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アジアの特徴はしたたかさ アジア経済の裏表

前回は、お金が国境をなくすとして円・ドル・ユーロについてまとめた。ここでは、強いアジア、弱いアジアとしてアジア経済の裏表について解説する。

1 なぜアジアの経済危機は起きたのか

1997年7月2日を境に通貨が下がり、一夜にして天国から地獄へ落ちたタイ。通貨の価値が下がった理由は、大幅な経常収支の赤字が続いたからである。経常収支の赤字は通貨引き下げ圧力になる。通貨が切り下がると2つの困ったことが起こる。1つはモノの値段が高くなることで、もう1つは不景気である。

通貨が切り下がると輸入品の値段が高くなるため、一気にインフレが加速する。インフレが加速すると、当局は金融を引き締めざるを得なくなる。その結果、急激に不景気が起こる。当時のアジア経済は相互依存関係(輸出入やお金の貸し借り)が強かったため、タイから韓国へ連鎖的に悪化した。

 

2 タイ、韓国、インドネシア三者三様な破綻理由

タイ、韓国、インドネシアそれぞれ三者三様の経済破綻の理由がある。第一に、タイは外貨に依存した自由化を行ったが、自由なマーケットをチェックするシステムを作らなかったために経済破綻が起こった。

第二に、韓国は財閥というほとんどが家族経営の特殊な存在に頼ってきた。早く経済を発展させるためには必要なことだったが、チェック機能が働かずロシアやインドネシアに安易な海外投資を行い破綻した。

第三にインドネシアはIMFですら大丈夫とされていたが、スハルト大統領とその一族が多くのところで不正をしていたため政治不安、社会不安をもたらした。その結果スハルト体制が崩壊した。

以上の3つの国には共通項がある。多元主義によるチェック・アンド・バランスが作用しなかったことである。経済における多元主義はマーケットメカニズムである。それがタイの場合は外国為替の市場で働かなかった。韓国の場合は財閥という特殊に保護したものがあることによって歪められた。インドネシアの場合はその多元主義が政治の面で働かなかった。

多元主義のアメリカ的な考え方に対し、段階的に行うほうがよいというアジア的な見方がある。そうした議論を非常に刺激したのがハンチントンの『文明の衝突』である。その趣旨は、世界がグローバル化していくと最終的にイデオロギーの対立はなくなるが、改めて東西対立のようなものが浮き彫りにされるというものである。

中国の軍は資本主義を謳歌している。その理由は、中国軍はホテルなどを持っていて運営もしているため、マーケットで儲けているからである。タイの軍も放送局を1つ持っていて、それで広告収入を得ている。だから北朝鮮の体制を崩壊させようとするならば、儲けさせてやれば勝手に崩壊するという者もいる。

 

3 日本人とアジア

アジアは経済取引という実利を通して結びついていった地域だといえる。ヨーロッパをつなぐものがギリシャ文明なのに対し、アジアにはそうしたつながりがない。あえていえば中国の漢字文明だが、アジアのルーツだとは言えない。

また、宗教も異なる。1つの国の中でイスラム教徒を一番たくさん抱えている国はインドネシアである。仏教も小乗仏教と大乗仏教はほとんど違う宗教である。中国は道教である。言葉も食べ物も違う。

日本はアメリカに近いと思われているが、地理的にはアジアの国々に近い。東京から福岡までの距離と福岡から上海までの距離は大体一緒である。東京から沖縄まで2時間20分、台北まで2時間40分とほとんど同じである。

 

4 貧しい国はいつまでも貧しいのか

多元主義の元はエレメント(要素)である。例えば、米の輸入自由化に対して賛成と反対をちゃんと議論できること、経済においてマーケットで価格が調整されることが多元主義である。これは互いに競争して緊張感が生まれることで、大きな間違いを防ぐ重要なシステムといえる。

「貧しい国はいつまでも貧しい」という命題はヌルクセという経済学者に貧困の悪循環と名付けられた。しかし、そのままではよくないため、他国からお金を借りてでも政府主導で何か事業を行うということが行われてきた。例えば、日本では八幡製鉄(現在の新日本製鐵)という官営工場を作ったり、ソ連でも鉄鋼工場を作った。こうした川上(素材)から産業を展開させていくことを「前方連環」という。ただし、この方式は歴史的に必ずしも成功していない。

