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セバスチャン・デターディング デザインが私たちについて教えてくれること

「私が使っている椅子は、私たちの価値観をどのように表現しているでしょうか?」セバスチャンは語りかける。ここでは、55万ビューを超える Sebastian Deterding のTED講演を訳し、デザインが私たちについて教えてくれることについて理解する。

要約

私が使っている椅子は、私たちの価値観をどんな風に表現しているでしょうか?デザイナーのセバスチャン・デターディングが、道徳規範や豊かな暮らしのビジョンが、身の回りの物のデザインにどのように投影されているかについて語ります。

Sebastian Deterding is an interface designer who thinks deeply about persuasive and gameful design.

 

1 私たちの社会は多元的

今日は道徳的説得について お話しします。技法やデザインを用いて 人の行動を変えようとする場合 道徳的・非道徳的なこととは 何でしょうか?

皆さんの意見は分かりませんが 私が この問題について考えた時 早い段階で気付いたのは 私は答えられないということでした。何が道徳的・非道徳的かを 答えられないのは 私たちの社会が多元的だからです。私の価値観は 皆さんの価値観と 全く違うかもしれません。つまり私の価値観で下した 道徳・非道徳の判断は 皆さんのそれと 必ずしも一致しないかもしれません。

でも お伝えできることが 1つあります。それは 私の後ろの人が 世界に示したもの ― ソクラテスによる 「問うこと」です。私にできる事 皆さんと一緒にしたい事は 冒頭で質問したような 一連の問いについて 皆さんが自分で考え 玉ねぎの皮のように 1枚ずつむいて 皆さんが自分の信じる 道徳的・非道徳的説得が何であるか ということの核心に至ることです。そのために いくつか例を挙げてみます。人を操るための ゲーム要素を用いた 技法の例です。

 

2 環境影響ダッシュボードや褒めることの副作用

皆さんに対する 1つ目の質問は とても単純で 明白な質問です。皆さんが何かをデザインする時 その目的は何でしょう? でも目的だけを考えれば 良いわけではありません。そこで別の例を挙げてみましょう。これは環境影響ダッシュボードです。表示盤は車内に搭載され より燃費の良い運転を 促してくれます。日産のマイリーフ は 自分の運転と 他の人の運転を比べることで 一番燃費の良い運転をするのは誰かを 競い合うことができます。これらは非常に効果的です。しかし - あまりに効果的すぎて 赤信号で止まらないような 危険な運転を助長しました。なぜなら一度エンジンを止めて かけ直すと 多くのガソリンを使ってしまうからです。つまり とても良い目的のもとに 作られたものでも 明らかに副作用があったわけです。

副作用の例を もう1つ挙げてみましょう。褒められることです。あるウェブサイトで 子どもが親の望むことをすると 小さなバッジがもらえるという サービスがあります。自分で 靴ひもを結ぶとか 一見 とても良いことで 無害で善意的に思えます。しかし 人々の思考についての 調査を詳しく調べると 成果を気にすることや 公的評価を気にしたり このような公的な景品を 気にすることは 長い目で見た精神的な健康には 必ずしも 有用ではないのです。学ぶことを目的とし 他人にどう見られるかではなく 自分自身に目を向ける方が ずっと良いのです。こういった動機付けのツールは その中 あるいはそれ自体に 長期的な副作用を伴い 公的評価や社会的地位などが絡んだ 技法を使うたびに 評価を重視することが 良く 当たり前のことだと 認めるようなものです。文化としての 私たちの長期的な 精神的健康に 弊害を及ぼすかもしれないのです。

 

3 すべての自己のテクノロジーは統治する力を伴う

ですから これが2つ目の 明白な質問になります。皆さんがやっていることは どんな結果を生みますか? 燃料を節約できる 道具を使うことの効果 そして 人に何かをさせるために使う 公的な評価のような ツールの効果です。

目的、効果 これで全部でしょうか? 当然 その両方を 兼ね備えた技法もあります。どちらも長期的・短期的に 良い効果があり フレッド・スタッツマンが設計した Freedomのような 好意的な意図があります。このプログラムでは 煩わしい他人からの呼び出しや リクエスト攻撃に対して 予め設定した時間 PCのインターネット接続を遮断し 効率的に仕事を終わらせることができます。ほとんどの方が 同意して下さるでしょうが このプログラムは善意的で 良い成果が期待できます。哲学者のミシェル・フーコーの言う 「自己のテクノロジー」です。個人を奮起させて 人生の歩むべき道を決定し 自己を形成するという 技術です。

