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アブハ・デウェザール 「デジタルの今」を生きる

私たちの生活はデジタルでつながりたいという衝動にとらわれ過ぎて、何がリアルであるかを見落としているのだろうか?」アブハは語りかける。ここでは、95万ビューを超える Abha Dawesar のTED講演を訳し、デジタルの今を生きることの意味について理解する。

要約

1年前、アブハ・デウェザールはハリケーン・サンディの過ぎ去った停電中のマンハッタンに住んでおり、電力が復旧するのを待ち望んでいました。小説家として、彼女には次のような比喩が浮かんだと言います。私たちの生活は今やデジタルでつながりたいという衝動にとらわれ過ぎて、何がリアルであるかを見落としているのだろうか?

Abha Dawesar writes to make sense of the world — herself included.

 

1 危機的状況ほど何が本当に大切で何が大切でないかを教えてくれるものはない

私はハリケーン・サンディの間ニューヨークにいました。マウイという小さな白い犬が 私と一緒にいたのです。街の半分は停電で真っ暗で 私は真っ暗な側に住んでいました。マウイは暗闇をこわがっていたので 階段を上る時はマウイを抱えて上りました。実際には散歩のためにまず下の階に行って それから抱えて上ったのです。それに 毎日7階まで水も何リットルか 運び上げてもいました。これらを全て 懐中電灯を口にくわえてこなしたのです。近所の店からは懐中電灯も 電池もパンもなくなりました。シャワーを浴びるために私は40ブロックも歩いて 加入しているジムに行きました。

でも これらは最優先事項ではありませんでした。近所のカフェに延長コードと充電器を持って 誰よりも早く到着し複数の電子機器を充電するのも 同じくらい重要だったのです。私はパン屋のベンチの下や お菓子屋さんの入り口の下に電源を探すようになりました。私だけではありませんでした。雨の中でも 人々がマディソン・アヴェニューと5番街の間で 傘を差しながら 道にある電源で 携帯電話を充電していました。自然の力はどの科学技術にも勝ると 思い知らされたばかりなのに 皆 つながりたいという衝動にかられていたのです。

私は危機的状況ほど何が本当に大切で 何が大切でないかを教えてくれるものはないと思います。サンディは 私に電子機器や それらのもたらすつながりが 食料や住まいと同じくらいに重要なのだと気付かせてくれました。かつて知っていたような自己は もはや存在せず 抽象的なデジタルの世界が いまや 私たちのアイデンティティの一部となったのだと思うのですが これがどういうことであるかを皆さんにお話ししたいと思います。

 

2 自己とフィクションには多くの共通点がある

私は小説家なので自己に関心があります。なぜなら自己とフィクションには多くの共通点があるからです。どちらも物語であり 解釈です。物語なしに物事を経験することもできます。階段を早く駆け上がって 息切れするといったことです。でも 私たちが人生に対して抱くより大きな感覚は もう少し抽象的で間接的なものです。私たちの人生の物語は直接の経験に基づいていますが 脚色されてもいます。小説の構成には 次から次へと場面が必要ですが 人生の物語もまた全体を包む弧が必要です。何ヶ月も何年も必要でしょう。人生における個別の瞬間は人生の物語の各章です。でも物語は各章が重要なのではありません。本全体が重要なのです。失恋や幸せな瞬間― 勝利や失望といったことだけが重要なのではなく それらゆえに― そして 時にそれらにもかかわらず 私たちがいかに世界に居場所を見つけ 居場所を変え自分自身を変えるかが重要なのです。ですから 私たちの物語には2つの時間軸が必要です。私たちの寿命である長い時間の弧 そして それぞれの瞬間である 直接の経験の時間です。直接の経験をする自己は その瞬間にしか存在しませんが 物語を語るにはいくつかの瞬間が― 一連の瞬間が必要です。それゆえに 自己が確立されるには 没入する経験と 時の流れの両方が必要なのです。時の流れはすべてのものに埋め込まれています。ひと粒の砂の侵食にも 小さなつぼみがバラの花を咲かせるのにも 時の流れなしには音楽も存在しないでしょう。私たちの感情や心の状態は しばしば 時を暗号に変えます。過去への後悔や憧憬― 将来への希望や不安などに変えるのです。

 

