前回は、清濁併せ呑めないと殺される 地方自治体の危ない世界についてまとめた。ここでは、次世代に対してやるべきことがある 史上最悪の市長に振り回された人々について解説する。
市長になった途端、白髪頭に変身
市長就任後、数ヶ月で白髪頭になった。毎月なじみの店に散髪に行っていたが、そのたびに髪を染めていたのである。小泉元首相も総理大臣になってから白髪が増えた。毎日が決断の連続であるトップは、孤独なのである。
死にたくなる人の気持ちがよくわかった市長時代
特にスキャンダル記事を仕掛けられてからは心労が増して、精神的にかなりまいっていた。市議会での罵倒、腹が立って眠れない。睡眠導入剤を飲んでも効果なし。「こういうときに人は死にたくなるんだろうな」とわかった。そうしたときの支えとなったものが、感謝日記や家族の支えだった。
政治が嫌いだから政治家になった
「政治が嫌いだから政治家になった」インタビューで必ずそう答えてきた。いまの政治に満足できないから、政治に失望していたから、自分が政治家になったのである。
政治家になって痛感するのは「就職活動としての政治」が多すぎることである。政治家という立場を職業として考え、落選したら生活が成り立たないからしがみつくのだ。今は苦しくとも未来に対して責任を持って、発言や行動をするのが政治家だと思う。
家族に誓いを立てた「生姜記念日」
生姜記念日とは、嫌いな生姜を克服することで、嫌なことが払拭されるようにという願掛けの宣言である。他にも、例えば禁煙の願掛けも「村山政権が1日でも早くつぶれるように、その日までタバコはやめた!」という決心で、それ以降続いている。最近でも、尖閣諸島で中国の漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした事件を通して、週1回の禁酒宣言をした。
どん底に落ちると、人間の本性が透けて見える
スキャンダル記事による支援者の反応も様々だった。「何があってもあなたを信じている」「上半身と下半身は別だ」といった励ましもあれば「愛想が尽きた」と言わんばかりに離れていった人もいる。どん底に落ちると、人間の本性が透けて見えるものである。
スキャンダルでひどい目に遭った人たち
スキャンダル記事の犠牲者は著者だけではない。家族や部下や支援者も不利益を被った。例えば、2006年に略式起訴された市長室長や、サンディエゴの出張を私用でキャンセルしたと騒がれたときに対応した国際政策室長などである。改革を進めようとする人の周囲の人を標的にすることで、孤立させようとするのが狙いなのである。
ひっそりコツコツと地味に暮らす日々
青山学院大学大学院のビジネススクール、岡山理科大学、倉敷芸術科学大学、千葉科学大学で客員教授を務め、さらに企業のコンサルティングや各地での講演を行っている(2011年現在)。また、市長の退職金も生活に役立てている。2012年3月17日には、宮城県に灯油2000リットルを運ぶなどの活動も行った。なお、2012年からは日本維新の会の衆議院議員となっている。
政治と家族を切り離してきた理由
政治と家族を切り離してきた理由は、家の中まで政治一色になってしまうからである。例外は、外国からの賓客を迎えるときなど、夫婦同伴がマナーという場合と選挙期間中である。それ以外は、基本的に妻は仕事にかかわらないようにしている。
家族でお遍路が家庭円満の秘訣
毎年、子どもの夏休みに合わせて自分の夏休みを確保し、家族で四国へお遍路に行くことにした。5泊6日の日程で、1日30キロ近く歩く。ただひたすらに歩く。歩くのは著者と子ども2人の3人。妻にはサポート隊長として着替えなどの荷物を運んでもらう。子どもの体力や表情を見ながら、背中を押して限界点を少しずつ上げていくのが父親の役割、そうした子どもをねぎらってくれるのが母親の役割だと思う。
我が家は今では珍しい「昭和の家族」
「うちは昭和の家族」と子どもは他の友達に説明しているようである。例えば、あいさつの徹底。朝起きたら「おはようございます」、出かけるときは「いってらっしゃい」、帰宅時には「おかえりなさい」、寝る前には「おやすみなさい」というものだ。
見守ってくれた父と母の存在
著者の父は著者が政治家になることには反対だった。理由は2つあり、「政治家になったところで何が変わるのか」というものと「政治の世界はとんでもなく汚いところだ。お前が務まるようなところではない」というものだ。しかし、そう言われれば言われるほど、著者の決意は固くなっていった。それでも陰ながら支援者に頭を下げてくれていたようである。
それに対して母親は「自分で決めたのだったら、応援するからがんばりなさい」という反応だった。スキャンダル記事が出たときも「いろいろあるけれど、がんばってね」という感じだった。後援会での著者の「いずれ時が来れば私の潔白が証明されますから、結末まで見ていてください」という言葉を信じてくれたのだろう。
次世代に対してやるべきことがある
不自然な営みを改めること、それがまず正しい政治の第一歩である。例えば、日本の負債はギリシャの負債と違って自国民がオーナーだが、それでも国民の預貯金を超えるときが来るかもしれない。そうならないように、いかなる国をめざすのかという目標を明確にすればいいのだ。
どんな国をめざすのか
大いなる自由に対して、しっかりと責任が伴う社会をめざすべきだと考える。自由と責任をセットにし、「自立」という価値観を重視していく必要がある。国家の自立、地方の自立、民間の自立、個人の自立などである。
国家の自立はアメリカによる保護からの自立である。自立があるからこそ、他国との協力関係が成り立つのである。地方の自立とは、自分たちの創意工夫と努力によって税収を得て、それを自分たちで考えて有効に使うということである。個人の自立とは、自分にできることは自分でする。そして、できないことを補完する社会をめざすことである。自らの役割を果たしつつ(自立)、できないところは依存するという社会をめざす必要があるのだ。
最後に
「今まで、やりたくてもやれなかったことを、この若造市長がいる間にやっちゃいましょう」この発言に呼応して、陣頭に立ってくれた幹部職員がいなければ、改革は進まなかっただろう。課題提起と最終決定は政治家、選択肢提供と執行管理は役人という役割分担が重要である。トップは孤独。それでも、支援者がいるからがんばれる。
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