「政治家を殺すのに刃物はいらない。スキャンダルをでっち上げればいい」著者は自身の経験を踏まえて語りかける。ここでは、中田宏『政治家の殺し方』を4回にわたって要約し、元横浜市長が実践した改革とその抵抗の凄まじさを理解する。第1回は、「次世代のホープ」から「ハレンチ市長」まで。
数々のスキャンダル
著者が横浜市長に就任したのは2002年、37歳のときだった。マスコミの攻撃は、2007年11月10日号の「週刊現代」の記事から始まった。合コンでのハレンチ行為、公金横領、海外視察のサボり、前市長への裏切り、不倫騒動、飲酒運転、税金ネコババなどである。どれも裏付け取材のない、いい加減な内容だ。
このような記事が出た理由は、既得権益や利権を奪われた人々の恨みを買い、その報復としてバッシング記事が仕掛けられたのである。著者のイメージダウンを図り、政治生命を絶とうとしたのである。
「ハレンチ市長」が弾けた合コン
「ハレンチ市長」が弾けた合コンの真相は、衆議院時代にやっていたミニ集会の1つで、看護学校の学生たちと医療をテーマに話をしたときに撮ったものである。記事のような「王様ゲームをもちかけ…ハレンチな行為に」といったことは決してなかった。裁判でも、この写真を撮った女性が「記事のようなことはなかった」と証言してくれて、身の潔白を証明できた。
海外視察をドタキャンし、芸能人と遊び呆けていた?
海外視察をドタキャンし、芸能人と遊び呆けていたという報道の真相は、サンディエゴで山火事が発生し、事態が収束しなかったため出張を断念したというものである。通常、横浜市長のスケジュールは数ヶ月先までびっしり詰まっている。それが突如空白になったため、横浜出身の”ゆず”の記念コンサートや横浜出身のEXILEのHIROとの飲みに行くことができたのである。
「中田の愛人」と名乗る女性が全国ニュースに登場
2008年12月25日、「中田の愛人」と名乗る女性が全国ニュースに登場した。セッティングしたのは反中田派の急先鋒だった横浜市会議員A氏。横浜市庁舎の会議室で記者会見を行ったのだ。もちろん、著者には身の覚えのないことである。
帰宅後、家族は呆然とした様子だったので、カラ元気を発しながら焼肉を食べにいった。「お父さんは市長としていろんなことを変えているから、人から嫌われることもある。だから、世間からいろいろ言われることがあるけど、信じていてほしい」ご飯を食べた後で語ったことである。
3000万円の慰謝料を請求された不倫騒動
3000万円の慰謝料を請求した元ホステスの女性は、源氏名を奈々という。著者と深い関係になったと週刊誌の記事には書いてあるが、単なる客とホステスという関係でしかない。付き合っていたと彼女が主張する時期、著者がホテルに宿泊していたというのも荒唐無稽だし、公用車を使って送り迎えをしたというのもあり得ない。
すべては怪文書から始まった
怪文書は2005年11月から12月にかけて送られた。「市政研究会」と名乗る団体から市会議員、市内選出県会議員、市役所局長ら宛に怪文書が十数回にわたって送付された。その住所は中区港町1-1と市役所の住所だが、そうした研究会など市役所内には存在しない。怪文書は、その記事を利用したい人=議員がそもそもの嘘ネタの発信源なのだ。
巧妙に仕組まれた情報ロンダリング
情報ロンダリングとは、ありもしない噂をさも事実であるかのように作り上げ、情報をロンダリングしていくことである。「火のないところに煙を立てられている」ようなものであり、自作自演なのである。
なぜスキャンダルの餌食にされたのか
著者がスキャンダルの餌食にされた理由は、利権構造にメスを入れ、甘い汁を吸ってきた人間を追いつめてしまったからである。公共事業、公務員の待遇、施設管理、市役所の備品発注、土地利用規制、各種補助金、福祉、教育、ゴミ処理など、あらゆるものに利権は絡んでいる。「利権=悪」とされるが、それによって生活をしてきた人からすれば死活問題なのだ。
利権に群がるハイエナたち1:建設業界
利権に群がる勢力として代表的なものが、建設業界、公務員組織、暴力団絡みの風俗業界である。まず、建設業界といえば、談合である。談合が可能な理由は、指名競争入札によって指名された業者のみが応札する仕組みだからである。どの業者が参加する入札なのかがはっきりわかるので、お互いに仕事を融通し合えるのである。これを一般競争入札に変えることにより、不当に高い金額で落札できないようにした。
利権に群がるハイエナたち2:公務員
著者が市長になってから公務員の定数や各種手当などの削減を徹底して行った。市長になった2002年、人口1000人当たりの横浜市の公務員数は8人だったが、それを5人にまで減らしたのである。しかし、第2、第4土曜日には区役所開庁を実施するなど、サービス向上を進めながら人員削減を行ったため、後述するように一部職員から反撃を受けることになってしまった。
利権に群がるハイエナたち3:風俗業界
風俗業界の裏には暴力団がいることが多く、その活動の資金源としている。著者は当時の横浜にあふれていた違法売春店にメスを入れた。市内中区の大岡川沿いの一角の初黄・日の出地区には、2002年当時、250店舗の売春店舗があった。1998年時点で売春点は100店舗だったから、5年程度で倍以上に膨れたのである。
こうした地区への対応を強化したのは、小学5年生の女の子の手紙を受け取ったからである。「私の住んでいるところで困ることがあります。女の人がうすい洋服を着て立っているお店があり、そこの場所が私たちの通学路になっていて、そういう所を通りたくないと思っています」切々と訴えてくる手紙に著者は心を動かされ、神奈川県知事、神奈川県警察本部長、警察庁長官に直談判して風俗店を撲滅させた。