3 科学技術は時の流れを変えてしまった

科学技術は この時の流れを変えてしまったのだと思います。私たちが物語を語るのに持っている時間全体― つまり私たちの寿命はだんだんと延びていますが 最も小さな単位である瞬間は縮んでいるのです。道具によってより小さな単位の時間を 測れるようになったために縮んでいったのです。その結果物理的世界をより細かく 解釈するようになり この細かい解釈によって 私たちの脳ではもはや 理解できないほどたくさんのデータが生み出され そのために私たちはより複雑なコンピュータを必要としています。これら すべては 私たちが認識できるものと測定できるものとの 差がさらに開いていくということを意味しています。科学によって様々なことがピコ秒のうちに成し遂げられますが 私たちは何百万秒分の1を 内面で経験することはないのです。私たちは自然のリズムと流れにのみ対応でき だからこそ 私たちは 過去 現在そして未来を含む 長い時間の弧を必要とするのです。物事のありのままを見つめるため― 騒音から信号を聞き分け 感覚から自己を感じ分けるために 因果関係の理解には時間の進む方向を示すものも必要です。物質的な世界においてだけでなく 私たち自身の意図と動機のために必要なのです。その時間軸が歪んだらどうなるのでしょうか? 時間がひずんだらどうするのでしょうか?

 

4 インターネットは過去を記録し、過去というものを歪めてしまう

こんにち 私たちの多くが 時間の進みがどこかしこを向いていると共に どこにも向いていないような感覚を感じています。これは時間がデジタルの世界では 自然の世界と同じように流れないためです。私たちはみな インターネットにより空間と共に時間が 縮んでしまったことを知っています。ずっと向こうの遠い場所がいまやすぐここにあるのです。ニューヨークにいようがニューデリーにいようが インドからのニュースがスマートフォンに表示されます。それだけではありません。前の仕事昨年のディナーの予約 昔の友達がすべて今の友達と同じ平面に存在します。なぜなら インターネットは過去を記録し 過去というものを 歪めてしまうからです。過去 現在 未来 そして ここと向こうの間に何の違いも残されていないために 私たち どこにいてもこの瞬間と共にあるのです― 私が「デジタルの今」と呼ぶこの瞬間です。

 

5 「デジタルの今」は現在ではなく、常に数秒先を行っている

どうやって「デジタルの今」の中で 優先順位をつければ良いのでしょうか? 「デジタルの今」は現在ではありません。なぜなら 常に数秒先を行っているからです。常にツイッターは流行を察知し 時差を超えてニュースが入ってきます。これは 自分の足に鋭い痛みを感じる「今」でもなければ 菓子パンをほおばる瞬間でもなく 素晴らしい本に没頭して過ぎ去った3時間でもありません。この「今」は 私たちの物理的― または心理的な状態を反映することは滅多にありません。それどころか 事あるごとに 我われの気をそらそうとするのです デジタルの目印は 今やっていることから逃れて別のところで 別のことをするための招待状なのです。作家によるインタビューを読んでいるのですか? その作家の本を購入してはいかが?ツイートしてください。シェアしてください。いいね!ボタンをクリックして下さい。彼の本に似た本を見つけましょう。この本を読んでいる人を見つけましょう。旅行は開放的になりえますが 間断なく続けば 常に 永遠の国外追放にあっているようなものです。選択は自由ですが常に選択のための選択であるなら 自由ではありません

 

6 「デジタルの今」は現在と対決をしている

「デジタルの今」は現在とかけ離れているだけでなく 現在と対決をしているのです。私がそこに関与していないからだけでなく あなた方もです。私たちだけでなく誰もがそこにいないのです。そこにこそ 大きな利便性と恐怖があります。真夜中に外国語の本を注文することができますし パリのマカロンを買うこともできます。後で相手が見るであろうビデオの伝言を残すこともできます。いつでも 私は あなたとは違うリズムとペースで物事を行うことができ しかも 私があなたの現実の時間に 関わることができるという幻想を維持することができます。

 

7 ほぼ同時に起こる2つの時間軸を生きることは難しい

サンディは そんな幻想が いかに壊れるかを思い出させてくれました。電力と水を持っている者と そうでない者がいました。元の生活に戻った者と 何ヶ月も経っても なお いまだに戻れないままの者 どういうわけか 科学技術は みながそれを持っているという幻想を浸透させ その上で 皮肉なほほへの一撃よろしく それを本当にしてしまうのです。たとえば インドにはトイレよりも 携帯電話を持っている人の方が多いと言われています。すでに世界の至る所であまりにも大きくなりつつある このインフラの欠如と 科学技術の広がりの間の裂け目が どうにかして 橋渡しされなければ デジタルの世界と 現実の世界の間に 裂け目が生じてしまうでしょう。「デジタルの今」を生き目が覚めている ほとんどの時間を その中で過ごす 私たちにとって 難しいのは 並行しており ほぼ同時に起こる二つの時間軸を生きることです。

