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予算査定権と国税査察権が力の源泉 財務省支配のカラクリ

前回は、増税なしでも10年で80兆円賄える 増税によらない財源案についてまとめた。ここでは、予算査定権と国税査察権が力の源泉 財務省支配のカラクリについて解説する。

野田総理は財務省にとってパーなペット?

野田総理は、よく財務省のパペット(操り人形)といわれる。しかし、ある財務官僚は「我々のパーなペット」とまで言い放っていたそうである。財務省にしてみれば、野田佳彦という、とりたてて思い入れのある政策も行政経験もない政治家を操ることなど、赤子の手をひねるよりたやすいことなのかもしれない。

野田総理は、政権交代後の2年間、財務副大臣、財務大臣を務めた。この間、財務官僚が手塩にかけて育ててきた。そして、2011年9月の民主党代表選で野田氏を勝利させ、総理に就任した。その後は「財務省支配政権」として増税シフトに進んでしまった。

ここではそうした「財務省支配」の構造を説明し、その問題点を明らかにしていく。

 

財務省の「裏部隊工作員」による人格攻撃は尋常じゃない

著者は総理秘書官として、橋本政権で中央省庁の再編を行ったが、その中での柱が「大蔵省改革」だった。それは、「失われた10年」と評される日本没落の構造的要因の象徴が「金融」だったからである。

本来は高度な専門知識が要求される金融当局がその実態を備えず、金融機関では「MOF担」として大蔵官僚への接待技術に長けた人間が役員にのぼりつめる、こうした「護送船団方式」のもとで、日本の金融業界は世界から取り残されていった。そのため、橋本政権としては大蔵省の組織改革はどうしても成し遂げなければならなかった。

「裏部隊」とは、こうした行革をつぶすための組織である。その役所の将来を背負って立つような超エリートで構成され、「裏部隊工作員」たちは、時の総理はもちろん、主要な政治家や各界のオピニオンリーダーと言われる人たちに張り付く。そして相手の経歴を調べ上げ、必要ならば親類縁者や係累まで洗い出し、「財政と金融を分離するととんでもないことが起こりますよ」というように、”ご説明”や用意周到な根回しを行うのである。

工作員たちは、著者に対してもこうした活動を行い、人格攻撃を受け続けた。さらに追い討ちをかけるように、通産省までもが自らの省益のための「通信行政穫り」「焼け太り」を著者のせいにしたのである。

 

金融行政が大蔵省から分離されるならテロをも辞さない

大蔵省の猛烈な抵抗を象徴するような大きな事件もあった。1997年11月の、山一證券の自主廃業である。山一證券の破綻については謎が多く、一部の政治家やマスコミの間では「財政・金融の分離阻止のために、大蔵省が山一破綻を仕掛けた」という「大蔵省クーデター説」まで飛び交った。

大蔵省が「金融ビッグバン」(山一破綻)を仕掛けた背景について、元大蔵省財務官の榊原英資氏は、ある月刊誌で「財政・金融の分離を阻止するため『金融自由化にあたって、大蔵省にはまだこんなに役割はあるんだぞ』ということを示したいという思惑があった」という内容の発言をしている。

しかし、最終的には大蔵省から金融行政を分離して、現在の金融庁を作ることができ、同時に「大蔵省」は「財務省」へと名称が変更された。日本銀行についても、大蔵官僚への過剰接待事件の反省に基づき、「財政と金融の分離」の原則に照らして、幹部から大蔵省出身者を一掃した。

 

なぜ政治家は財務省に頭が上がらないのか

財務省の権力の源泉の1つは「予算の査定権」である。政治家は与野党とも財務省に頭を下げて「地元に橋をかけてくれ」「道路を造ってくれ」といった陳情をするため、予算を握る財務省には頭が上がらないのである。

もう1つは「 国税の査察権」である。税の査察による政治家への影響は非常に大きい。そのため、財務省は国税査察権を分離・独立させることを許さないのだ。結局、橋本総理の発案である「大蔵省からの国税庁の分離」も、大蔵省による歴代自民党税制調査会長などへの反対根回しによって、葬り去られた。歳入庁を設立し、社会保険料の徴収事務まで統合すれば、税と社会保険料の一体徴収によって未納、未徴収問題も解決するし、人員削減効果、行革効果も高いだろう(消費増税より「歳入庁」を優先せよ サラリーマンに負担強いる社会保障改革参照)。

