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ロン・マッカラム 私の読書を可能にした技術革新

「私は今でも誰かにそばで朗読してもらうのが好きです。しかし技術は手放しません。それは私に大いなる可能性を与えてくれたから」マッカラムは語りかける。ここでは、50万ビューを超える Ron McCallum のTED講演を訳し、視覚障害者の読書革命について理解する。

要約

ロン・マッカラムは1948年に生まれ、生後数か月後に視力をなくしました。 この愛情に溢れた感動的なスピーチにおいて、彼は優れたツールやコンピューターを利用した支援技術の進化によっていかに彼が読めるようになったかをお話しします。 親切なボランティア達の協力によって、彼は法律家になっただけでなく、学問の世界で生き 何よりも素晴らしいことに貪欲な読書家になりました。視覚障害者の読書革命へようこそ。(TEDxSydneyで撮影)

Blind almost since birth, Ron McCallum is one of Australia’s most respected legal scholars, and an activist on behalf of disabled people around the globe.

 

1 あなたは目が見えないのよ

私が3歳か4歳のときのことです。母親が二人の兄と私に 物語を読んでくれました。私は本に手をのばし ページの感触を味わい 彼らが見ている絵を感じようとしました。母親は言いました。あなたは目が見えないのよ。絵は感じることはできないし 文字も感じることはできないの。そこで私は思いました “でも それが僕のしたいことなんだ” “物語が大好きだから本を読みたいんだ” 私はその時 技術革新によって私の夢が叶うなんて 思ってもいませんでした。

 

2 私が生まれたのは技術革新の恩恵を受けられる場所だった

64年ほど前に未熟児として生まれた私は 生後しばらくして失明しました。未熟児網膜症というもので 近年の先進国では稀な病気です。1948年に保育器の中で 体を丸めていた私は 良い場所に良い時代に 生まれたことを知りませんでした。私が生まれたのは技術革新の 恩恵を受けられる場所でした

 

3 世界には3,700万人の全盲の人がいる

世界には3,700万人の全盲の人がいます。しかし 技術革新の恩恵に預かることができるのは 北米やヨーロッパや日本などの 先進国の住人だけです。コンピューターはみなさんを含む多くの人たちの 生活を変えました。しかし 誰よりも われわれ視覚障害者の生活を変えてくれたと思います。今日は私がここにいたるまで 長い年月を支え続けてくれた たくさんのボランティアの方々とコンピューターを利用した支援技術との 繋がりについてお話しします。これはボランティアの方々と技術と 情熱に溢れた発明家の相互作用です。他の視覚障害者の方々も同様の経験があると思いますが 今日はそのことについて少しお話しさせてください。

 

4 5歳の私は学校で点字を学んだ

5歳の私は学校で点字を学びました。これは紙に打たれた6つの点を使った 独創的なシステムで 指先で感じることができます。私の6年生の成績表をお見せしましょう。ジュリアン・モローはどこで入手したのでしょう? (笑) 私は読むのが得意でした。しかし宗教と音楽観賞は苦手だったようです (笑)。オペラハウスを出るとき エレベータ内の点字に気付かれると思います。探してください。みなさんご存じでしたか? 私は知っていましたよ。いつも探してますからね(笑)

 

5 ロン どうせ俺たちはしばらくどこにも行けないからな

私が学校に通っていた時代は 本はボランティアである点訳者が 一点ずつうちながら 点字に訳されていました。私に本が読めるように そして その作業は19世紀の終わり頃から 主に女性によって行われ それが私にとって唯一の読む方法でした。高校生になった時 私は初めてテープレコーダーを手にしました。これはコンピューターが登場する前の 主たる読書メディアになりました。家族や友人に読んでもらったものを録音し あとで好きなだけ何回でも 改めて読み直すことができました。これがボランティアの方々と 繋がるきっかけを与えてくれました。例えば 私がカナダのクイーンズ大学で 勉強していたとき コリンズ・ベイ監獄の囚人達が協力を約束してくれました。彼らにテープレコーダーを渡して吹き込んでもらいました。一人が言いました “ロン どうせ俺たちはしばらくどこにも行けないからな“(笑)。でも 考えてみて下さい。彼らは 私のように教育を受ける機会を与えられなかったのに関わらず 私が法律の修士号を取るために 献身的に協力をしてくれたのです。

 

