前回は、産業政策は役人の失業対策 価値創造できない日本の官僚についてまとめた。ここでは、公務員も失業保険に加入せよ 中立性はあれど即応性のない日本の官僚について解説する。
刷り込まれた「官僚信仰」
明治政府の殖産興業政策以来、中央政府と官僚による近代国家建設が一定の成功を収めた。その記憶が日本人の中に、未だに残っている。役所や役人のことを「お上」と言いながらも批判することから、官僚を尊敬し、多くを求めていることがうかがえる(松本清張『現代官僚論』参照)。
外国にあって日本にない仕組みとは
諸外国の官僚制度を見ると、官僚には①政治的な中立性と②政治的な即応性の2つの要素が求められる。しかし、日本には②の政治的な即応性が一切ない。
政治的な即応性とは、政治的な意図を敏感に察知し、すぐに対応する素質のことである。政権交代などがあったときに、民意を代表するのは政治家しかいないため、政治家主導で動ける官僚を登用しなければならない。そのシステムを政治任用(political appointee)という。
例えば、日本では各省の事務次官は官僚のトップだが、他の先進国ではおよそ半分が外部からの民間人を含めた政治任用である。アメリカは、長官(日本の大臣にあたる)から局長クラスまでの約3000人が大統領の任命による政治任用であるし、イギリスでは大臣が2人まで「特別顧問」を政治任用する(上級公務員の能力主義・業績給への移行は必然 先進国の公務員制度改革参照)。
政治任用ポストを増やさなければ官僚が暴走する
日本では官僚をチェックし、ペナルティを与える仕組みがない。さらに、期待を裏切られたときの制度的ケアがない。他の先進国は政治任用ポストを増やすことで、政権交代とともにリセットできる仕組みを作っている。しかし、日本の場合はすべて政治家に責任が負わされて、官僚は一切、責任を負わないのである。
『男子の本懐』が広めた偽りの官僚像
日本人の官僚信仰を肯定的に押し上げたひとつの言論として、城山三郎氏の『男子の本懐』がある。ライオン宰相こと濱口雄幸と、濱口に請われて大蔵大臣に就任した井上準之助、2人の生き様を「金解禁」を軸に描いた小説であり、のちにNHKでドラマにもなった。
大蔵省の新人研修で叱られた
『男子の本懐』の主人公、濱口雄幸は軍の反対を押し切って緊縮財政と金解禁を断行し、最後は東京駅で右翼の凶弾に倒れた。そこには命がけで信念を貫いたという、美しい官僚像がある。
金解禁とは、金の輸出を解禁して金本位制に復帰することである。著者は「金本位制が本当にいいのなら、なぜ今、日本も外国も金本位制ではないのか。金本位制がいいことか悪いことかわからないのに、命をかけるのは愚かではないか」と思い、この本の感想文に書いた。すると「どうしてこんなバカなやつがいるんだ」と名指しで批判されたのである。
ようやくわかった金解禁の経済学的評価
世界大恐慌は金本位制によって発生し伝播した 金融政策の理論的根拠でも述べたように、1990年代以降、日本の金解禁を失敗とするのは定説になっていることがわかった。また、若田部昌澄氏(早稲田大学)や中村宗悦氏(大東文化大学)といった経済誌の専門家によると、石橋湛山や高橋亀吉など、金解禁の時代にも異議を唱えた人物がいたことがわかった(世界恐慌・終戦直後の国債引受 高橋是清・石橋湛山に学ぶ復興の歴史参照)。
『男子の本懐』は小説としてはよい作品だが、官僚たちに濱口と井上を個人崇拝させることで思考停止をもたらし、国民には誤った官僚像を植え付けてしまったという意味で、著者は否定的である。
通産官僚は「全知全能」なのか
城山三郎氏の『官僚たちの夏』という小説は、通産省の佐橋滋氏をモデルとした内容である。佐橋氏を中心に策定した「特定産業振興臨時措置法」(特振法)が軸になっており、3回も国会に提出されたが産業界の強硬な反対に遭い、審議未了で廃案となっている。
通産省は産業政策の名の下に、市場メカニズムよりも官僚機構のほうが優れているとの前提に立った施策を行う。そのため「市場の失敗」という言葉はよく使うが、「政府の失敗」についてはほとんど言及しない。
官僚は「市場」と「民主主義」が大嫌い
官僚の本音は、うまくコントロールできない市場も嫌いだが、民主主義も嫌いである。例えば、少しでも金利が上がると「国債の金利を管理せよ」との小言が来る。国債金利には表面利率(クーポン)と流通利回りがあるが、流通利回りはそのときの金利環境によって変化する。その差は国債価格を調整することで管理することは可能なのである。
また、官僚は国民の代表である国会議員を手玉に取ることで、民主主義を克服している。民主主義は国会で法律や予算を成立させることで具体化されるが、官僚がその案を作成することで主導権を握るのである。
大蔵省を”スライス”する案
