私たちは重大な決断を毎日行い、その多くを専門家に頼って決定する。しかし、経済学者のノリーナ・ハーツは専門家には限界があり、危険ですらあると言う。ここでは35万ビューを超える彼女のTEDの講演を要約し、混沌として難しい現代に役立つ戦略についてまとめる。
要約
私たちは重大な決断を毎日行い、その多くを専門家に頼って決定します。しかし、経済学者のノリーナ・ハーツは、専門家に 頼りすぎることには限界があり、危険ですらあると言います。彼女は私達に専門性の民主化を始めようと、つまり”外科医やCEO”だけでなく、店頭スタッフ にも耳を傾けるよう呼びかけます。
Noreena Hertz looks at global culture — financial and otherwise — using an approach that combines traditional economic analysis with foreign policy trends, psychology, behavioural economics, anthropology, history and sociology.
1 専門家依存による副作用
ハーツは専門家である自身の皮肉になることを承知で、専門家に依存することの副作用について述べている。
最近の実験で、ある成人のグループが専門家の話を聞いているところをMRIでスキャンしてみたところとても驚くべき結果が出ました。彼らが専門家の声を聞き始めると脳の自己意思決定領域はオフになったのです。文字通りフラット状態でした。彼らは専門家の言葉を聞き正誤を問わず、助言を受け入れまし た。
しかし専門家でも間違いは犯します。
研究によると医者は10回のうち4回も誤診をすることをご存知ですか?
自分で所得申告をすると統計的により正確に申告できるとご存知ですか?あなたの代わりに税理士に頼むよりもです。そして、もちろん私たちがよく知っている事例があります。経済の専門家達があまりにも大幅な見当違いをしたために、私たちは今1930年代以来の大恐慌におかれています。
自分達の健康、財産、そして安全保障のために自己意思決定する脳の領域を常に活性化させておくことは大切です。これは私が経済学者としてここ数年間、人は何を考え誰を信頼し、なぜ信頼するかということに注目し研究を行った結果です。
しかし皮肉なのは承知しています。
私自身、専門家として、教授、首相や大企業の首脳陣、国際機関に助言する立場だからです。
私は専門家の役割が変わらなければいけないと信じる一人の専門家として、私達はよりオープンマインドになり、民主的になるべきで、私たち専門家の見解に人々が反抗することを受け入れるべきだと思うのです。
2 専門家の世界の洞察
ハーツは専門家が陥りやすい過ちとして、以下の4点を挙げている。反対論が黙殺されがちなこと、社会的・文化的な常識によって影響を受けること、金がモノを言うこと、思考や行動の間違いを起こすことである。
では皆さんに私の立場を理解してもらうため専門家の世界に案内しましょう。
もちろんそこには例外があります。素晴らしい、文明に貢献するような例外です。
しかし私の研究によると、専門家らは全体的に非常に融通の利かないいくつかの立場に別れ、その中から有力な説が現れると反対説は黙殺されるのです。専門家達はその時主流な流行に沿い、自分達の仲間内で権威者を英雄扱いするのです。アラン・グリーンスパンの経済成長は、この先どんどん続くであろうという見通しは、経済危機の後になって初めて異議を唱える人が出たのです。
調べると専門家はその時代の社会的、文化的な常識によって支配され影響を受けることが分かります。ビクトリア時代の医者は、女性が性的欲望を表現すると彼女らを精神病院へ送り込んだのです。
また1973年までアメリカの精神科医らは同性愛を精神疾患として分類していました。
これらが意味するところはパラダイムシフトが起こるまで時間がかかりすぎること、そして複雑さや細かいニュアンスは無視され、結局は金が物を言うこと。
製薬会社が研究資金を出した臨床試験で、一番酷い副作用が好都合にも抜けているという証拠を見てきました。
食品会社が研究資金を出した研究では、新製品を発売する際、健康に良いという点をかなり誇張するとようなことも見てきました。食品会社による研究では、独立した研究に比べ平均して7倍も効果を誇張するという結果があります。そして私達は専門家であれど間違いを犯すということを自覚しなければなりません。彼らは毎日のように不注意による間違いを犯します。最近の外科手術 医学文書の研究では、外科医が健康な卵巣を摘出したり、脳の反対側を手術してしまったり、間違った方の手、肘、目、足などを手術した例がみつかりました。
また思考の間違いも起こります。
例えば放射線科医によく起こる思考の間違いは、CTスキャンを見る時、照会した医師が何と言ったか、すなわち委託した医師が何と言ったのかに対し左右され すぎるということです。放射線科医が肺炎の可能性がある患者のスキャンを見ているとしましょう。何がおこるかというと、スキャン上に肺炎の証拠を見つけた 時点で見るのを止めてしまうのです。
そのため3インチ下にある肺の腫瘍を見逃してしまうのです。
3 専門性の民主化をはかる建設的反抗
ハーツは自己の意思決定能力を活性化させておくために、3つの戦略を挙げている。専門家に対して挑戦をすること、専門家の知識を戦わせる環境を創ること、何かを新たに定義し直すことである。
まず私達は専門家に対して挑戦をし、同時に彼らを現代の伝道者として扱うのをやめることです。このために全ての科目でPh.D.を取得する必要はありません。ご安心ください。
でも彼らが苛立ちをあらわにしようとも主張を貫いてください。
例えば私たちは理解できる言葉での説明を望んでいます。
私が手術を受けた後、医師はなぜ「ハーツさん、ハイパーパイレキシアに気をつけてください」と言ったのでしょうか。単に、「高い熱に気をつけてください」と言えばよかったのに。
専門家に対して挑戦をするということは彼らのグラフや、方程式、予報や予言の背後に隠された本意を探し出し、そのための質問を用意すること。例えばこのような質問です。
- 専門家の意見の前提となっているのは何か?
