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タンディ・ニュートン 「他者の受容と自己の受容」

「恥ずかしさの原因だったものは、実は気づきの素でした。自己の欠落や自信のなさこそが、私の女優業の成功の原因だったのです」ニュートンはやさしく語りかける。ここでは、120万ビューを超える Thandie Newton のTED講演を訳し、他者の受容と自己の受容の関係を理解する。

要約

まったく異なる2つの文化の中で育った子ども時代の体験と、数多くの異なる自己を演じた女優としての体験をもとに、女優のタンディ・ニュートンが自身の中に見つけた「他者」について語ります。優しさと思慮深さに包まれたTEDGlobal2011からの講演です。

Swinging from Hollywood blockbusters to sensitive indie films, Thandie Newton brings thoughtfulness and delicate beauty to her work.

 

1 他者の受容とは自己を受け入れること

他者の受容 このテーマを聞いたとき 他者の受容とは 自己を受け入れることだと思いました。それを理解し 受け入れるところまで たどり着くのは わたしには興味深い道のりでした。そこからもたらされた自己という 考え全体に対する理解は 皆さんと共有するに値すると思います。

 

2 誰もがもつ自己とは生まれもったものではない

誰もがもつ自己とは 生まれもったものではないと思います。生まれたての赤ちゃんは すべてのものの一部だと信じていて 切り離されていません。同一性とも言えるその根本的な感覚は すぐに失われ 第一段階は終了します。同一性の感覚は幼年時代の 未成熟で原始的なものです。それは真のものではなくなり 別れていることが 真のものとなります。幼児期の初めに 自己という考えが 形成され始めます。その小さな同一性には名前がつけられ あらゆることを教えられます。それら詳細や 意見や考えは 事実となり 自己やアイデンティティを 形成していきます。その自己が 社会的世界を 渡り歩くための手段になります。でも その自己は他人の主観が投影されたものに基づく 主観の投影です。それは本当のわたしたちの姿でしょうか。それとも あこがれる姿? あるべき姿?

 

3 自己は変わり、影響され、壊される

自己とアイデンティティの 関わり合いは わたしが育つ中で とても厄介なものでした。わたしが世に示そうとした自己は 幾度となく拒否されました。かみ合う自己をもたないことから 起きるパニックと 拒否される自己から生まれる 困惑は 不安や恥や絶望を生みだしました。それは長い間 わたしを明確に示しているようなものでした。でも振り返ってみると 自己が幾度となく打ちのめされる為に あるパターンが見え始めました。自己は変わり 影響され 壊される。でも また別の自己が現れる 時に強く 時に憎たらしく 時に嫌々ながら いつも違った自己が現れました。何度 わたしの自己は 息絶えなくてはいけなかったのでしょう。そもそも そこには 生きた自己などなかったのに。

 

4 周囲に調和し、似たものを見つけ、属する場が欲しい

わたしは70年代に 英国の海岸沿いの街で育ちました。父はコーンウォール出身の白人で 母はジンバブエ出身の黒人です。わたしたちが家族であると 考えることですら 周囲には難しいことでした。でも 自然のいたずらで 褐色の肌の赤ちゃんが生まれました。でも5歳の頃から 周囲に調和していないことに気がついていました。修道女が運営する白人ばかりのカトリック校に通うわたしは 黒人で 神様はいないと思っていました。つまり わたしは異例だったのです。わたしの自己は その状況を把握しようとし つながりを求めました。周囲に調和し 似たものを見つけ 属する場が欲しいからです。すると その存在や重要性が 認められるのです。それはとても大切な 役割をもっています。それがなくては 他者とつながりをもてません。計画を立てることもできなければ 人気や成功への階段を 登ることもできません。でも わたしの肌の色は相応しくなく 髪の毛も相応しくなく わたしの経歴も相応しくなく わたしの自己は 他者として特徴づけられるようになりました。その社会的世界では わたしが存在しないことを意味し わたしは少女になる前でさえ 別の人間になっていました。目立つのに 取るに足らない人間だったのです。

 

5 ダンスの中では実生活ではなれない自分になれた

その頃 別の世界が 広がりつつありました。それは演技とダンスです。しつこいほどに感じていた自己の恐怖は ダンスをするときに感じることはありませんでした。夢中になって踊りました。ダンスは上手かったのです 感情的な表現は すべてダンスで 表現しました。ダンスの中では 実生活ではなれない自分に なれたのです。

 

6 機能していない自己が別の自己につながることができた

16歳のとき 別の機会に巡り合いました。初めて映画に出演できることになりました 演技をしているときに感じる 心の平和は 言葉では表せません。機能していない自己が 別の自己に つながることができたのです。とても嬉しかったです。きちんと機能している自己に 自分が存在できた初めてのときでした。それは自らコントロールし 方向性を決め 命を吹き込んだ自己です。でも撮影日が終われば わたしはまた ぎこちない自己へと戻るのでした。

 

7 人種とは生物学的事実にも科学的事実にも根拠はない

19歳には 一人前の 映画女優になっていましたが それでも位置づけを模索していました。わたしは大学で 人類学を学ぶことにしました。フィリス・リー博士との面接のときです。“人種の定義って?” と尋ねられました。わかっているつもりで “肌の色です” と答えました。“遺伝的特徴?” と博士は言いました。“それは間違っているわ だって 遺伝的な違いで言えば 黒人であるケニア人と ウガンダ人を比べる方が 黒人であるケニア人と 白人のノルウェー人よりも大きいのよ。皆 ルーツはアフリカにあるから アフリカには 遺伝的な多様性が生まれる 時間があったのよ”。言い換えれば 人種とは生物学的事実にも 科学的事実にも根拠はないのです。答えは得られました。その反面 わたしの自己の定義は 大きく信憑性を失くしてしまったのです。でも 信頼できたものや 生物学にも科学的にも事実であるのは 誰でもさかのぼるとアフリカにたどりつくことです。実際に16万年前に生きていた ミトコンドリア・イヴという女性にたどりつきます。人種とは 人間がつくりだした 非論理的な概念で そのもとにあるのは 恐怖と無知なのです。

