前回は、物事を進めるには言葉の定義と数値目標が必要 期限と数量のない官僚の作文についてまとめた。ここでは、官房副長官、官房副長官補、広報官を政治任用せよ 官僚の統制方法について解説する。
首相も官僚を”尊敬”していた?
鳩山首相は父が大蔵官僚だったこともあり、官僚を尊敬していたのではないか。だからこそ「脱官僚依存」を掲げて政権交代を行ったが、政治任用ポストの顔ぶれを変えることはなかった。事前に根回しを行い、覚悟を持って人事を行うことはなかったのである。
言うことを聞かないのなら辞めてもらえ
脱官僚のために政治家が手をつけるべき政治任用ポストは、官房長官を補佐する「官房副長官」と「官房副長官補」である。さらに広報官も政治任用すれば、政治主導をアピールできる。官房副長官は内閣法で定員が3人と定められ、うち2人は政治家(政務担当)、残る1人を官僚(事務担当)とするのが慣例となっている。その下に位置して「官房長官・官房副長官・内閣危機管理官を補佐する」(内閣法第16条)のが官房副長官補である。内政担当、外政担当、安全保障・危機管理担当の3人がいる。
問題は、これらのポストが官僚の指定席になっていることである。そこで、2006年9月の安倍晋三内閣のときに官房副長官を替えたのである。旧内務省系官僚(警察庁、旧厚生省、旧自治省)の指定席だったところへ、初めて大蔵省出身の的場順三氏を据えたのである。
鳩山首相もこのように人事によって政権のカラーを出せばよかった。例えば、内閣総理大臣補佐官(首相補佐官)というポストに鳩山氏と理念を共有する人物を起用し、「普天間問題の担当」とすればいい。あるいは首相補佐官人事の前に、外務・防衛事務次官にオプションを与えるという方法もある。あらかじめ辞表の提出を求めた上で、首相自身の考えに賛成か反対かを問えばいいのだ。
官僚を「使いこなす」ことは、実は困難
政治家は官僚を「使いこなす」より「選ぶ」ほうが現実的である。今までやってきたことと逆のことをするのを求めるのではなく、権限・職位を奪って新しい人にやってもらったほうがよい。そのためにも、少なくとも局長級以上の官僚には、政治主導によって人事が差配されるリスクを負わせるべきである。「一労働者でいたいのならば、時間はおろか局長にならないほうがよい」とアナウンスできる制度改革が必要だ。
首相官邸”裏の秘書官”グループ
首相官邸”裏の秘書官”グループとは、小泉純一郎内閣で主席秘書官(政務担当首相秘書官)を務めた飯島勲氏がつくったものである。飯島氏は財務省出身者らが幅を利かせる首相秘書官(事務担当秘書官)の「枠」を拡大した。それにより他省庁の不満を解消し、自らの部隊として活用したのである。
首相官邸には総理執務室の隣に秘書官室がある。秘書官室を通らなければ首相の部屋に入ることはできない。つまり、秘書官室に座っていると、誰がいつ、どのように首相に面会したかがわかる。この特権を、財務・経産・外務・警察以外の省庁に日替わりで開放したのである。
政治家に殉じる官僚はいるか
この飯島氏の公募システムを応用し、安倍晋三氏は首相に就任して間もない2006年9月21日、官邸に詰めるスタッフ10人を全省庁から公募した。しかし、2007年9月に安倍政権が倒れたとき、安倍氏に殉職したのは著者ひとりだけだった(官僚個人は国益、組織は省益が目的 公務員制度改革が安倍総理辞任の真相参照)。残りの9人は元にいた省庁に戻っている。
公募は自由任用であって政治任用ではない。政治任用は政権交代とともに失職するが、自由任用なら古巣に戻ることができるのだ。
中央銀行の「独立性」には2つの意味がある
中央銀行に独立性を持たせる目的は、政治的混乱などで政策遂行がおろそかになったとしても、経済政策を持続させるためである。独立性には2つの意味があり、「目標の独立性」と「手段の独立性」である。そのうえで、民主主義国における中央銀行の独立性とは「手段の独立性」というのが世界の常識である。つまり、目標は政治的に決めるのだ。