6 25年の間 テープレコーダーは私にとって全てだった

私はメルボルンのモナシュ大学で 学問の道に戻りました。それから25年の間 テープレコーダーは 私にとって全てでした。1990年の時点で私のオフィスには 29km分のテープがありました。生徒や家族や友人が 読んでくれたものです。ミセス ロイス・ ドエリー 後に第二の母と呼んだ人ですが 彼女はテープに何千時間分も読んでくれました。私がここで話すことにした理由のひとつは ここに来たロイスをみなさんに紹介して 改めて感謝したいと思ったからです。残念なことに 彼女の健康状態がそれを許してくれませんでしたが 私はここからロイスに感謝の意を表します(拍手)

 

7 盲目のコンピューター「キーノートゴールド84k」

1984年にアップルのコンピューターに出会いました。そしてこう考えました “これはガラス画面の機械だ 何の役にもたつまい” 何という間違いでしょう。1987年 長男のジェラードが生まれた月に 初めての視覚障害者用コンピューターを入手しました。実はここにあります。見えますか? そう このコンピューターには画面がありません (笑) 盲目のコンピューターなのです (笑) キーノート ゴールド 84kというモデルです。84kは84キロバイトのメモリを意味します (笑) 笑っちゃいけません。当時は4,000ドルもしたんです(笑) 私の時計の方がたくさんメモリーがあるかもしれません。

 

8 ラッセル・スミスが視覚障害者を助けるために作ったもの

これはニュージーランドの情熱的な発明家ラッセル・スミスが 視覚障害者を助けるため作ったものです。残念なことに彼は2005年に飛行機事故で亡くなってしまいましたが 彼の記憶は私の心に残っています。これによって 私は初めて 自分でタイプしたものを読むことができたのです。これには音声合成機能が付いています。1979年に初めて労働法に関する本を書いたときは 記憶だけを頼りにタイプライターに打ち込みました。新しい機械では打ち込んだ文章を読みあげてくれたのです。84キロバイトのメモリでも コンピューターの世界に入ることができました。

 

9 レイ・カーツワイルが本をスキャンして読み上げてくれる機械を作った

1974年にアメリカのレイ・カーツワイルが 本をスキャンして読み上げてくれる機械を 作り始めました。当時のOCRは単一のフォントでしか 正しく動作しませんでしたが CCDのフラットベッドスキャナと 音声合成の組み合わせにより どんなフォントにも対応する機械を作ったのです。洗濯機のように大きな彼の機械は 1976年1月13日に発売されました。1989年の3月に商用化されたカーツワイル朗読機に 初めて触れた私は驚きました。1989年の9月に私はモナシュ大学の 法学部で準教授として 指名されたタイミングで 法学部は私が使えるようにと導入してくれました。生まれて初めて本をスキャナーに置くだけで 読めるようになったのです。人々に親切にする必要はなくなりました!(笑)

 

10 誰からも検閲される心配がなくなった

誰からも検閲される心配がなくなりました。例えば 以前の私は というより今の私もですが 性表現を含んだ内容を 読み上げてもらうのは恥ずかしいものです (笑) 今は 真夜中に本を取り出しさえすれば…分かりますよね? (笑) (拍手)。今ではカーツワイルのスキャナーは PCのソフトに置き換わりました。小さくなったものです。最新の小説をスキャンすれば 視覚障害者用の本を図書館で借りるより先に 友人と小説について話すことができます。

 

11 これまで私はたくさんの人たちに助けられてきた

これまで私はたくさんの人たちに助けられてきました。彼らの多くは 会ってもいない人たちです。一人はアメリカ人発明家のテッド・ヘンター 彼はモーターバイクレーサーでしたが 1978年に事故で視力を失いました。モーターバイクに乗るには致命的でした。それでも彼はウォータースキーヤーに転向して 世界一の障害者ウォータースキーヤーになりました。そして彼は1989年にビル・ジョイスと組んで コンピューター画面に書かれている文字を 読み上げるプログラムを 作りはじめます。これはJAWSと呼ばれるもので このように読み上げてくれます(JAWSの音声)。ちょっと遅いかな?(笑) この速度だと私は寝てしまうでしょう。今のは遅いバージョンです。私が読む速度で再生してもらうことにしましょう。お願いします。(JAWSの音声)(笑)生徒のレポートを採点する時は さっさと終わらせたいですよね?(笑) (拍手)

 