しかし 問題は フーコーが指摘したとおり すべての自己のテクノロジーは 統治する力を伴います。今日の現代自由民主主義に 見られるように 国や社会は 私たちの自己決定や自己形成を 認めるだけでなく それを要求します。私たちが効率的になることを追求し 自己制御し 常に自己管理を行うよう 要求しているのです。それがリベラルな社会が機能する 唯一の方法だからです。これらの技法は 私たちが 社会の一員であり続けるよう 社会が考案したものです。より適合して欲しいのです。そのために 効率を高めることを求めます。

これは必ずしも悪いことではありません。私が思うに この例は 普遍的理解に目を向けさせます。技法やデザインが何であれ 善良で良い効果が期待されると思っても スタッツマンのFreedomのように 特定の価値を伴うということです。そして私たちは それらの価値を問うことができます。その問いとは 私たち全員が 社会に より適合するために 絶え間なく自己の効率を 高めるのは良いことか?です。

別の例を挙げてみましょう。イスラム教徒の女性に スカーフを着用させる 説得方法について考えてみましょう。その目的や効果において それは良い方法ですか 悪い方法ですか? 基本的には こういった判断を下すには 皆さんの価値観を動員しますよね。

 

4 「どこまでが倫理的か?」

そこで3つ目の質問です。皆さんが判断を下す際 何の価値観を利用するか? 価値観といえば オンライン上で道徳的説得について 他の人と議論していた時に 大抵の場合 奇妙な偏見が あることに気付きました。その偏見とは 私たちが 問いかけているもので 「どこまで」が倫理的か? 「どこまで」が許容範囲内か? というものです。例えば オックスファムに寄付する時のフォームは 毎月の寄付という形が 予め設定されていて おそらく無意識の内に 一度限りの募金ではなく 月々の寄付を行うことを 奨励されたり 促されています。これは許容範囲内でしょうか? これは倫理的でしょうか? 低次元の議論に見えますよね。

でも実際には 「どこまでが倫理的か?」 という質問が 道徳性を図る 方法の1つです。西洋文化における 倫理観の入り口を 見てみると 倫理観の全く違ったアイデアを ご覧いただけると思います。アリストテレスにとって倫理観とは 「これは許される範囲にあるか?」 という質問ではありませんでした。倫理性とは どのように良い生活を 営めるかという問題でした。彼は これを「アレテー」という 言葉で表現しました。古代ギリシャ語で 翻訳すると「美徳」ですが 本当のところ「卓越性」を意味します。それは人間としての 可能性を最大限に利用して 生活するということです。

 

5 デザインには道徳的要素が含まれている

そして この考えを ポール・リチャード・ブキャナンは 最近の論文で上手く表現しています。「製品とは私たちの生き方について 鮮明な議論をもたらす」と。物のデザインは 私たちを説得する方法において 倫理的でも 非倫理的でもありません。デザインとは 単に私たちに 豊かな生活という ビジョンや 憧れを与えてくれる 道徳的要素が含まれているのです。

皆さんの周りの デザインを見てください。そして問いかけてみてください 「私たちの製品やデザインが示している 豊かな生活というビジョンは何か?」 すると私たちが いかにお互いに期待していないか 自分たちの生活や 豊かな生活だと思えるものに どれだけ期待していないかに 気付いてしまって 身震いするかもしれませんね。

 

6 「私たちはコミュニケーションを避けることはできない」

そこで 私からの4つ目の質問です。皆さんの デザインで伝えたい 豊かな生活のイメージとは何ですか? デザインといえば ― 先ほど既に議論を広げましたよね。なぜなら 説得するという 技法だけではなく 世の中の全てのデザインが 関係するからです。

皆さん ご存じか分かりませんが 偉大なコミュニケーション学者の ポール・ワツラウィックは 60年代に「私たちはコミュニケーションを 避けることはできない」という議論をしました。たとえ声には出さなくとも 黙っていることを選択していますし 黙ることで 何かを伝達します。そしてコミュニケーションを 避けられないように 説得することも 避けられません。私たちが何かする時 あるいはしない時 それをデザインの一部として 世間に提示するたびに 人を説得する要素を持ち合わせるのです。これが私たちに影響を与え 豊かな暮らしという 特定のイメージを そこに提示するのです。