 

財務官僚は官邸に食い込んでいる

予算を見ることは、各省庁のすべての業務にチェックを入れられることを意味する。どんな制作にもお金は必要だからである。以前の大蔵省は「すべての重要施策は予算と関係がある」と言って協議を求め、それが認められないと、今度は答弁を作成する官庁との直接取引で実質協議させるということがよくあった。

政権の中枢、首相官邸にも財務官僚が食い込んでいる。総理秘書官(事務)の筆頭格の多くは財務省出身秘書官であり、総理に一番影響力のある側近となる。また、総理の女房役であり内閣のスポークスマンとなる官房長官にも、財務省を筆頭に事務秘書官がつく。さらに、内閣府や自民党政権時代の経済財政諮問会議の要のポスト(政策統括官等)、官房副長官補(内政担当)にも財務官僚が就いている。

このように、財務官僚は権力の隅々に先兵を潜らせて情報を得る一方、財務官僚以外の官僚はその場から排除しようとするという、したたかさを持っているのである。

 

財務省は政府内を植民地化している

財務省の植民地化とは、事務次官や官房長は大蔵省出身者が就くことが常態化していたことからいわれている。今でも、防衛省や環境省にはその名残が残っている。

他に財務省が押さえている重要なポストには、以下の3つがある。まず、総務省行政管理局管理官(定員総括)である。このポストには、歴代、財務官僚で次官コースに乗っている超エリートが就いている。また、人事院の給与課長も財務官僚の出向者が就いている。さらに、内閣法制局の長官や部長、参事官にも財務官僚が就く場合が多い。

このように、一官庁が予算、人事、組織、法務、監査部門までを一手に握っているため、その権力の強大さは凄まじいものがある(国家公務員の人事管理と国税庁の警察力 「官庁の中の官庁」財務省参照)。

 

財務省はIMFさえ操る

日本政府はIMFに巨額の出資をしている。その金額は308億SDR(約4兆円)でシェア6.46%と世界第2位である。その資金的影響力をバックに、IMFナンバー3の副専務理事ポストには長年にわたって財務官僚が就いており、いわば「国際的な天下り先」になっている。その立場を利用して日本、消費税引き上げを予定どおり進めるべき=IMFと、財務省と同じ見解を述べさせることが多い。

著者が政権にいたときも、IMFがわざわざ日本の金融機関の統廃合(日本輸出入銀行+海外経済協力基金=国際協力銀行)に口出ししてきたのである。これは内政干渉にあたり、そもそもIMFが口を出す必要がないことである。つまりこの声明は、財務省がIMFに出向している財務官僚を通じて出させたものだったのである。

 

このままでは「国破れて財務省あり」

財務省が強大な権限を持つこと(財政至上主義)の問題は、新しい政策の芽や革新の動きを妨げ、その意欲を削いでしまうことである。「現状維持でいい」という保守的な考え方が蔓延し、社会全体が停滞してしまうのだ。

これは企業にたとえるとわかりやすい。経理部(財務省)が強い会社は、当面は堅実だろう。しかし、大きな時代の流れを見通し、事業環境の変化に的確に対応しながら発展していく会社は、企画部門や研究開発部門が生き生きとしている。反面、現在の日本は、会長も社長も副社長も専務も常務も、すべてが経理部出身者に占められているようなものなのである。

イギリスのサッチャー政権は、フォークランド戦争について主要な決定を下した戦時内閣に、大蔵大臣は入れなかった。その理由は、サッチャー自身が回顧録でも述べているように、戦争の遂行や外交が財政上の理由で危うくなることを避けるためだった。日本を「国破れて財務省あり」の状態にするわけにはいかない。

 

財務省は裏で「大蔵省」を復活させようとしていた

財務省は小渕政権時に猛烈な巻き返しを図り始めた。その1つが財務省から大蔵省への名称変更だったが、最終的には小渕総理と橋本前総理との直接会談で、中央省庁再編基本法どおりに「財務省」と裁定したのである。