 

8 現在の瞬間がだんだんと記憶に残らなくなる

気が散る中で どうやって生きればいいのでしょう? 私たちより若い人たち― この時代に生まれた者は より自然に順応すると考えるかもしれません。そうかもしれませんが私は自分の子ども時代を思い出します。祖父が 世界の首都を 私と一緒に復習していたときのことです。ブダとペストはドナウ川で分けられ ウィーンにはスペインの騎馬学校がありました。私が今 子どもであったらこの情報を簡単に アプリとハイパーリンクで見つけ出せたでしょうが 同じ経験ではありえません。なぜなら ずっと後になってウィーンを訪れ スペインの騎馬学校に行ったとき 私は祖父がすぐそばにいるように感じたのです。来る晩も来る晩も祖父は私をベランダへ 肩車で連れて行き木星と 土星 おおぐま座を教えてくれました。ここでさえ おおぐま座を見ると 私は祖父の頭につかまって 肩の上でバランスをとろうとしている 子どもに返ったような気分になり また子どもに戻ったように思うのです。祖父との思い出は たいてい 情報や知識様々な事実に包まれていましたが それは情報や知識 そして 事実以上のものでした。時間を歪める科学技術は 私たちの最も深い核の部分に難問を突きつけます。というのも 私たちは過去を記録することができ そのうちのいくらかは忘れるのが困難になり その一方で現在の瞬間が だんだんと記憶に残らなくなるのです。つかみたいと望んでも一連の静的な瞬間を つかむにとどまります。

 

9 時間はデータではなく、保存できない

触れると消えてしまうシャボン玉のようなものです。すべてを記録することによって保存できるような気になりますが 時間はデータではありません時間は保存できないのです。その瞬間に生きるということが どんなことか私たちはよく知っています。楽器を弾いているときや 長い間知っている誰かの 目をのぞき込んでいるときに 起こるかもしれません。そんなとき 私たちの自己は完全なものになるのです。長い時間の弧のなかで生きる自己と その瞬間を経験する自己とが ひとつになるのです。現在は過去を包み込み 未来を約束してくれます。現在が それ以前と以後の。

 

10 注意を払うことこそが時間。時間の流れを結びつけよう

時間の流れを結びつけるのです。私がこうした感情を初めて経験したのは祖母といるときでした。私がスキップを覚えたいとき祖母は古いロープを見つけて サリーの裾をたくしあげて ロープを飛び越えたのです。私が料理を覚えたいときには祖母は私に台所で 一ヶ月間も切ったり角切りやみじん切りをさせました。祖母は 物事には時間がかかるのだと― 時間にはあらがうことができないのだと教えてくれました。時間は 過ぎ去り 動くものですから いま現在に最大限集中しなければならないのです。注意を払うことこそが時間です。私のヨガの先生の1人が 以前 愛とは注意を払うことであると言っていましたが 祖母のことを考えると 確かに 愛情と注意は同じひとつのことでした。デジタルの世界は時間を組み替えてしまいます。そうすることで 私たちから 何かが欠けてしまうと思うのです。愛情の流れを脅かしているのです。でも そうさせる必要はありません。他の道を選べるのです。何度も何度も 私たちは 科学技術がいかに創造的でありえるかを見てきました。生活や行動において 私たちは 時間の流れを断片化するのでなく 修復してくれるような 解決策や革新そして瞬間を選ぶことができます。歩みをゆっくりにし 時間のよせては返す波に耳を傾けることができます。時間を取り戻すことができるのです。ありがとうございました。

最後に

危機的状況ほど何が本当に大切で何が大切でないかを教えてくれるものはない。自己とフィクションには多くの共通点がある。居場所を変え自分自身を変えるかが重要。自己が確立されるには没入する経験と時の流れの両方が必要。科学技術は時の流れを変えてしまった。私たちが認識できるものと測定できるものとの差がさらに開いている。時間がデジタルの世界では自然の世界と同じように流れない。インターネットは過去を記録し、過去というものを歪めてしまう。「デジタルの今」は現在ではなく、常に数秒先を行っている。「デジタルの今」は現在と対決をしている。ほぼ同時に起こる2つの時間軸を生きることは難しい。現在の瞬間がだんだんと記憶に残らなくなる。時間はデータではなく、保存できない。注意を払うことこそが時間。時間の流れを結びつけよう。

和訳してくださった Moe Shoji 氏、レビューしてくださった Akiko Hicks 氏に感謝する(2013年7月)。

第五の権力


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