 

7 学校の椅子でさえ説得する技法

オランダ人でテクノロジーの哲学を展開する ピーター・ポール・ヴァービークは デザイナーとしての私たちが 意図しているか否かに関わらず 道徳規範を具現化すると話します。あるものを ややこしくしたり 簡単にしたりという具合に 人の存在を 体系化するのです。私たちは世の中にあるものを通して 決められた尺度で 良いか悪いか 標準か普通かという 判断を下しているのです。

一見 無害に見える 学校の椅子でさえ 説得する技法なのです。豊かな生活を想起させるような 特定のイメージである 教えること・学ぶこと・聴くことを 提示し具現化しているからです。1人が教えて 片方は聞いている 学習する間は座っていること 自分のために勉強すること このルールを変えてはいけないこと なぜなら椅子は地面に 固定されているからなどです。

とても無害に見える 一脚の椅子さえ こんなアルネ・ヤコブセンが デザインしたような椅子も 説得する技法なんです。ここでも豊かな生活という アイデアを伝達しているからです 豊かな生活とは ― デザイナーとしての皆さんが 「豊かな生活の中では 商品が この椅子のように 持続的・非持続的に生産され これを使う人達は あの椅子を製作した人のように 良く・悪く扱われるだろう」と 認めることです。豊かな生活とは デザインに 重きを置くことでもあります。なぜなら人々が時間と お金をかけて こんな良いデザインの椅子を 製作したんですから 伝統を重んじる場所では それを気に掛ける人が作った 伝統・古典的な椅子が その象徴になるでしょう。このような椅子に 巨額のお金を掛けるような 明らかな浪費が 当たり前である所では 皆さんの社会的地位を 他人に誇示することができます。

 

8 「これが私たちの人生にどう影響を与えるか?」

こういった質問が 玉ねぎの皮なんです。私が 今日皆さんに考えてもらいたかったことは 皆さんが 何かをデザインする時に どんな目的を加えるか?ということです。皆さんが意図する・意図しない 影響力とは何でしょうか? それを判断するために どんな価値観を用いますか? 皆さんが そこで表現したい 美徳や憧れとは何でしょうか? それを説得する技法だけでなく デザインする 全てのものに どうやって施しますか?

ここで止めておきましょうか? それはできません。私は これら全てのキーワードは ある中核から 派生しているのだと思います。人生そのものです。豊かな生活とは何かという 問いかけは 私たちがデザインする 全てのものに向けられますが 「これが私たちの人生に どう影響を与えるか?」という 質問が重要です。「ランプや家が芸術品ならば 私たちの人生も そうであろう」 ミシェル・フーコーの言葉です。

 

9 豊かな生活について自問自答しよう

バスター・ベンソンの 実例を挙げてみましょう。これはバスターが 新しく立ち上げた ハビット研究所のオフィスで 体操器具を組み立てているところです。彼らは ヘルスマンスのような 健康に関するプログラムを 立ち上げる試みをしています。なぜ 実際に体操器具を 組み立てているのでしょうか? ここには ある原則があります。ハビット研究所で バスターが始めたことは チームが どんな風に働きたいかに 関係しています。彼らが このプログラムを作成した時 自分たちで道徳的規則を掲げました。一緒に働くためです。その内の1つは 「自分の健康と運動量に気を配る」でした。

つまり豊かな生活とは何か 自問自答する必要があるということです。自分のデザインで 伝えたい・作りたいと思う 豊かな生活のイメージは何か 皆さん自身が住んでみたい 豊かな生活のイメージ それはどんなものでしょうか?以上 ありがとうございました(拍手)

 

最後に

私たちの世界は多元的。すべての自己のテクノロジーは統治する力を伴う。「私たちはコミュニケーションを避けることはできない」学校の椅子でさえ説得する技法。デザインの目的、結果、価値観、豊かな生活について自問自答しよう

和訳してくださったMari Arimitsu 氏、レビューしてくださった Karina Garrido 氏に感謝する(2011年11月)。

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