前回は、重要なのは誰が負担するか 東電救済に見る発送電分離とエネルギー政策についてまとめた。ここでは、世界恐慌・終戦直後の国債引受 高橋是清・石橋湛山に学ぶ復興の歴史について解説する。
1 十分な復興ができなかった阪神大震災の教訓
中央官庁がやるべきは財源を用意すること
阪神淡路大震災の復興に携わった人によると、短期間で計画を策定する中で、財源問題がいつもネックになったとの話が多い。その教訓を踏まえれば、今回ははじめの補正予算は30兆円くらい積んで、余ったら後で減額修正するくらいでいい。中央官庁でできることは、できるだけ財源を用意することである。
震災後にインフレは起きなかった
関東大震災のときに有名なのは後藤新平内務大臣(元東京市長)の帝都復興策で、1925年の国家予算の3分の1に相当する5億円強の予算であった。後藤自身の当初案は30億円という国家予算の倍に達するすごい構想だった。縮小はされたが、放射道路と環状道路という東京の基本骨格をつくり、後世から高く評価されている。
実際、過去の1923年9月の関東大震災や1995年1月の神戸淡路大震災後でも、個別商品価格の一時的な上昇はあったが、全体の物価で著しい上昇があったわけではない。
2 世界恐慌・終戦直後の国債引受
日本の歴史を振り返ると、日銀が国債を直接的に引き受けた具体的事例は、昭和7(1932)年に高橋是清蔵相が開始し、第2次世界大戦の終結時である昭和20(1945)年まで続けられたものと、厳密には国債ではなかったものの、日銀が政府系金融機関の債権引受を余儀なくされた終戦直後における復興金融債権の引受の2つがある。
昭和7年の高橋是清蔵相の政策
高橋是清蔵相の日銀引受は、昭和4(1929)年のニューヨーク市場における株価大暴落に端を発した世界大恐慌の影響が各国へと波及する中で、わが国の井上準之助蔵相は翌年1月、金解禁(国際金本位制への復帰)を断行した。
実力対比で円高水準での国際通貨体制への復帰に加えて、超緊縮型の昭和5(1930)年の予算編成もあり、輸出と財政支出が大きく落ち込んだ結果、国内経済は「昭和恐慌」と呼ばれるデフレ不況に陥った。
この状況で犬養毅新内閣の高橋蔵相は、ただちに金本位制からの離脱を実施した。そして、昭和7(1932)年と翌年にかけて国の予算を軍事費と農村向けの公共事業等に手厚く配分したが、そのための財源は政府が発行する国債を日銀に直接引き受けさせるという手法を通じて捻出された。
当時の物価動向を見ると、昭和12(1937)年までの各年については、東京小売物価指数の前年比変化率は1桁にとどまっており、日銀引受の副作用としてしばしば引き合いに出されるインフレの激化という事実は読み取れない。その背景には、1930年代の前半において、日銀が政府から引き受けた国債の9割方を市中銀行に売却していたことがあったと考えられている。
引受をめぐる批判はほとんどゼロ
日銀による国債引受制度の導入に関して、当時の政府や日銀の対応に向けた批判はあまりなかった。大蔵省編『昭和財政史』によると、野党の演説にも積極的な反対主張は見られず、それまで健全財政主義を主張してきた一部の議員ですら「日銀引受によって時局匡救のための歳入補填公債(赤字国債)を発行することは時宜にかなった方法であると認めている」と述べたという。
「一石三鳥の妙手」と賞賛された史上まれに見る成功例
当時の世界各国の金融専門家も、その大多数が日銀引受方式に基づく日本政府の国債発行とその順調な消化を賞賛していた。当時の日銀総裁であった深井英五氏は昭和10年代に「日銀による国債引受は、導入当時の経済状況の下においては、資金供給を増やすと同時に国債発行を容易にし、金利水準の引下げを促す『一石三鳥の妙手』であった」と述べている。
高橋財政下における日本の経済成長率は7%に達し、経済史上まれに見る成功例と注目されることとなった。
戦後のインフレに拍車をかけた復興債引受
第2次世界大戦後の日銀による復興金融公庫債引受は、企業の生産活動に必要な基礎物資である石炭と鉄鋼が極端に不足していたことから、激しいインフレになってしまった。そもそもモノが不足しているにもかかわらず、カネだけ増やしてしまったためにインフレに拍車をかけてしまったのである。
しかし、第1次吉田内閣の大蔵大臣に就任した石橋湛山氏は、当時のインフレを「通貨の過剰化ではなく、財・サービスの供給不足である」と楽観的な見方をしていたのである。
3 高橋是清にできて今の政治家にできない理由
志のある政治家はまだいる
高橋是清にできて今の政治家にできない理由、それは政治家と官僚の力量が違いすぎるからである。例えば、今の国会議員やマスコミは「予算書」を見ていない。自分で読まないで人から聞くばかりなのである。志のある政治家はまだいる。しかし、少なくとも自分で予算書を読めるようにならなければならないだろう。
最後に
高橋是清は日銀の国債引受(緩和)と市中消化(引き締め)をうまく組み合わせて、「一石三鳥の妙手」を達成した。反面、石橋湛山は緩和すべきでないときに国債引受を行ってしまい、インフレに拍車をかけてしまった。「予算書」と時代背景を理解しよう。
次回は、政府頼みをやめリテラシーを身につけよ 国民の情報収集の問題についてまとめる。
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