self-transcendence

ジョナサン・ハイト 宗教、進化、そして自己超越の恍惚

「なぜ私たちは自己超越や自己を失うことを試みるのでしょうか?」ハイトは語りかける。ここでは、90万ビューを超える Jonathan Haidt のTED講演を訳し、集団選択による進化の科学について理解する。

要約

心理学者ジョナサン・ハイトは、シンプルですが難しい質問をします: なぜ私たちは自己超越を求めるのか?なぜ私たちは自己を失うことを試みるのか? 集団選択による進化の科学を見て廻り、彼は刺激的な答えを提案します。

Jonathan Haidt studies how — and why — we evolved to be moral. By understanding more about our moral roots, his hope is that we can learn to be civil and open-minded.

 

1 皆さんは宗教的ですか?

1つ質問があります: 皆さんは宗教的ですか? 手をあげてください、 自分のことを宗教的だと思う人は。 えーと、3、4パーセントでしょうか。 知りませんでした、TEDカンファレンスにこんなに多くの信者がいるとは。 (笑) わかりました、別の質問です。 自分のことをスピリチュアルだと思う人は? どんな方法、姿、形であってもです、手をあげてください。 わかりました、こちらが大多数です。

今日の私のトークは その主な理由、またはその理由の1つについてですが、 なぜほとんどの人が自分のことを 何らかの方法、姿、形でスピリチュアルだと考えるのか、です。 今日の私のトークは、自己超越についてです。 まさに人間であることの基本的事実なのです。時に自我がただ溶け去るように思えるのは。 そして、それが起こると、 恍惚を感じ、 私たちはこうした感じを説明するのに 上下の比喩に向かいます。 私たちは、高められたとか、 高揚したといいます。

 

2 階段を昇ると意識変容の状態を経験する

ここでこのような抽象的なことを、具体的なうまい比喩もなく 考えるのは本当に大変です。 そこで、私が今日提案する比喩はこれです。 こう考えてください。心とはたくさんの部屋がある家のようなもので、 その部屋のほとんどをよく知っていると。 しかし時に、あたかも戸口が 何もないところから現れて 階段に通じているようです。 階段を昇ると 意識変容の状態を経験します

1902年に、 偉大なアメリカの心理学者ウィリアム・ジェームスは 多種多様な宗教的体験をまとめました。 彼はあらゆる種類の事例を集めました。 あらゆる種類の人々の言葉を引用しました、 様々なこうした体験をした人々です。 私にとって最も刺激的だった事例の一つは、 ステファン・ブラッドリーという若者が 1820年にイエスと遭遇した、と思ったことです。 ブラッドリーはそれについてこう言ったのです。

 

3 多くの人が自然に自己超越を見出している

(音楽)(ビデオ)ステファン・ブラッドリー:救世主が人間の姿で 約1秒ほど部屋にいるのを見たと思いました。両腕を広げて「来なさい」と私に言ったように思われました。 次の日、私は身悶えして喜びました。 私の幸福感は大変なもので、死にたいと言ったほどです。 この世には愛着がありません。 以前は私は非常にわがままで自分本位でした。 しかし今は全人類の幸福を望み、 思いやりのある心で、 最悪の敵を赦すことができます。

JH: 注目してください。どのようにブラッドリーの小さな道徳的な自我が まさに階段の途上で死んだのかに。 そしてこの高いレベルで 彼は愛し赦す人になったのです。 世界の多くの宗教が多くの方法を見つけています。人々がこの階段を昇る方法です。 ある人たちは、自我を瞑想により遮断します。 別の人たちは幻覚剤を使います。 これは16世紀のアステカ族の巻物であり ある男がサイロシビンを含むキノコを食べようとし それと同時に、神によって階段の上に引っ張られます。 他の人たちは踊り、回転し、旋回することによって 自己超越にまい進しています。 でも階段を通過するのに、宗教心は必要ありません。 多くの人が自然に自己超越を見出しています。 別の人たちはレイブで自我を克服しています。

 

