前回は、経済財政諮問会議の情報はリークされる 秘密のアジトはビルの一室についてまとめた。ここでは、四分社化、政策の数値化、竹中平蔵と小泉純一郎 郵政民営化の全内幕について解説する。
郵貯破綻をシミュレーションした論文
著者は1994年〜98年まで財投改革を担当していたため、どのように郵貯が破綻していくかといったテーマで論文を書いていた(ALM、財投債、政策コスト分析が財投改革の三本柱 財務省が隠した爆弾参照)。竹中平蔵氏はそれを覚えており、著者を政策立案のブレーンの1人として白羽の矢を立てた。
「ここは、座敷牢だ」
「ここは、座敷牢だ」郵政民営化準備室のメンバーの発言だ。当時の郵政民営化準備室のメンバーは、ほぼ全員が郵政民営化には反対か無関心。一方、諮問会議の竹中チームは著者と高木詳吉氏と岸博幸氏ら数名のみ。反対派の拠点だった郵政民営化準備室に対して、竹中氏はいっさい無視した。
準備室の仕事は法案準備だけで、全体の方針は諮問会議で行ったのである。つまり、諮問会議が基本方針をつくるまで、準備室の仕事はない。準備室が立ち上がったのが4月だが、9月に入っても「まだ待て」との指示しかなかったのだ。
郵政四分社化の決定過程で
郵政民営化の準備は諮問会議特命室のメンバーを核に進められた。例えば、郵政四分社化である。郵政民営化にあたって、国鉄をJR各社に地域分割したときと同じやり方がいいという案もあったが、最終的に郵便局、郵貯、郵便事業、簡保の業種別で四社に分割された。
著者は、まず郵政事業を業務の違いから、金融(郵貯・簡保)と非金融(郵便)で分けるのが合理的だと考えた。同じ金融でも、郵貯は銀行業務、簡保は保険業務なので、さらに2つに分ける。
一方で、全国に約2万5000もある郵便局を活用するために、スコープ・メリット(複数の要素を組み合わせることでより大きなメリットを得られるという経済分析理論)という考え方を応用した。これに基づくと、郵便、郵貯、簡保の各社の小売部門は、別に郵便局会社をつくって、窓口業務で一括して対応するのが最も効率的ということになる。
論理的に考えると、地域分割はあり得なかった。郵貯、簡保の金融部門を分けて、さらに地域分割すると、規模が小さくなってスケール・デメリットが生じる恐れがあるからである。マッキンゼーの宇田左近氏らの経営学的な観点も取り入れ、数ヶ月の苦悶の果てにたどり着いた答えが、四分社化であった。
六本木オフィス官邸
「六本木オフィス官邸がある」と週刊誌が書き立てるときもあった。それでも内容は最後まで漏れなかった。かくして2004年9月10日、諮問会議から郵政民営化案をまとめた民間議員ペーパーが発表された。闇に葬られないように、新聞にも同時に情報を流した。「準備室は法案をつくるところ、方針に関する議論の場は経済財政諮問会議」役割分担を徹底しただけである。
諮問会議で、唯一、反対したのは、麻生太郎総務大臣だった。麻生大臣の後ろには郵政を管轄する総務省、竹中チームは4人の民間議員。多勢に無勢であったが、最後には常に竹中チームに軍配が上がった。小泉総理が竹中氏をよほど信頼していたからだろう。
思わぬ形の反撃
郵政民営化反対派の反撃として予想していたのは、郵政事業に携わる数十万人の職員の雇用不安だった。ところが、反対派が阻止を狙って持ち出してきたのは「システム構築が間に合わない」だった。そのうえ、郵政公社総裁の生田正治氏まで「システム構築には3年も5年もかかる」と小泉総理に直談判した。
結局「第三者的な、客観的な場で検討しよう」と逃げたが、システム構築ができるかどうかをまとめる事務局がないと機能しない。再び白羽の矢が立ったのが著者であった。1人事務局である。
80人のSEとの対決
システムの専門家を集めるために文献を読み、座長は加藤寛氏、宮田秀明氏ら5人を人選し、システム検討会を設置した。「自分は素人だが素人の自分がわかれば誰もがわかるはず」加藤氏の最初の記者会見の発言は本質を突いていた。
郵政システムは外注である。相手はシステムベンダーのシステムエンジニア(SE)80人であった。郵政システムは、時とともに非常に複雑化されていた。大きく分けると、簡保、郵便、郵貯の3系統に、それを総合的に扱う総合プログラムがあった。
会議を繰り返した結果、1年半で基本的なシステムを構築できるとの結論を得た。システム構築に必要な期間は、パーツのプログラム1つを組み上げるのにかかる期間と人数を積算していけば、ほぼ正確な所要日数が算出できるのだ。
コンピュータ・システムは、1年、2年の単位でパーツごとにそのときの最先端技術を取り入れながら更新していくのが最も効率的で合理的なやり方である(スパイラル・メソッド)。プログラムが小さければミスも少なく、たとえトラブルが発生してもすぐに処理できるのである。
奸計、そして誹謗中傷
