「官僚個人は優秀だが、組織としては幼稚である」著者は喝破する。ここでは、高橋洋一『さらば財務省!』(講談社)を8回にわたって要約し、有能な人間を無能にしてしまう現在の官僚システムを理解する。第1回は、安倍総理辞任の真相。
安倍辞任劇のさなかに
2007年9月12日、「安倍総理、辞任を表明」との速報が流れた。辞任会見において、安倍総理は「教育基本法改正と公務員制度改革」を成果として挙げた。年金問題や閣僚の相次ぐ不祥事という不運もあり、参院選の惨敗によって内閣改造をせざるを得なかった(以降、肩書きは当時のもの)。
改革の真の論点は何だったのか
小泉政権、安倍政権と続いた改革路線を評価するときの視点は、「小さな政府」と「大きな政府」だ。この2つの政権は小さな政府路線である。
小さな政府とは、肥大化した政府をスリム化すべきと考える人たちで、成長路線をとる中川秀直元幹事長や公務員制度改革、独立行政法人改革などを進める渡辺喜美金融相・行革相のことである。大きな政府とは、そうした政府を維持したいと考える人たちで、谷垣禎一政調会長や与謝野馨前官房長官ら、増税路線の財政タカ派のことである。
大きな政府の大本は、現在の官僚機構を維持したいと考える霞ヶ関で、官僚派と呼ばれる。反対に小さな政府は党人派と呼ばれ、自由主義的な考えの人が多く、改革にも前向きである。
先陣を切った小泉政権が実施した郵政民営化や日本道路公団民営化、政策金融改革などは、大きな政府の外堀を埋める改革だった。小泉路線を継承した安倍政権は、これを進めて大きな政府の本丸、公務員制度改革に斬り込んだ。しかし、その代償は大きく、志半ばで倒れた。
社会主義を信奉する官僚たち
「社会主義が最も成功した国は日本だ」というジョークがある。実際、戦後の日本では、官も民も中央集権の社会主義的なやり方をとってきた。
民間企業はひたすら大企業を目指し、会社こそが社会で外の世界はほとんど考慮しなかった。開発者はマーケットのニーズと関係なく、自分がよいと考えたものをつくり、人事制度も終身雇用や年功序列といった制度をとり続けていた。官も中央集権の官僚機構をつくり、内輪の論理で特殊法人などの外郭団体を増やしていった。
このような社会主義的なやり方が成功していたのは、戦後右肩上がりで経済が伸びていたからである。ところが、1990年代に入ると、中央集権主義的な手法は世界的に見ても限界が来た。社会主義は崩壊し、中国でも資本主義を大々的に取り入れている。
しかし、官は未だにその思想を続けており、その最たるものが天下りである。例えば、空港管理会社などの外資規制は、外資が入ってくると天下り役員が切られるため「国の安全保障」という大義名分で続けられている。
もはや官僚はエリート集団ではない
成長社会では確かに官僚機構は力となったが、低成長期に入り、官僚の考えは変化の激しい現実の経済と社会に合わなくなった。
誰も気づかない霞ヶ関の失策
日本の金融機関は「変動利付国債」という欠陥商品を多額に抱えている。その原型は、財務省が昔つくった変動利付国債である。これは信託銀行のための特別な商品で、貸付信託という5年ものの金融商品に対応するためにつくられた(2009年9月以降新規募集停止)。
貸付信託は、半年ぐらいで金利が変わっていく変動金利を取り入れている。貸付信託の変動金利が何に対して変動しているかというと、長期プライムローンなどの長期の金利に連動している。こうした特殊な商品を認めていたのが、当時の大蔵省銀行局だった。
しかし、2000年頃から大蔵省が「BIS(国際決済銀行)対策」と称して、大々的に変動利付国債を公募形式で普通の金融機関にも売り始めた。貸付信託に対応している信託銀行が保有している分には金利リスクが発生しないが、一般の金融機関が持つとリスクが発生する。
この商品は景気が良くなるなどの見通しによって、将来の金利高が見込まれる場合は調子がいい。一方、デフレが続いて将来の金利高が見込まれなくなると調子が悪くなる。2013年7月現在は景気が前向きになっているが、それ以前までに大きな含み損が発生しているだろう。
政治家と官僚が竹中平蔵を嫌った理由
政治家と官僚が竹中平蔵氏を嫌った理由は、彼が市場メカニズムを行動原理、価値基準としていたからである。社会主義的な思想に染まっている官僚にとって資本主義は悪である。資本主義では激しい変動がしばしば起こるからである。
例えば、北畑隆生経済産業省事務次官は「デイトレーダーはバカで無責任」と発言した。これは「会社は株主のもの」という資本主義に反している。また、政治家の多くが竹中氏を嫌うのは、政治は弱者救済という要素があるからである。
しかし、多くの世界は市場メカニズムで動いており、これを否定したら経済が破綻するだけである。結果として誰も救えなくなるだろう。
霞ヶ関のための政策立案
選挙の洗礼を受けない役人は実務担当者なので、立案した政策の善し悪しは、依頼してきた政治家の意にかなったものかどうかで判断されるべきである。しかし、今のシステムではほとんどが霞ヶ関のための政策になっており、客観的に評価するシステムになっていない。
最も評価がわかりやすいのは政治任用である。政治家が公募で、あるいは常日頃の情報収集から、最も自分の政策の立案にふさわしいと思う役人をスタッフとして任用する。任用したスタッフの立てた政策がよければ、その政治家は評価される。政策スタッフの株も上がり、ヘッドハンティングされるかもしれない。
一方で、その政策が悪ければ選挙に負ける。政治任用の場合、後戻りはできないので職を失う。政治家と一蓮托生なので骨を埋める覚悟が要る。ハイリスクだが、その分リターンも大きい。金銭面は別として、やりがいはあるだろう。
最後に
官僚個人は優秀である。しかし、自身の将来の安定につながる省益と国益を天秤にかけたとき、国益を選べる人は多くない。その意味で組織システムは幼稚である。公務員制度改革は「大きな政府」対「小さな政府」の価値観の衝突。政治任用が政策立案評価システムを変える。
次回は、ALM、財投債、政策コスト分析が財投改革の三本柱 財務省が隠した爆弾についてまとめる。
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