- どのような証拠に基づいているのか?
- 何に焦点を置いて調査が進められたのか?
- そして何が無視されたのか?
最近の研究では、専門家による薬の臨床試験では売り出される前に大抵まずオスの動物で試され、そして次に男性で試されることが分かりました。まるで 世界の半分の人口が女性であることが忘れられているようです。そして女性は医学のハズレくじをひいたのです。なぜならこれらの薬の多くが女性に対してはあまりよく効かないことが分かったのです。
効く薬はといえばあまりにもよく効きすぎて、女性に害を与えるのです。
反抗者であるということは、専門家の作った前提や手法が間違っている可能性があることを認識することです。次に、私が「管理された意見の相違」と呼ぶもののための場を作る必要があります。
パラダイムシフトを起こすためには、打開策を打ち出すためには、そして神話を崩壊させるには「専門家の知識を戦わせる環境」を創ることが必要です。
新しく、多様で、対立した、異端的な意見を臆することなく議論に取り込むこと。人類の進展はアイデアの創造のみでなく破壊からも起こることを念頭に置くこと。
そしてこのように多様で、対立のある、異端的な意見で自分達を取り囲むと、私達はいっそう賢くなれるという研究結果がでています。意見の相違を促すのは反逆的なことです。なぜなら それはすでに自分が正しいと信じることに沿う意見やアドバイスで自分を取り囲もうとする私達の本能に逆らうことだからです。
積極的に意見の相違を管理する必要があるのはそのためです。
グーグル社CEOのエリック•シュミッドはこの考えを実際に日々実行している人です。会議では腕を組み、困惑した表情の人を見つけ出し実際にその人が異な る意見の持ち主かどうか議論に引っ張り込み意見の相違を促すのです。意見の相違を管理するということは不一致、不和、差異の価値を認識することです。しかし更に一歩踏み出し専門家とは何かを新たに定義し直す必要があります。
従来、専門家とは高度な学位や派手な肩書き・ディプロマなどを持ったり、ベストセラー本を書いた地位の高い人々のことです。
もしこのような専門性の定義をエリート主義集団として切り捨て、代わりに民主的な専門性を受け入れることをご想像ください。
そこでは専門性は外科医やCEOだけの領域ではなく、店頭販売員のものでもある。そう、例えば家電量販店ベスト・バイでは従業員全員に・・・掃除人、販売員、バックオフィスの人達、予測チームだけではなく全員に賭けをさせます。
そう、賭けです。
ある商品がクリスマス前に売れるかどうか、客の新しいアイデアを取り入れるべきかどうか、あるプロジェクトが予定通りに実現するかどうかなどにです。
社内の専門性を活用し採用することで、ベスト・バイはこれから中国にオープンする大型店舗の開店が予定通り実現しないことを発見しました。
なぜならスタッフ全員に店が予定通り開くか賭けをさせたところ、経理部門のグループが全員予定通りにいかないと掛けたのです。彼らは会社の中で唯一ある技術的な問題に気づいていたのです。予測の専門家や中国にいた現場の専門家さえ知らなかったことにです。
最後に
ノリーナ・ハーツのTEDでの講演を要約し、専門家依存による副作用、専門家の世界の洞察、専門性の民主化をはかる建設的反抗についてまとめた。
筆者は「専門家」という言葉を見ると、2つのことが思い浮かぶ。1つはカウンセリング、もう1つはコンビニだ。
カウンセリングは、原則クライアント(来談者)がお金を払って面接をしに来る。年齢性別かかわらず、それぞれ何らかの問題を抱えている方だ。そういった方は、「依存しやすい人」も多い(転移ともいう)。それゆえにスーパーバイズ(カウンセラーのカウンセリング指導)やケースカンファレンス(事例検討会)を行うことで、職業倫理に反することがないよう工夫されている。残念ながらそういう場では、カウンセラー側に依存させることで、問題解決を遅らせているように見えるケースも挙げられていた(筆者の印象)。本当にすごいカウンセラーは、あなたがなぜ相談に来たのか忘れてしまうくらいに元気にさせてしまう人であり、あなた自身(まわりの人も含む)の持つ解決能力を思い出させてくれる人だと思う。
コンビニのプロは、専門家になってはいけない。おそらくお客さんは、新商品や利幅の大きい商品の展開場所を気にしていないし、店に掲示されているポスターや横断幕を気にしていない。多くのお客さんは、店に入るときに自分がどんな状態か、天気はどうか、気分はどうかによって買うものを決めている。強いて言えば、「ついで買い」「衝動買い」を促すことくらいしかできない。それでも、懸命に売りたい商品を目立たせないと買ってはくれないし、そもそも気づかれない。過去のデータは参考にすれど、妄信しては縮小均衡に陥ってしまう。基本4原則といった専門家の目線は持ちながら、お客さんとしての目線も忘れてはならない。鈴木敏文氏が語るように、「(セブンイレブンは)素人集団だから成功できた」のだ。
よりよく「使い」「使われる」専門家になろう。
講演を翻訳してくださったMadoka Suganuma氏と、レビューをしてくださったKayo Mizutani氏に感謝する。
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