ブロニー・ウェアはオーストラリアで緩和ケアの看護師として働く女性である。彼女は人が死の間際において後悔する内容を記録し、5つにまとめた。ここではそのブログ(REGRETS OF THE DYING)とポール・グラハムのTODOリストを参考に、自戒を込めて5つの戒めを紹介する。
- I wish I’d had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me.
- I wish I didn’t work so hard.
- I wish I’d had the courage to express my feelings.
- I wish I had stayed in touch with my friends.
- I wish that I had let myself be happier.
1 夢を忘れない
他人の期待に合わせるのではなく、自分に正直に生きる勇気がほしかった
これがすべての中で最も共通する後悔である。自分の人生が残り少ないことに気づき、これまでの人生を明瞭に振り返るとき、多くの夢が満たされないままなくなっていることが簡単にわかる。ほとんどの人々は夢の半分もかなえることができずに、そしてそれは自分が選んだこともしくは選ばなかったせいだと気づいて死んでいく。それが失われるときまで、健康が気づきの自由をもたらすことはまれである。
2 働きすぎない
あんなに働かなければよかった
この思いは私が看護したあらゆる男性患者から聞かされた。彼らは自分たちの子どもの若さとパートナーとの交流を惜しむ。女性もまたこの後悔を口にするが、そのほとんどは上の世代の人々で、多くの女性患者は一家の稼ぎ手ではない。私が看護した全ての男性患者たちは、あまりにも多くの時間を単調な仕事の繰り返しに費やしたことを心から悔いていた。
3 思ったことを口にする
自分の感情を表す勇気を持てばよかった
多くの人々が他人との友好的な関係を維持するために、自分の気持ちを抑圧している。その結果として平凡な存在に甘んじ、真にそうなれたかもしれない存在になることはない。病気にかかった多くの人々が、後悔と憤りの気持ちをそれに関連づける。
4 友達を大事にする
友達と連絡を絶やさずにいればよかった
死を前にした数週間まで、ほとんどの人々が旧友の本当の価値に気づくことはない。そしてその時に、必ずしも彼らを見つけることはできない。多くの人々が過ぎ去った黄金の友情に対して熱心になる。そして人々は友情に対して、それに見合った時間と努力を与えなかったことに深い後悔の念を抱く。死ぬときには誰もが友達を惜しむ。
5 幸せになる
もっと自分を幸せにしてあげればよかった
これは驚くほど人々に共通する後悔だ。最期のときまで人々は、幸福とは選択の問題だと気づかない。彼らは古いパターンと習慣に行き詰まっている。慣れ親しんだことの「たやすさ」が、物理的な人生と同様に感情にまで行き渡っている。変化することへの恐れが、人々を他人や自分に対して自分は満ち足りていると偽らせてしまうのだ。心の底からもう一度大いに笑い、バカげたことをしたいと願ったのだ。
最後に
「人が死の間際に後悔すること」として、5つのことがあるということをまとめた。グラハム自身も「これらの5つの間違いのうち少なくとも4つを犯していた」と語っている。そして「歯車になるな」というアドバイスをしている。
筆者がブロニーのブログを読んだとき、キュブラー・ロスの「死ぬ瞬間」を思い出した。死が免れないという状況に至ったとき、人は「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑鬱」「受容」という5段階の心の動きを経るというものである。著者自身が、200人の末期ガン患者に面談した経験をもとにしている。
先日学生4割「自殺考えた」…自傷経験も7人に1人というニュースが報じられた。研究の今村仁美氏は「就活などで自己否定された苦しみから現実逃避しようとしているのではないか」と分析し、「教育現場で死生観を養う場を充実させるべきだ」と提言している。これに応える形で、具体策を2つ提示する。
ホスピスで2週間ボランティアを行う
筆者は学生時代に、ホスピスで泊まり込みのボランティアを行った。ホスピスとは主に末期がん患者の方が余生を過ごす場所だ。そこではつい昨日まで元気に会話していた人が、翌日亡くなっているということが日常的に起こる。過ごす人も様々で、一日中だんまりでベットで寝ている人もいれば、談話室で楽しそうに宇宙の話をしてくれる人もいた。家族が毎日のようにお見舞いに来る人もいれば、まったく来ない人もいた。部屋にお茶を配りに行けば、今日のその人の体調を直に感じることができた。その体験があったから私は自殺をしない、というわけではない。ただ1つ言えることは、死についての圧倒的な体験をすることができる。死を前にした人間がどのように生きているのか、そしてどのように死んでいくのか。死が恐ろしく身近になった。
「自殺を考えたときになぜ思いとどまれたのか」を本人に語ってもらう
「今までいろいろと大変な経験をしてきたと思いますが、どうして生き延びてこれたんですか」「どうやって乗り越えてきたんですか」といった質問を行う。そしてひたすら相づちや聴く姿勢を持ち続ける。こうすると、自然と周りの支えや本人の持つ強さが語られてくる。今の自分が持っている資源に気づくことができるのだ。筆者は学生時代にこの研究を行った。サバイバルクエスチョンやコーピングクエスチョンともいわれる。本当にしんどいときは言葉にできない可能性が高いことや、聞き手が前向きな方面に誘導しやすいという欠点もあるが、「自殺を考えた経験」自体を有効に活用できる。
受け入れ先の問題や、面接を誰が行うかといった課題はあるだろう。それでももし機会があったならば、試してみてほしい。
ウェアの文を訳してくださったaliquis ex vobis運営者の方と、グラハムの文を訳してくださった青木 靖氏に感謝する。
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