 

8 自己は我々を死の現実から欺くためにつくり上げるもの

不思議なことに これがわかっても 他者であると感じ続けていたわたしの自尊心の低さが 治ることはありませんでした。姿を消したいと願う望みは とても強かったのです。ケンブリッジ大学を卒業し 女優として売れていたのに 自己は悲惨なものでした。わたしは過食症になり セラピストの世話になっていました。こうなったのも無理はありません。自分がもちあわせた自己が わたしのすべてだと信じ切っていました。自分の価値は 他の何よりも 価値があると思っていました。他にどう考えられたというのでしょう? わたしたちは 自己価値を支持する 価値システムや 物理的現実をつくりあげてきたのです。自己像のためにつくられた産業や そこから生まれる仕事の数々や 収益を考えてください。自己は生きているものと 推測しても間違いないでしょう。でも それは投影されたもので 人間の賢い脳が 我々を死の現実から 欺くためにつくり上げるものです。

 

9 自己に究極で無限のつながりを与えるものが同一性

しかし自己に 究極で無限のつながりを 与えるものがあります。それは 同一性です。わたしたちの本質です。確実性と定義を 自己が求めるようともがくのも つくりあげる主 つまり あなたやわたしとつながりを見せなければ 決してなくなることはありません。それは気づきで起こります。同一性の現実 そして自己の投影に 気づくことです。まず 自己を失うときを 考えてみるといいでしょう。わたしはダンスをするとき 演技をするときに それは起こります。わたしは本質の中へと入り込み 自己は宙に浮くのです。そのようなとき わたしはすべてとつながります。土や空気や音 観客のエネルギー わたしの感覚すべては 研ぎ澄まされます。それは幼児が同一性の感覚を 感じるのと似ています

 

10 女優業で成功できたのは自己が欠落していたから

わたしは演技をするとき 別の自己に宿り しばらく命を授けます。なぜなら 自己が宙に浮くと 分裂性や判断力も 宙に浮くからです。今まで演じた役は様々で 奴隷制時代の執念深い幽霊から 2004年の国務長官まで演じてきました。他の自己が どんなものであっても 共感できるものがありました。わたしが本当に信じてやまないのは 女優業で成功できたり 人として進歩できたのは 自己の欠落によって 不安な気持ちになったり 自信がなかったことだと思います。わたしはいつも なぜ他人の痛みを理解出来たり 名もなき人間に共感できるのかと 不思議に感じていたのですが それは わたしには邪魔する自己がなかったからなのです。わたしには中身がないのかと思いました。他人を理解できるのは 自分に何も感じるものがないことを意味しているのかと思いました。恥ずかしさの原因だったものは 実は気づきの素でした

 

11 もっと自らの本質で生きようと努力した

そして 自己が投影であり 役割をもっていることに気づき 理解したときに おもしろい事が起きました。自己にコントロールさせることをやめ すべきことはさせました。セラピーにも連れて行き そのきちんとしない行動を 知り尽くしました。でも 自分を恥じてはいません。むしろ自己と その役目を 尊敬しています。時間と練習を重ねることで もっと自らの本質で 生きようと努力しました。皆さんも そうできれば 驚くべきことが起きます。

 

12 自己への覚書を残しましょう

わたしは2月にコンゴにいました。地元の女性たちと 踊ったりお祝いをしたのです。彼らは想像もできないやり方で 自己を破壊された女性たちです。残虐で狂った人たちが うつくしき土地の至る所で iPodやiPadや宝飾品などをほしがる わたしたちの欲をあおっているからです。それは彼らの痛みや 苦しみや 死を さらにわたしたちから 引き離すのです。なぜなら だれもが 自己の中で暮らし それを人生だと捉え違えると 人生の価値を下げ 無感覚にしているのです。つながりのない状態にいると 窓のない工場をつくりだし 海洋生物を全滅させ レイプを兵器として使えるのです。自己への覚書を残しましょう。わたしたちが作り上げた世界には 亀裂が見え始めていて その亀裂には波が押し寄せ 大量に そして勢いよく 油が流れ込み 血が流れ込んでいます。

 

13 何十億人もの他者と共存できるか

決定的なのは私たちは 地球や命あるものと どう調和して暮らせるか まだわからずにいます。気違いじみたように 何十億人もの他者と 共存できるか答えを出そうとしてきたのです。でも そこで暮らすのは 狂った自己で 引き離しの蔓延を 永続させているのです。

 

14 皆と共に生きましょう

皆と共に生きましょう。そして 一呼吸ずつ進めましょう。もし 重い自己の下へと潜り込み 気づきの光をともし わたしたちの本質や 命あるいかなるものと 永遠のつながりを見つけたら… 誕生したときから わかっていることです。何もないことには 恐れないことにしましょう。それはつくりあげられたものよりも 現実味があるのです。もしも 必ず訪れる自己の死をたたえ 人生がもたらす恩恵を感謝し 先行きに目を見張れば どんな存在を手に入れられるか想像してください。簡単な気づきが 始まりなのです。どうもありがとう(拍手)

 

最後に

他者の受容は自己を受け入れることと同じ。自己に究極で無限のつながりを与えるものが同一性。人種とは生物学的事実にも科学的事実にも根拠はない。人種のもとは恐怖と無知。死は平等

和訳してくださった Takako Sato 氏、レビューしてくださった Philline Dilao 氏に感謝する(2011年7月)。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え


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