
必要なのは政治主導のシーリング(予算の上限)だった
民主党は政治主導に固執するあまり、予算編成の重要な手順を脱落させてしまった。それが、概算要求基準(シーリング=予算の上限)の廃止である。結果的にこのことが、概算要求額95超円超という事態を招いてしまった。
前政権のシーリングを否定したいというの心理的には理解できる。しかし、シーリングというタガを無視したことには、予算編成の具体的な作業量と霞ヶ関の行動原理に対する無理解があったと考えざるを得ない。
それは、民主党が政権移行チームをつくらなかったことに見られる。もし政権移行チームができていれば、役所から自公政権下での予算要求を聞き、その段階で「予算の組み替えによる要求」ができたはずである。官僚も政権から「シーリング」を明示された場合、それを無視した予算は絶対に組めないのである。
3 子ども手当はバラマキなの?
組み替えが必要だった「子ども手当」
予算の組み替えが必要だったのが「子ども手当」である。これまでも「児童手当」はあったが、支給年齢が小学生から中学生にまで拡大され、金額も大幅に拡充された点で異なる。
ほぼ1兆円の予算規模だった「児童手当」は、7000億円は都道府県と市区町村が出しており、国からの支出は3000億円だった。初年度の「子ども手当」2兆6000億円(来年度から5兆3000億円)にこの1兆円を使い、残りは扶養控除と配偶者控除を廃止することでほぼ調達できる。
しかし、民主党はこうした実務を考えず、児童手当は廃止し、新たに「子ども手当」を創設するという建前を貫こうとした。その結果、財源の確保に苦労することになったのである(残念ながら、子ども手当は2012年3月末で廃止となった)。
子ども手当は世界標準の政策—「支出歳出」から「租税歳出」へ
予算の分類には「支出歳出」と「租税歳出」という考え方がある。支出歳出は予算の使い方を政府が決めるもので、日本はこれが7〜8割である。一方、租税歳出は減税や給付金のように国民に使い方を任せるもので、OECD加盟国の標準はこれが7割方を占める。つまり、日本の場合、官僚主導の「支出歳出」に偏った予算になっているのである。「子ども手当」は、この流れを変えることに寄与する可能性がある。
例えば、文科省の予算は、文科省や教育委員会を通じて学校に配られる「支出歳出」であるため、学校関係者の顔は常にこれらの役所にばかり向けられている。これを、例えば義務教育児童を持つ家庭への給付金として「租税歳出」にあらため、各家庭から学校に支払う形にすれば、学校関係者の顔も各家庭の方に向くようになるだろう。
農業政策でも、農林水産省が各県の農政課や農協を通じて配ってきた補助金よりも、個別農家の工夫や努力を助成する直接給付金のほうが、将来の農業経営者育成の面からも大きく期待できる。
定額給付金や子ども手当によって税の流れを変えることで、こうした大きな社会的変化をもたらすことができるのである。
4 民主党には成長戦略がない?
産業政策は一度も効いたためしがない
産業政策とは、政府が特定の産業に肩入れすることである。しかし、先進国ではこうした不公平なことは行わず、産業界のことは市場メカニズムに任せるというのが常識である。その意味で、成長戦略とは競争政策、規制緩和、貿易自由化、教育投資、技術開発、マクロ経済の安定などのことである。
成長戦略の名の下に、特定産業分野への肩入れを予算化し、そこに特殊法人をつくって霞ヶ関は天下り先を確保する、政治家は票田を押さえる、という構図が日本では長く続いていた。しかし、そうした仕組みはすでに限界を迎えているのである。
ハローワークを国でやる必要はない
「ハローワークを国でやる必要はない」著者は実感を込めて語っている。これは一度でもハローワークに行ったことがある人であれば感じることだろう。筆者も前職を退職した後に通ったが、民間企業でのサービス提供のほうが圧倒的にサービスがよかった。
雇用保険の運用ならば地方でもできる。さらに、国が運営している今の雇用保険は、保険数理が使われておらず、国民から余分にお金を取っている。その結果、雇用能力開発機構などの天下り団体でムダ使いされている(2011年10月から高齢・障害・求職者雇用支援機構に移行)。その典型例が、581億円の建設費をかけ、毎年10億円の赤字を垂れ流し、6年で閉館した「私のしごと館」である。
最後に
高速道路無料化は、利用量のコントロールが不可能になる、環境対策、交通経済政策の観点から問題。子ども手当は租税歳出という世界標準の政策だったが、シーリング(予算の上限)の観点から実務的な詰めが甘かった。先進国における成長戦略は、そもそも競争政策や規制緩和のことであり、産業政策ではない。
「私には政治的な思惑や信条は一切ない。私は、よりクリアでより効率のいい議論の材料を提供したにすぎない」事実を受け入れよう。
次回は、周波数オークション、中小企業金融円滑化法、財政政策 民主党の政策の問題点2についてまとめる。
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