反対に、川下(消費材)から産業を展開させていくことを「後方連環」という。こちらの方がうまくいく理由は、消費材の方が必ず需要があるからである。需要があるということは必ず儲かるということである。必ず儲かるということは、この消費材を作るときに必要なものを供給する、何か中間的なものに対しても必ず需要が発生する。こうしてどんどん川上に産業が発展していくのである。このメリットを主張したのがハーシュマンである。

どのような消費材を作ればいいかというと、特に今輸入しているもの、自分の国に不足しているものを作ればよい。そしてそれを輸出できるようにすればよい。例えば、日本は繊維でそれをやり、香港の場合は雑貨から機械に移っていった。

その後、日本はアジアの発展途上国に中間材(部品)と資本財(機械)を輸出し始めて技術の供給者となり、アジアは商品の生産者となり、アメリカがその商品の消費者になるという見事な三角形ができたのである。

 

5 戦場から市場へ

日本、アジア、アメリカで作られたシステムはよいシステムだが、アメリカもいつまでも買い続けられない。結果としてアメリカは巨額な赤字を抱えてしまい、1985年にプラザ合意が行われた。これはドル高の是正であり、相対的に円高ドル安に向かった。

本来なら日本がアメリカに変わって消費者になるはずだったが、リクルート事件が起こってそれどころではなくなった。すると、アジアの中で比較的所得の高いアジアNIESと呼ばれる韓国、台湾、香港、シンガポールがその他のアジアの国の製品をどんどん買い始めた。その他のアジアの国もより低所得のアジア諸国に投資を始め、アジア同士で発展を続けていった。

90年代に入ると中国という新しいプレーヤーが入ってきた。89年に天安門事件を起こしたが、91年に鄧小平が南方講話を行い、上海で中国の開発政策を続けると宣言した。そしてまた、アジア太平洋地域のマーケットが活性化した。これは東西冷戦が終わったという成果を巧みに取り入れる手段を講じた。つまり、アメリカとソ連は戦争など一度もしていない。韓国と北朝鮮、北ベトナムと南ベトナムなど、すべてが代理戦争であるという事実を主張したのである。

「戦争から市場へ」タイの首相だったチャチャイが言った言葉である。昨日まで戦ってきた相手と今度は商売をする。大阪商人のようなたくましさ、したたかさがアジアの強さである。例えば、香港が25年間10%以上の二桁成長を続けられたのは、香港が時に応じてダイナミックでしたたかに姿を変えたからである。具体的には、戦前の中継貿易、繊維や雑貨の生産(加工貿易)、英米法の法体系をマスターした弁護士などの力を活かした金融センター、ポンドからドルに乗り換える、中国(深圳)への投資基地と変遷を遂げたのである。

なお、2002年8月現在のアジア主要国の動きは以下の通りである。

  • 韓国:復調。通貨・金融危機脱出のため、韓国経済の象徴であった財閥を再編し、一時的に大量の失業者を出すなど痛みを伴った改革を断行
  • インドネシア:前途多難。IMFによる厳しい構造改革プログラムに経済の実態が追いつかず、東ティモール問題など政情不安も伴って、外国からの投資も滞っている
  • タイ:軟着陸。一時はバーツの下落によって危機的状況に陥った経済環境は、その後懸命の金融政策、産業再編、外資系企業の輸出貢献などによって、緩やかではあるが回復への兆しを見せ始めた
  • マレーシア:底打ち。構造改革の推進は早かったが、IT不況の余波を受け、輸出不振で成長は落ち込み続けた
  • 中国:躍進。2001年末に世界貿易機関(WTO)への加盟を果たし、外国からの直接投資も増え続けている

 

最後に

「戦場から市場へ」「昨日の敵は今日の友」その時々の情勢に応じて、臨機応変に対応してきたアジア経済。相互依存的な経済だったが故に危機にも遭遇するが、自らのおかれた状況や強みを見出し、変化して発展し続ける。多元主義としてのマーケット機能も積極的に取り入れる。そうしたしたたかさを見習いたい

次回は、いまを取るか、未来を取るかとして消費と投資について解説する。

経済ってそういうことだったのか会議 (日経ビジネス人文庫)


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