4 戦争ほど人々を1つにするものはない

しかし、すべてのなかで最も変わった境遇は: 戦争です。 戦争に関する非常に多くの本が同じことを言っています。 戦争ほど人々を一つにするものは ありませんと。 そして人々を一つにすると、並外れた 自己超越の体験の可能性を開きます。 皆さんにグレン・グレイによる本からの 抜粋を再現しましょう。 グレイは第二次世界大戦のアメリカ陸軍の兵士でした。 そして彼は、戦争の後、多くの他の兵士にインタヴューし 戦いにおける男たちの体験をまとめました。 これが重要な一節です。 彼が階段をおおむね記述した一節です。

(ビデオ)グレン・グレイ: 多くの退役軍人によれば 戦いにおける共同活動の経験は 人生の最高の時であったと認めるでしょう。 「私」は無意識に「私たち」に移り、 「私の」は「私たちの」になり、 個人的信条は その中心的重要性を失います。 これは不死の保証に ほかならないと思います。 そうした瞬間に自己犠牲を それほど相対的に容易にさせるでしょう。 私は倒れるかもしれないが死にはしない、 私の中の本物であるものが 生き続けるからです。命をささげた仲間の中で。

JH: これらの事例のすべてに共通するのは、 自我が少なくなるか、溶け去り、 そして気持ちよく、本当に気持ちよくなり、 その感じ方は普段の生活とは全く異なるのです。 何か高められたように感じます。 上昇するというこの観念は、偉大なフランスの社会学者 エミール・デュルケームの書物の中心的なものです。 デュルケームは、私たちのことをホモ・デュプレックス、 すなわち 2-レベルの人間とさえ考えています。 彼のいう下位レベルは俗のレベルです。 ここで、俗は聖の反対です。 まさに普通とか平凡を意味します。 私たちは、普段の生活では個々人として存在しています。 私たちは個人的な欲求を満たしたい。 私たちは個人的な目標を追求します。 しかし、時に何かが起こり 相変化を引き起こします。 個々人が一体化します。1つのチーム、1つの運動、1つの国家に そして部分の合計をはるかに超えます。

 

5 一体化するものは神聖さを帯びる

デュルケームはこのレベルを聖のレベルと考えています。 というのは彼は確信したからです。宗教の機能は 人々を1つの集団、 1つの道徳上のコミュニティに一体化するものであると。 デュルケームは、私たちを一体化するものはなんであれ 神聖さを帯びると信じています。 人々が聖なる物や価値観を 取り囲むと彼らはチームとして働き、それを守るために戦うことになります。 デュルケームは記しています。一揃いの強烈な集合的感情について そして「多くから作られた一つ」という奇跡を成し遂げるのです。個々人から1つの集団が作られるという奇跡です。 第二次世界大戦が終わった日の英国での 集団的な喜びを考えてみてください。 独裁者を倒したタハリール広場での、 集団的な怒りを考えてみてください。 そして、9/11の後のアメリカ合衆国での 集団的な悲しみ 私たちすべてが感じ、私たちを一つにした悲しみを 考えてみてください。

ここでまとめさせてください。 私が言っているのは、自己超越の能力は 人間存在のまさに基本部分であるということです。 私は、比喩を提案しています、 心の階段についてです。 私たちは、ホモ・デュプレックスであるということです、 この階段は、私たちを俗のレベルから 聖のレベルへ連れて行きます。 この階段を昇ると、 自己の利益が薄れ、 まさにそれほど自己本位でなくなり、 気分がよく、気高く まるで何か高められたかように感じます。

 

6 この階段は進化的設計の特徴か?

ここで私のような社会科学者にとっての 難しい質問です: この階段は 私たちの進化的設計の特徴なのでしょうか?これは、自然淘汰の賜物なのでしょうか?私たちの手のように あるいは、システムのバグか、間違いでしょうか– この宗教的なものは 脳の配線が混線した際に起こる何かなのでしょうか– ジルは脳卒中になり、このような宗教的経験をしましたが、 あれは単なる間違いなのでしょうか?