そもそも大蔵省とは、律令制の時代から使われている名称である。しかし、律令制の時代には「国民」という概念はなく、一種の奴隷制として民から搾取していた。その搾取物である米穀や反物がおびただしく積まれていたのが、大蔵の「蔵」だったのである。「たかが名称、されど名称」であり、現代の民主主義国家ではふさわしいとはいえない名称である。

著者は同様に、財務省にある主計局、主税局、理財局などの名称も、それぞれ「予算局」「税務局」「財政投融資局」に改称した方がいいとしている。

財務省を復権させた小泉政権

橋本政権で成し遂げた「大蔵省改革」を揺り戻し、財務省を復権させたのが小泉政権である。それは、数々のスキャンダルによって政府部内のポストを失った財務省が、小泉政権以降に次々と復権したことからわかる。「財政と金融の分離」で誕生したはずの金融庁の長官や局長、日銀の副総裁、公正取引委員会の委員長などに、財務官僚が就任していったのである。

財務官僚のパワーを、少なくとも敵には回さない」小泉総理はこう考えていたのだろう。医療費削減や三位一体改革で見せた地方交付税の大幅削減、道路公団改革、道路特定財源の一般財源化、スキャンダルで失職した元大蔵省幹部の復権などで、財務省に恩を売った。その代わりに、政府系金融機関の統廃合では財務省にも泣いてもらったのである(「どうすれば民ができるかを考えてほしい」 小泉政権の舞台裏参照)。

 

日銀総裁は財務省にとって「夢の天下り先」

日銀総裁は財務省にとって「夢の天下り先」といわれている。しかし、金融はプロの世界であり、まともに経済学を修めていない中央銀行総裁など考えられない。日銀総裁には、単に金融やその政策への造詣にとどまらず、実体験に裏付けられた市場との対話能力、国際金融界での人脈や交渉力などが要求されるからである。

 

民主党政権は初めから財務省主導だった

民主党政権は初めから財務省主導だった。それは、政権発足直後、財務相に就任した元大蔵官僚の藤井裕久氏が「予算編成権は財務省にある」と言ったことからもわかる。憲法第86条にあるように、予算編成権は内閣にある。財務省には、これまで便宜上、予算編成の「事務」が内閣から委任されていたにすぎない。

 

なぜ民主党政権は「政治主導」ができなかったのか

民主党政権に「政治主導」ができなかった理由は、政権発足直後に「局長以上は辞表」や国家戦略局といったスタートダッシュにつまづいたからである。その背景には、「国家戦略局設置で予算編成の主導権を握られたくない」という財務省の意向と、小沢一郎幹事長の「国家戦略局って何だ」という鶴の一声があった(つまずきの始まりは天下り人事 司令塔なきゲリラ戦だった民主党参照)。

当初の政権構想では、党の幹事長も副総理などの閣僚を兼務し「内閣一元化」を図る予定だったが、なぜか小沢幹事長を例外扱いして入閣させなかった。この小沢氏への人事が、党への権力集中を招いた最大の要因だった。結局、年末の予算編成において財務省に頼らざるを得ない状況が生まれ、自分たちの天下り先などの省益を守ったのである。

組織管理の要諦は、会社であれ役所であれ「人事とカネ」を握ることである。著者やみんなの党は、幹部公務員の人事権を握る「内閣人事局」の設置に加えて、カネ(予算編成)を握る「内閣予算局」の創設を提案している。この2つを管理できて、初めて「真の政治主導」の体制が整うのである。

 

最後に

財務省の力の源泉は、予算査定権と国税査察権である。すなわち、日本のカネと警察権力を持っているようなものである。他にも、予算、人事、組織、法務、監査部門にまでポストを持っている。組織管理の要諦は、人事とカネを握ること。内閣人事局と内閣予算局の創設で、真の政治主導を実現せよ

次回は、脱官僚・地域主権で国のかたちを変える みんなの党の基本政策についてまとめる。

財務省のマインドコントロール


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