スキャンダルの陰でほくそ笑む男
一連のスキャンダルの背後にいるA氏のような人物は、いかにして生まれるのか。例えば、マンションの建設予定地で建設業者と近隣住民との間に立って仲介する。役所にとっても、両者の間に立って調整してくれる議員は頼もしい存在となる。こうして、一目置かれる議員が生まれるのである。
著者はA氏からの誘いを受けた1人の若い議員から相談を受けた。以下のような回答がA氏の怒りを誘い、スキャンダルの引き金となったのであろう。「それはやめた方がいいですよ。あなたのためになるとは思えない。政治の世界では、だれと組むかでその後の政治家人生が変わってくる。将来のキャリアにかかわってくるから、よくよく考えた方がいい」
スキャンダルにハマると二度と抜け出せない
一連の裁判について、著者の全面勝訴が続いた。しかし、スキャンダルに一度ハマると、自浄作用はなかった。「悪貨は良貨を駆逐する」のように、議会では根も葉もない噂によって紛糾していたのである。
ガセネタ大歓迎の地方議会
「議員は、議院で行った演説…について院外で責任を問われない」。憲法には国会議員の地位保全について、このように書かれている。これを意味するのは「議会内で責任が問われる」ということである。リクルート事件の追及やライブドア偽メール事件などのように、ガセネタの真偽については国会内で厳しく追及が行われる。
一方で、地方議会にはそうした自浄作用がない。与党と野党がはっきり分かれる国政と違って、地方自治体では首長と議員をそれぞれ直接選挙で選ぶ二元代表制をとっているからである。そのため、特にオール与党の場合は議員同士が仲良しサークルのようになってしまい、お互いに監視し合う機能が働かなくなってしまうのだ。
スキャンダルの黒幕が生き残るワケ
スキャンダルの黒幕が生き残る理由は、日本の裁判の判決が出るまでには2年くらいの時間がかかるからである。そのため、噂を流した張本人は、一時大騒ぎするだけでだれにもとがめられることなく、地方議会で生きながらえていくことが可能なのである。
元横浜市長とは「親しき間にも道理あり」の付き合い
元横浜市長・高秀秀信氏との関係は、「親しき間にも道理あり」の付き合いである。そのため、高秀氏が4選をめざそうとする市長選挙へのコメントとして「現職市長の4選は支持できません」と自分の信念を述べた。だれであろうと4選は長い、という立場だったのだ。
「市長の娘に手を出すな」は本当か
元横浜市長・高秀秀信氏の未亡人が告白したとされる「週刊現代」の記事には、「中田さんがうちの娘をデートに誘うようになった」などと書かれている。しかし、一切そのような事実などない。食事を一緒にしたことはあるが、同席する人もいて仕事仲間と一緒に食事をするようなものだった。
なぜ横浜市長に選ばれたのか
著者が横浜市長に選ばれたのは、市の財政赤字の膨張への懸念という時代の要請でもあっただろう。高秀市政が整備した横浜国際総合競技場や横浜港大さん橋国際客船ターミナルなどの施設整備、横浜市営地下鉄の延伸といった大型公共事業は、長引く経済停滞によって横浜市の財政を逼迫させていたのである。こうした財産を維持・管理して次につなげていくことも仕事の1つだった。その例が、横浜国際総合競技場へのネーミングライツの導入である。
ネーミングライツとは、施設やキャラクターなどに名前を付けることのできる権利である。その権利を売ることで、施設の運営経費を賄おうとするものである。当時、唯一あった事例が東京の「味の素スタジアム」で、石原慎太郎都知事が実現させた。ただし、これは5年で12億円と金額的には低かった。そのため、横浜国際総合競技場は「延長Vゴール方式」を実践して、年間4億7000万円に上る契約を日産と結び、日産スタジアムとなった。3000万円の経費削減と合わせて、税金を一切投入しない市営競技場となったのである。
現職市長の死去以外では初めての市民葬
高秀秀信氏が亡くなったとき、現職市長の死去以外では適用がなかった「市民葬」を執り行った。週刊誌の記事のような義理人情を欠く人間になりたくなかったからである。
なぜ任期途中で横浜市長を辞めたのか
2009年7月28日、著者は横浜市長の辞任表明をした。理由は、きりのいいタイミングで次の市長に引き継ぐためだった。辞め時にこだわる理由は2つある。1つはレームダックを避けるためで、もう1つは行財政改革を次の市長に託したかったからである。特に後者は、相乗り候補というオール与党によって、予算要望の連続という市政運営を防ぐためにも必要だったのだ。
考え抜いた末の辞任だった
市長選挙を衆議院選挙にぶつけることができ、同日選挙が可能となる。そうすれば、市長選をオール与党で戦うことはできなくなる。これが、7月28日に辞任すると決めた理由である。同日選挙となれば、各党相乗り候補は生まれないと踏んだからである。ただ実際には、衆院が解散されている最中にあっても、自公民の横浜市会議院の幹部は相乗りを模索して協議したと新聞で報じられている。かくして、市長選では自民党系の候補と民主党系の候補が戦い、後者の林文子氏が当選した。
最後に
「政治家を殺すにはスキャンダルをでっち上げればいい」地方議会の権力闘争は凄まじい。それでも前任者の功績を踏まえ、それを最大限に生かす施策を打つ。辞任のタイミングにまで考慮する。権力闘争の一面、ここにあり。
次回は、「人の不幸は密の味」 日本をダメにするマスコミの正体についてまとめる。
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