宗教を研究する多くの科学者はこのように見ています。 新無神論者は、例えば 宗教は一揃いのミームである主張しています。寄生ミームのようなものであり、 私たちの心の内側に入り 私たちにあらゆる種類の常軌を逸した宗教的なこと、 自爆攻撃のような自己破壊的なことをさせます。 結局、 一体どうして私たち自身を失うことが 私たちにとっての善になり得るのでしょうか?一体どうして自己の利益を克服することが 何かの生命体にとって 適応であり得るのでしょうか?ではお見せしましょう。

 

7 徳の多くが私たち自身にはほとんど役に立たないが、 私たちの集団には大いに役に立つ

「人間の進化」において、 チャールズ・ダーウィンは多くを割いています。 道徳の進化– その由来やその理由についてダーウィンは記しています。徳の多くが 私たち自身にはほとんど役に立たないが、 私たちの集団には大いに役に立つと。 彼は次のシナリオについて書いています、 初期の人類の二つの部族が接触し 競合したであろうシナリオです。 彼は言います「一方の部族が 勇敢で思いやりがあり 信頼できる構成員を多く含み その構成員がいつも互いに助け、守り合うなら、 この部族は成功し 他方の部族に勝利したであろう」と。 彼は続けて言います「自己中心的で論争好きの人たちは 一致団結せず、 一致団結がなければ 何も成し遂げられない」と。 言い換えればチャールズ・ダーウィンは信じていたのです。集団選択を。

ここでこの考えは過去40年間、議論の的になっていましたが、 今年、見事な返り咲きを果たそうとしています、 特にE.O.ウィルソンの本が四月に出て、 非常に強力な主張を唱えています。私たちや他のいくつかの種は、 集団選択の賜物であると。しかし実際この考え方は マルチレベル選択のとおりです。

 

8 彼らはすべて運命共同体

ではこのように見てみましょう: 集団内でも集団間でも競争が起こっているとします。 大学のクルー・チームに、ある集団の連中がいます。 このチーム内で 競争があります。 互いに競争している連中がいます。 最も遅い漕ぎ手、最も弱い漕ぎ手は、チームから外されます。 そして少数の連中のみがスポーツを続けることになります。 ひょっとしたら、そのうちの一人はオリンピックに行けるかもしれません。 それでチーム内では、 実際に彼らの利害は互いに対立します。 そして時には有利になるでしょう、 そのうちの一人にとって 他の連中の妨害をすることが。 ことによると、彼は最大のライバルの悪口を 監督に言うかもしれません。 しかし、その競争がボート内で 進行する一方で、 この競争はボート間でも進行します。 そして、別のボートと競争するボートにこの連中を乗せると、 協力するしか選択肢はなくなります。 というのは彼らはすべて運命共同体だからです。 彼らがチームとして一団とならなければ 勝つことはできないからです。 と言うか、こうしたことは古臭く聞こえますが、 これが深遠な進化の真相なのです。

 

9 ただ乗り問題はどうするか

集団選択に対する主な反論は常に よしわかった。協力者の集団はいいが、 協力者の集団は途端にただ乗り連中に占領されることになる、というものでした。 他人の労力を搾取しようする個々人です。 皆さんに例示してみましょう。 小さな生命体の集団があると仮定します– バクテリアでも、ハムスターでも; なんでもかまいません– ここにいるこの小さな集団は協力するように進化しました。 素晴らしいことですね。彼らは、食べ、互いに守り、 共に働き、富を生み出します。 そして、このシミュレーションで分かるように、 彼らが互いに交流すると、ポイントを得て、言わば、成長し、 サイズが二倍になると、分裂するのが分かります。 そしてこれが、彼らが繁殖し、個体群が成長するやり方です。