大蔵省をスライスする案とは財金分離である。大蔵省の主計・主税・理財・関税の財政部門と、証券・銀行・国際金融の金融部門とを分離するという考えである。大蔵省の庁舎では、財政部門は一階から三階まで、金融部門は四階なので、ちょうど省をスライスできるのである。
これには大蔵省は省を挙げて反対した。財政部門には天下りポストが少ないからである。しかし、大蔵省スキャンダルによって分が悪い。そこで、学術用語としての財金分離(政府と中央銀行を分離する)を取り上げ、日銀法改正案を浮上させた。そして、財政と金融政策の分離を骨子とする新日銀法の制定や、財政と金融行政の分離という金融監督庁の設置にまで至ったのである。
松本清張の”ミスター通産省”分析
松本清張は佐橋氏について「統制派の官僚」と断じている。前述の特振法は「通産省の危機感」から生まれたもので、それを振りかざす佐橋氏は、いわば典型的な役所人間と分析した。命をかけて「何をなした」かが重要なのであって、命のかけ方のみに目を奪われてはならない。医師に「最善の努力を尽くしました。手術は成功しました。でも患者さんはお亡くなりになりました」という論理は許されないのである。
「天下り」をどう英訳するか
「天下り」や「産業政策」に相当する英語は存在しない。例外的にフランス語では”pantoufle”といって「天下り先」を著す単語がある。本来の意味は「スリッパ」だが、俗語で気楽、心地いいということである。
また、先進国では、日本の通産省に相当する省庁が皆無に等しい。民間が進める産業に政府が介在し、民間を官僚が主導することなど考えられないのである。
東大卒でなければ人にあらず
官僚の取り柄といえば「有名大学を出た」「学生時代の成績が優秀だった」「公務員試験の成績が高得点だった」と、一般社会では通用しないことばかりである。その反動なのか、出身大学の偏差値で人物の優劣を測るような価値観が見受けられる。
最も有名なのは故宮澤喜一氏だろう。宮澤氏は人に「どこの大学?」とは聞かず、「あんた、(東大の)何期生?」と聞く。つまり、東大卒が前提の質問なのである。
政治家の首が飛んでも官僚の首は飛ばない
事務次官は企業でいえば取締役級である。それが「労働者」として身分保障されているのだから、経営陣としての自覚に欠けている(国家公務員法 第75条)。社長が替われば取締役も一緒に退陣するのが筋である。
公務員も失業保険に加入せよ
安倍政権における公務員制度改革の流れの中で「公務員も一度、ハローワークに並んだらどうか」というニュアンスの発言があった。しかし、公務員は失業保険に加入していないため、解雇することがなかなかできない。
著者は公務員も失業保険に加入し、保険料を払うべきとの立場である。役所には失業の概念がなく、あるのは退職金制度だけである。公務員が辞めるときは、退職金を得た上でさらに再就職先をあっせんしてもらえるのである。
民間企業には倒産のリスクが付いて回るため、従業員は失業保険を払っている。役所にも「事業部閉鎖」といって特定部署を閉めることがあるのだから、失業保険を払って解雇に備えるべきである。
3回”殺されかけた”著者
著者は天下り先を潰した反動で「高橋は3度殺しても足りない」と本気で憎まれた。「どうすれば民ができるかを考えてほしい」 小泉政権の舞台裏で述べたように、政策金融機関を統合・民営化を進めたからである。
統合化のメリットは、天下りポストを減らすとともに、産業間・国内外の金融をシームレス(継ぎ目なくスムーズ)にすることである。さらに、細分化された機関がそれぞれ資金調達するよりも、一元化したほうが効率的なのは明らかである。
「もし政策金融が必要だとしても、民間金融機関の融資を活用し、その融資に部分保証を付すなどして民間金融ベースでの政策金融を行う」という枠組みも作られている。つまり、日本政策金融公庫ひとつで十分であり、それでも不足するときには民間金融機関ベースに政策金融ができるようになっているのである。
110年も続く「官のかたち」
日本の近代官僚制の祖型は1899年に誕生したと見ることができる。前年に第9代首相の座に就き、第2次内閣を発足させた山県有朋が、それまでの文官任用令を改正したのである。
それまでは「政治的即応性」に重心のかかった制度だったが、政党員が官僚になることを制限した結果、「政治的中立性」のみの官僚が生まれることになったのである。こうして110年にも及ぶ「官のかたち」が今も生き続けているのである。
最後に
公務員には解雇がほとんどないという身分保障がある。そのルールは企業の取締役に当たる事務次官にまで適用されている。身分保障があるから失業保険に入っていない。ここから「政治的中立性」には優れるが「政治的即応性」のない組織が生まれている。公務員もハローワークに並んでみよう。
次回は、国家公務員の人事管理と国税庁の警察力 「官庁の中の官庁」財務省の秘密についてまとめる。
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