12 今でも誰かにそばで朗読してもらうのが好きだが、技術は手放さない

1987年に私を魅了したこの技術は 今ではみなさんのiPhoneにも入っています。しかし 機械と一緒に読む作業は 寂しいものでもあります。私は家族や友人が読み聞かせてくれる環境で育ったので 彼らが私に 読み聞かせてくれる時の暖かみや呼吸 それに近接感を愛しています。朗読してもらうのは好きですか? 私の最も忘れられない思い出の一つが 1999年にマリーが私と子どもたちに”ハリーポッターと賢者の石”を マンリービーチの近くで 読んでくれたことです。素晴らしい本ですよね? 私は今でも誰かにそばで朗読してもらうのが好きです。しかし 技術は手放しません。それは 私に大いなる可能性を与えてくれたから

 

13 「DAISY」によって読み上げた本をCDに書き込むことができる

もちろん 障害者用の本は これらの技術より前にありました。長時間再生用のレコードは 1930年代初頭の発明です。今ではDAISYという仕組みを使って 読み上げた本をCDに書き込むことができます。しかし 私は合成した声を聞いていると 家に帰って本物の声で 元気な小説が聞きたくなるのです。

 

14 視覚障害者のための本の点字化に著作権が適用されない法律がある国も多い

私たち障害者の前には まだバリアーがあります。多くのウェブサイトはJAWSやその他の技術では 読むことができません。ウェブサイトは視覚的で ラベルのないグラフや ラベルのないボタンが多くあります。これこそ 標準化団体であるW3Cが インターネットの標準規格を設定した 理由です。私たちは 全てのインターネットユーザーやサイトの持ち主に 標準規格に則って欲しいと思っています。これにより視覚障害者も同じ土俵に立つことができます。法律によってもたらされるバリアもあります。例えばオーストラリアでは 他の1/3の国家と同じように 視覚障害者のための本の点字化に著作権が適用されない 法律があります。しかしこれらの本は国境を越えられません。例えばスペインでは10万冊のスペイン語の本に アクセスできます。アルゼンチンでは5万冊 他の南米の国では2千冊を 越えるところはないでしょう。しかしスペインから南米に 本を持っていくことは違法なのです。アメリカやイギリスやカナダそれにオーストラリアで 手に入る何百冊、何千冊もの本が 英語が使われている 60もの国に持っていくことができない。ハリーポッターの話をしましたが 本が国境を越えられないので異なるバージョンの本が それぞれの英語が使われている国で 作られる必要があります。イギリス アメリカ カナダ オーストラリア ニュージーランドでそれぞれ 異なるバージョンのハリーポッターが必要とされるのです。

 

15 国境を越えて本が持ち込めるようにしたい

ですから 来月モロッコで 多くの国家が集まる会議が開かれます。これらの国々と 世界点字協議会が共同で 条約を提唱します。もし本が著作権の制約を受けておらず 他国でも同様の仕組みがある時は 国境を越えて本が持ち込めるようにするのです。それにより これまで本を読むことができなかった多くの人 特に発展途上国の視覚障害者にたくさんの可能性をもたらします。私はこれを実現させたい(拍手)

 

16 私の人生はとても幸運だった

私の人生はとても幸運だったといえます。結婚して子どももいて 興味深い仕事をすることができました。シドニー大学の法学部の 学部長であったり 現在の国連障害者権利委員会としての ジュネーブでの仕事などです。実に恵まれた人間であると思っています。

 

17 妻であるマリー・クロック教授は私の光

未来は何を見せてくれるのでしょう。技術はさらに進化するでしょう。しかし私は60年前の母親の言葉を忘れません。”あなたは目が見えないのよ” “指で読むことはできないのだから” 私は本を読むという私や世界中の視覚障害者にとっての夢が 点訳者 ボランティアの朗読者 そして情熱的な発明家の関わり合いによって かなえられたことに感謝しています。スライドのページ送りをしている 研究助手のハナ・マーティンにも感謝します。妻であるマリー・クロック教授は私の光です。私を迎えに来てくれるでしょう。ありがとう。もうお別れを言わねばなりません。ごきげんようどうもありがとう(拍手) イェイ!(拍手) どうもありがとう(拍手)

 

最後に

私は今でも誰かにそばで朗読してもらうのが好き。でも技術は手放さない。私に大いなる可能性を与えてくれたから。多くの視覚障害者に読書の可能性を提供したい

和訳してくださった Keisuke Yamaguchi 氏、レビューしてくださった Makoto Ikeo 氏に感謝する(2013年9月)。


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