ですが、その後、彼らの一つが突然変異するとします。 遺伝子に突然変異があり 彼らの一つが突然変異して利己的な戦略をとります。 他人を利用します。 それで、緑が青と相互作用するとき、 緑が大きくなり、青が小さくなるのが分かります。 これが展開の仕方です。 私たちはたった一つの緑でスタートし、 相互作用すると 富、すなわちポイントや食料を得ます。 そして迅速に協力者はもう終わりです。 ただ乗り連中が優勢になりました。 もし集団がただ乗りの問題を解決できないなら 協力の恩恵を受けることができず 集団選択は始まりもしません。

 

10 自然のお気に入りの解決策は、みんなを同じボートに乗せること

しかし、このただ乗り問題の解決策があります。 それほど難しい問題ではありません。 実際、自然はこの問題を何回も解決してきました。 そして、自然のお気に入りの解決策は みんなを同じボートに乗せることです。 例えば、 なぜ全細胞のミトコンドリアは独自のDNAを 持っているのでしょうか? 細胞核のDNAとは完全に分離した独自のDNAです。 それらはかつてミトコンドリアが 自由生活性のバクテリアであり 一緒になって 超個体となったからです。 どうにかして–たぶん、あるものが他のものを飲み込んだのか; なぜかはわかりませんが– 彼らの周りに膜ができると、 彼らは全員同じ膜の中にあり、 これですべての富は分業で創られ、 すべての偉大さは協力によって創られ、 膜の内部にこもり 超個体となります。

そしてここでシミュレーションに戻り 超個体の一つを ただ乗り連中、離反者、詐欺師の集団に入れて 何が起こるかを見てみましょう。 超個体は、基本的にほしいものを取ることができます。 大きくて、強くて、効率的なので 資源をとることができます、 緑から、離反者、詐欺師からです。 そして間もなく全集団は 実際にこれらの超個体で構成されます。 ここで皆さんにお見せしたのは 進化の歴史における主要な移行と 呼ばれることがあります。 ダーウィンの法則は変わりませんが、 場に新種のプレーヤーが出現し ものごとが全く変わって見え始めます。

 

11 多くの分裂は宗教の線に沿っている

この遷移は一回かぎりの自然の異常ではなかったのです、 一部のバクテリアで起こっただけではないのです。 再び起こりました。約一億二千万か一億四千万年前に 一部の単生スズメバチが 小さくて簡単で原始的な巣 すなわち群れを創り始めたときです。 いくつかのスズメバチが同じ群れで一つになると、 協力するしかなくなります、 間もなく彼らは競争を余儀なくされるからです、 他の群れとの競争です。 そして、最も団結力のある群れが勝利します、 まさにダーウィンの言うように。

これらの初期のスズメバチは ミツバチやアリにつながります。世界を覆い 生物圏を変えたミツバチやアリです。 そして、また起こりました。さらにもっと壮大に、 過去五十万年に 私たちの祖先が 文化的な生き物になり、 暖炉やキャンプファイアの周りに集まり、 作業を分担し、 体にペイントしはじめ、独自の方言を喋り、 ついに独自の神を崇拝したときに。 彼らがすべて同じ部族になると、 内部に閉じ込められた協力の恩恵を維持することができました。 そして彼らは強力な力を解き放ちました。この星で今までに知られている最も強力な力です。 人間の協力– 構築と 破壊の力です。

もちろん人間の集団はミツバチの団結力には 遠く及びません。 人間の集団は僅かな瞬間に群れのように見えるかもしれませんが、 その後、分裂する傾向にあります。 私たちはミツバチやアリのように協力を余儀なくされていません。 実際、多くの場合、 アラブの春の多くの反乱で起こったことを見ると、 多くの分裂は宗教の線に沿っています。 それにもかかわらず、人々が一緒になって 彼ら自身がすべて同じ行動にでると、 山を動かすことができます。

 

12 適応だとすればその意味は深遠

皆さんにお見せしたこれらの写真の人たちを見てください。 彼らはそこで自己の利益を 追求していると思われますか? あるいは、彼らは社会的な利益を追求し、 それによって彼らが没入し 単に全体の一部になることを要求しているのでしょうか?