目標の独立性とは、経済政策における目標を決めることである。対して手段の独立性は、その目標に向かっていつ何をやるのかという具体的・実践的方法の選択決定権をさす。具体的にいえば、中央銀行は「物価の番人」だから、中央銀行にとっての目標は「物価上昇率をいつまでに、何%くらいにするか」になる。この目標を達成するために「いつ利上げ(利下げ)をするか」といった手段を独自に決定するのである。
失敗しても責任を問われない不思議
しかし、日本銀行法では経済政策の「目標」を日本銀行が決めることになっており、しかもその目標が達成できなかったとしても責任が問われない(日本銀行法第15条)。日本銀行が目標を決めるのであれば、政策遂行にあたってのすべての責任が日銀に発生する。しかし、それは一切ないのである。
他の国では、政府が決定した目標を中央銀行が達成できなかったとき、まずは総裁が議会に呼ばれて釈明を求められる。その失敗が不可抗力だとされれば収まるが、中央銀行の能力不足と見なされれば、次の人事での再任は保証されない。その意味で「ペナルティ」が存在する。
さらに、中央銀行の役員の任命についても、日本は他の国と違って任命人事だけで終わってしまう(日本銀行法第23条)。目標を議会や政府が決め、その目標に向けて中央銀行が機能しているかをチェックする仕組みがないのである。
円高ショックのときに日銀は何をしたか
白川方明日本銀行総裁(当時)は2008年4月に就任した。2008年9月のリーマンショック以降、世界各国は金融緩和をしていたが、日銀は行わなかった(流動性供給、資本注入、金融緩和の3本柱 世界同時不況への対応策参照)。しかし、政府側も「独立性」を気にして動こうとしなかった。日銀は政府の内部組織であり、一個の行政機関にすぎない。首相や担当大臣が日銀を統制するのは何の問題もないのである。
田中角栄は「官僚を使いこなした」のか
故田中角栄氏は官僚統制という側面で、伝説的に語られる政治家である。しかし、政治家の昇進に官僚自身の昇進を重ねるという、もたれ合い構造は無視できない。ただし、田中氏が33件もの議員立法(国会議員提出による法案成立)を行ったというのは揺るぎない事実である。46の法案と提案し、うち33件を成立させた。
日本の国会法では、法案を提出できるのは内閣か国会議員と定められているが、法律として成立する9割方は内閣提出の法案(閣法)で、議員立法は圧倒的に少ない。そしてこの閣法こそが官僚による作文に他ならない。著者はこの「閣法」が官僚主導の根幹だと思っている。
国会議員は「国会に置ける各会派に対する立法事務費の交付に関する法律」に基づき、立法事務費を毎月65万円もらっている。これで議員立法をしない国会議員は、税金のムダ遣いである。議員立法なくして政治主導なしである。
「党人派」vs.「官僚派」
政権与党の政治家は大きく「党人派」(生え抜き政党員)と「官僚派」(官僚出身者) に分けられる。党人派は官僚を基本的に信用せず、自由主義的な「小さな政府」を志向する。反対に官僚派政治家は「大きな政府」を目指す(「どうすれば民ができるかを考えてほしい」 小泉政権の舞台裏参照)。
「過去官僚」たちの正体
今では官僚出身の政治家を「過去官僚」と呼ぶようになった。自民党の過去官僚は、中央省庁で一定以上の職位に就き、その後、天下りさながらに政治家に転身する人が多い。一方の民主党は、官僚経験を足がかりにして、比較的若い時期に政界に入る。しかし、本質的には出身母体としての官僚の意識が残っていることが見受けられる。
政治主導を実現する第一歩とは
政治主導を実現する第一歩は、政策立案を過去官僚たちにさせればいい。これなら官僚主導とは呼ばれないし、選挙のリスクをとっている分、特殊法人に天下った元官僚や現役の官僚よりは信頼できるだろう。
最後に
議員立法なくして政治主導なし。政治任用を活用し、官僚を統制せよ。
![]() |