forgiveness

デイビット・ブルックス 人生の集約は、履歴書と追悼文のどちらに?

「人生の集約は履歴書と追悼文のどちらに表れるのでしょうか」ブルックスは語りかける。ここでは、120万ビューを超える David Brooks のTED講演を訳し、外的成功と内的価値という2つの自己のバランスについて理解する。

要約

「誰しも2つの自己をもっている」とデイビット・ブルックスは、トークの中で語ります。社会的成功を熱望する一方、もう一人の自分は、死後、讃えられる価値、コミュニティや人との繋がりの中での愛を、求めて生きています。(ジョセフ・ソロヴェイチックは、これらの自己を「アダム1」と「アダム2」と呼んでいる。)ブルックスは、「あなたは、この2つの自己をバランスよく保ていますか?」と問いかけています。

New York Times columnist David Brooks is the author of “Bobos in Paradise,” “On Paradise Drive,” and the narrative of neuroscience, “The Social Animal: The Hidden Sources of Love, Character and Achievement.

 

1 履歴書と追悼文における徳の違い

最近考えている事があります。履歴書と追悼文における 徳の違いです。履歴書の徳とはその内容 仕事の現場で使える技能であり 追悼文の徳とは 追悼で語られる言葉で もっと深い人間性 人との関わりでの 大胆さ 愛情豊かさ 信頼性 一貫性などです。ほとんどの人は 追悼で語られる言葉の方が もっと大切だと言われるでしょう。少なくとも私の場合は。そうでしょうか? いいえ そうではありません。

 

2 人には「アダム1」と「アダム2」の2面がある

この事について 考えさせてくれたのは ジョセフ・ソロヴェイチックです。1965年に書かれた彼の書 『信心深い寂しい人間』に 人には「アダム1」と「アダム2」の 2面があると書かれています。「アダム1」は現実的 野心的な 外的側面です。建設的で創造的で 会社を創立したり 発明をしたりする面です。「アダム2」は謙虚な面で 善行をしようとするだけでなく 良い人間であろうとし 内省的な生き方をし 神そして神の創造物と 我々の与えられた可能性を尊びます。「アダム1」は世界を征服したがり 「アダム2」は世の規律に従います。「アダム1」は実績を重視し 「アダム2」は堅実さや 精神的強さを重視します。「アダム1」は物の理を 「アダム2」は生きる理由を問いかけ 「アダム1」のモットーは“成功” 「アダム2」のモットーは “愛 贖罪 回帰”です。

 

3 我々は外的成功と内的価値の間で常に自己問答している

ソロヴェイチックは この2つの側面は 互いに争っていると言います。我々は外的成功と内的価値の間で 常に自己問答しています。この2面で注意すべき点は 異なる論理に基づいているという事です。外的論理とは 経済的なもので 投資は成果に リスクは報酬に繋がります。内的側面は 道徳的論理で 逆説的である事がよくあります。得る為には 与える必要があり 内なる強さを得る為には 他に身を委ねる必要があり 欲するものを得るには 欲望を克服する必要があり 自分を十分に生かすには 我を忘れる必要があり 自分を発見するには 自分から離れる必要があります。

 

4 我々の社会では「アダム1」が好まれ「アダム2」が無視されがち

我々の社会では「アダム1」が好まれ 「アダム2」が無視されがちです。その結果 我々は狡猾な動物と化し 人生をゲーム化し 冷酷な計算高い生き物となり 理想と現実の違いを知りながら その狭間を行き来する人間になっています。理想的な人生は送らず 誰かが理想的な追悼文を 書いてくれるのを望み 信念の深さはなく 情緒の豊かさはなく 一生かけても終わりそうにない 務めには本腰を入れません。

 

5 「アダム1」は強さの上に築かれ、「アダム2」は弱さと争いながら築かれる

私がこれまで歴史から学んだ事は 堅固な「アダム2」 ― 人格の深さを形成する方法です。歴史を通し 人は自分の過去に戻り 時には貴重な子ども時代に戻り 過去に思いを馳せ 恥ずべき行為 犯した罪 利己的な行為 怠慢な行動 浅はかな行動 怒り 自己憐憫 人への諂い(へつらい) 勇気のなさ などを思い起こします。「アダム1」は 強さの上に築かれ 「アダム2」は 弱さと争いながら築かれます。自分を見つめ 繰り返し犯し続けた罪 ― 自分という人間を作った罪から 別のものが生まれ 罪ともみ合い 戦い その苦しみから 人格の深さが 築き上げられます。我々はそんな自分の罪を認めること ― 我々の文化では その罪と 向き合い 戦う方法は教えられません。我々は「アダム1精神」の文化に 暮らしていて 「アダム2」に関して 掘り下げて語る事はありません。

 

6 「赦し」で人は救われている

最後にラインホルド・ニーバーが 「アダム1」と「アダム2」の戦いを通しての 一生をこのように要約しています。「価値ある事が 一生の内に成就し得ない故 希望という救いがあり、美しく真なるものが 歴史上 すぐには理解され得ない故 信仰という救いがあり、どんなに美徳なことであろうと 一人では何も達成できない故 愛という救いがあり、自分の徳ある行動ほど 美しいものはないという 我々の思い上がり それ故 究極の愛の形 「赦し」で人は救われている」ありがとうございます(拍手)

 

最後に

履歴書と追悼文における徳の違い。人には「アダム1」と「アダム2」の2面がある。我々の社会では「アダム1」が好まれ「アダム2」が無視されがち。「アダム1」は 強さの上に築かれ「アダム2」は 弱さと争いながら築かれる。我々は外的成功と内的価値の間で自己問答している生き物。「赦し」で人は救われる

和訳してくださったReiko O Bovee 氏、レビューしてくださった Toshifumi Kakiuchi 氏に感謝する(2014年3月)。

佐野洋子〈追悼総特集〉100万回だってよみがえる (文藝別冊)


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