オーケー、これが、標準的な TEDのやり方でのトークです。 そしてこれから、全トークをもう一度やることにします、 三分で 言わばもっと広範囲のやり方で。

(音楽)(ビデオ)ジョナサン・ハイト: 私たち人間には、多種多様な 宗教経験があり、 ウィリアム・ジェームスの説明の通りです。 最も一般的なものの一つは、秘密の階段を昇り 自己をなくすことです。 この階段は、私たちを 俗または通常の人生経験から 上に向けて聖、すなわち深くつながった人生経験に 連れて行きます。 私たちはホモ・デュプレックスであり、 デュルケームの説明の通りです。 そして、私たちがホモ・デュプレックスであるというのは マルチレベルの選択によって進化したからであり、 ダーウィンの説明の通りです。 私にはこの階段がバグではなく、適応であるかは 定かではありませんが、 適応だとすればその意味は深遠です。 適応だとすれば、 私たちは宗教的になるように進化したのです。

 

13 私たちはミツバチ

私たちが組織化された巨大な宗教に参加するように進化した という意味ではありません。 こうしたものはつい最近のものです。 私たちは進化したのです、 周りのすべてに聖を見るように そして他人とチームに参加し 聖なる物、人、考えの周りを回るように、 進化したという意味です。 政治があれほど部族的なのはこのためです。 政治はある程度は俗であり、ある程度は自己の利害に関するものですが、 政治は聖に関するものでもあるのです。 他人と共に参加して 道徳的観念を追求することに関するものです。 善と悪との間の永遠の戦いに関するものであり、 私たちはみな私たちこそ善のチームの側であると信じているのです。

そして最も重要なことは、 この階段が本物なら、 現代生活の不満の絶えざる底流を 説明しています。 というのは人間存在はある程度、ミツバチのように 群れたがる生き物だからです。 私たちはミツバチです。私たちは啓蒙主義の間に群れから抜け出しました。 私たちは古い制度を壊し 抑圧に解放をもたらしました。 私たちは地球を変える創造性を解き放ち 広大な富と快適さを生み出しました。

 

14 あらゆる人間は大陸の一部、本土の一部分

近頃、私たちは飛び回っています、 自由を謳歌する個々のミツバチのように。 しかし、私たちはふと思います: これがあるものすべてなのか? 私の人生でなすべきことは何なのか? 何が欠けているのか? 欠けているのは、私たちはホモ・デュプレックスなのに、 現代の非宗教的な社会が私たちの低い俗の自己を 満足させるように構築されているということです。 この低いレベルにいるのは本当に快適です。 私の家の娯楽施設にいらして、おくつろぎください。

現代生活の一つの偉大な挑戦は ガラクタの真っただ中で階段を見つけることであり そして頂上まで昇ったら 何か善で気高いことを行うことです。 バージニア大学で私の学生の中にこの欲求を見ました。 彼らはみな、大義ないし使命を見つけたいと望んでいます。彼らが自己を投げ出せるものを。 彼らはみな自分たちの階段を探しているのです。 これによって私は希望を与えられます。 人々は全く利己的なのではありません。

ほとんどの人々は、狭量さを克服し 何か大きなものの一部になりたいと切望しています。 そして、これは、ほとんど400年前に呼び起された この単純なメタファーの たぐいまれな反響を説明しています。 「どんな人間も、 独りで全ての島なのではない。 あらゆる人間は、大陸の一部、 本土の一部分なのである」JH: ありがとう(拍手)

 

最後に

多くの人が自然に自己超越を見出している。戦争ほど人々を1つにするものはない。一体化するものは神聖さを帯びる。徳の多くが私たち自身にはほとんど役に立たないが、 私たちの集団には大いに役に立つ。自然のお気に入りの解決策は、みんなを同じボートに乗せること。多くの分裂は宗教の線に沿っている。私たちはミツバチ。あらゆる人間は大陸の一部、本土の一部分

和訳してくださった Mitsumasa Ihara 氏、レビューしてくださった Miwa Sasaki 氏に感謝する(2012年2月)。

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