「1年半でできる」著者の一部の発言だけを取り上げたマスコミに始まり、著者は多くの場面で誹謗中傷を受けた。唯一、評価していたのが『日経BIZ』のIT担当記者だけであった。「日本で初めてのプロジェクト・マネジメントの例だ」との論評を載せていた。プロジェクト・マネジメントとは、様々な問題を解決するときに、最善の策を選択するためにいろいろな戦略などを選ぶ方式である。
郵政民営化を初めて数値化
郵政民営化を数値化することは、反対派の抵抗を抑えるためにも必要な作業だった。おそらく日本で初めての政策の数値化である。これは面倒な作業であると同時に、反対派に批判の種を与えることにもなりかねない。リスクは高いが、説得力というリターンも高い。「いい加減だ」との反論もあったが、具体的な数字を出す者はいなかった。
特殊会社化案の裏にあったからくり
民営化への手順に特殊法人化を挟むことは、完全民営化までに揺り戻しが起こる可能性がある。将来に憂いを残さないためにも、郵貯と簡保は郵政公社廃止後、ただちに商法会社にするという措置を講じる必要があったのである。商法会社にしてしまえば、新たに国有化法でも通さない限り、後戻りはできないのである(為替介入、郵政再国有化、プライマリー・バランス 民主党の政策の問題点3参照)。
天が味方した民営化
郵政選挙で民営化スタートが2007年4月から10月に6ヶ月間延びたため、トラブルらしいトラブルも起こさず、システムが順調に稼働した。トラブルは情報系の軽微なものが1つだけあっただけで、基幹業務系のものはなかった。
新しい民間会社は最初から上場するわけではない。上場企業なら3ヶ月決算は可能でも、非上場会社の場合、最も短い決算期間は半期6ヶ月である。4月スタートを逃せば、次は10月スタートになる。その結果、当初の予定より4ヶ月多く作業時間が与えられた。
10月スタートは、作業時間の増加と円滑な稼働チェックという二重のメリットがあった。新システムは、3〜4ヶ月前に一度稼働させ、最終チェックを行い、不具合を修正する。新システムの稼働は、現システムを停止してやるので、4月スタートなら年末、10月スタートならゴールデンウィークに実施するのが普通だ。年末は金融機関のシステムはピークを迎えている。ゴールデンウィークに稼働させるほうがずっとやりやすいのである。
竹中大臣は「カオナシ」
郵政民営化実現の原動力は、竹中氏の吸収力と理解力、そして小泉総理の情熱である。著者は竹中氏のイメージを「カオナシ」と語る。宮崎駿監督のアニメ映画『千と千尋の神隠し』に出てくる妖怪・カオナシである。カオナシは周りにあるものすべてを吸い込む。竹中氏もたぐいまれなる吸収力の持ち主である。
竹中氏は、人から役立つ話や理論を聞けばすべて取り込み、消化して自分の言葉にして話すことができる。また、1984年に『研究開発と設備投資の経済学―経済活力を支えるメカニズム』という本を書いたが、米国のアンドリュー・エーベルという学者の論文を修正し、様々な理論を取り込んだ内容となっている。
竹中氏は学者であると同時に優れたコーディネーターであり、政治家だった。民間出身の大臣の堺屋太一元経済企画庁長官のように、普通の言葉でわかりやすく話すこともできる。国会答弁にしても、誰の力も借りずにできる。その意味で、竹中氏はスーパーマンといってもよい。
小泉総理の情熱
その上をいく人が小泉純一郎氏だ。2003年6月に2007年の郵政民営化を竹中氏に指示している。さらに、小泉総理が竹中氏の資質を見抜いて彼を大臣に抜擢した理由もすごい。「カン」なのだ。「専門家に任せるのがいいんだよ。でも、竹中さんを信用するなと言ってくる人もいるから、最後は自分で決断するんだ」と言っていた。
小泉総理に渡す書類は、A4一枚までであった。要点だけを、それもかなり大きな字で書いたペーパーを持参する慣わしになっていた。それでも、総理が目を通すことはあまりなく、竹中さんの説明に目をつぶったまま「うん、うん、うん」と聞いて終わり。これが常だった。
しかし、郵政民営化だけは別格だった。小泉総理は普段メモも取らないが、郵政民営化に話が及ぶと目をカッと見開き、身を乗り出しただけでなく、鉛筆を取ってメモを取り始めたのである。それだけ、郵政民営化には情熱を傾けていたのである。
最後に
郵政民営化による郵政事業の四分社化(郵便局、郵貯、郵便事業、簡保)は、論理的にも経済学的にも経営学的にも必然だった。おそらく政策の数値化を行った日本で初めての例であり、それは竹中平蔵と小泉純一郎という2人がいなければ実現できなかっただろう。郵政民営化、郵政事業の四分社化は必然。
次回は、「どうすれば民ができるかを考えてほしい」 小泉政権の舞台裏についてまとめる。
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