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「狂乱物価」のトラウマとインフレへの恐れ 日銀が利上げを急ぐ理由

前回は、賃金は下がり、失業率は上がり、不良債権も増える デフレ不況の原因についてまとめた。ここでは、「狂乱物価」のトラウマとインフレへの恐れ 日銀が利上げを急ぐ理由について解説する。

利上げを急ぐ日銀

2000年8月、日銀は量的緩和解除の条件の1つとして設定した「消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的に0%以上になったとき」という条件を満たしていると判断できないにもかかわらず、量的緩和を解除してしまった。結果としてインフレ期待が急速にしぼんでしまった。

 

「狂乱物価」のトラウマのせいか

日銀が利上げを急ぐ理由として、1970年代の「狂乱物価」のトラウマが考えられる。日銀としては「インフレを抑制するための利上げが遅れた本当の理由は、政府・大蔵省のせいだ」と言いたいのかもしれない。それは、1998年4月に新日銀法が施行される以前の旧日銀法では、内閣に日銀総裁解任権や蔵相(現財務省)に業務命令権などの権限が与えられていたため、日銀は政府・大蔵省から独立していなかったからだ。つまり、当時の政府・大蔵省が日銀に「調整インフレを求めた」可能性はゼロとは言えない。

調整インフレとは、当時の日本は経常収支と貿易収支が拡大を続けいていため、日銀が円高・ドル安の圧力を抑えるためにドル買いを続けていたことである。ドル買いによって、その代金の貨幣(円)が市場に供給されることになり、インフレ率が上昇した。これによって輸入の増加をもたらすことで、経常黒字を減らす目的があったのだ。

 

「狂乱物価」後の日銀の平和な時代

日銀は失敗ばかりしているわけではなく、成功した時代もある。それは、狂乱物価が収束した1970年後半から80年代後半にバブルが発生するまでの期間である。その期間は、貨幣増加率を8%程度で安定させる貨幣残高重視の金融政策をとっていたからだ。第二次石油危機後の世界同時不況期の主要国の経済パフォーマンスの比較をみても、日本は成長率3%程度、インフレ率も3-5%程度と抜群であった。

 

日銀は成功した金融政策をあっさり捨ててしまった

しかし、賃金は下がり、失業率は上がり、不良債権も増える デフレ不況の原因でも述べたように、1987年以降、貨幣残高の増加率は乱高下するようになってしまった。こうした貨幣増加率の大きな乱高下は、87年から89年にかけて地価と株価のバブルを作り出し、90年代に入ってバブルの崩壊を招くのである。そして日銀は、①貨幣増加率の乱高下が起きたのは金融政策のせいではなく、②貨幣増加率が乱高下するようなときには、貨幣増加率と名目成長率や物価などの実体経済との関係は不明瞭になる、と自らの責任を放棄したのだ。

 

なぜ1990年代初めに急激に利上げしたのか

日銀が1990年代初めに急激に利上げをした理由は地価バブルつぶしで、円安防止は第二の目的だったのではないか。それは、澄田智日銀総裁や、その後の三重野康総裁の発言から捉えられる。当時は、株式についてはすでにバブルの崩壊が始まっていたが、地価は東京圏の地価高騰が地方にも波及し、それが再び東京圏に跳ね返ってくるという状況であった。そのため「地価高騰を抑えよ」という世論が強く、マスメディアも公定歩合を引き上げることを称え上げていた。

 

「円の足かせ仮説」

安達誠司氏は、日銀がインフレ率が高くなっていないにもかかわらず、金融引き締めを開始するのは、日銀が「円の足かせ」にとらわれているからとする「円の足かせ仮説」を提示している。足かせとは購買力平価のことで、デフレ懸念が払拭されていなくても、実際の円・ドルレートが購買力平価の天井(円安)にぶつかると、金融引き締めに転換されるというものである。

 

「物価の安定」を検討した結果は「検討継続」

この仮説の妥当性については検討継続とし、ここでは日銀が「物価の安定」をどう考えているかを検討する。「物価安定報告書1」によれば、物価の安定とは「インフレでもデフレでもない状態」としながら、物価安定の数値化はできないという。つまり、物価の安定とはゼロ・インフレであると数値を示しているのにもかかわらず、数値化は困難だと曖昧にして逃げてしまっているのだ。

 

「物価の安定」を目標としない金融政策とは?

日銀は2006年3月9日に「新たな金融政策運営の枠組みを導入」して、量的緩和政策を解除した。この「物価安定報告書2」によれば、物価の安定とは消費者物価の上昇率が0%から2%の範囲にあることである。ただし、この消費者物価は総合消費者物価指数なのか生鮮食品を除いた消費者物価指数(コアCPI)なのかなどは曖昧である。しかも、金融政策においてはそのインフレ率を目標としないとし、日銀の使命を果たそうとしていなかった。

 

海外に比べた低インフレは日銀の金融政策のせいだ

「物価安定報告書2」では、海外に比べた低インフレ率は、日銀の金融政策と無関係であるかのように述べている。しかし、そこで挙げられている「技術革新、規制緩和、国際競争の激化、流通革命」では、日本のみがデフレである理由にはならない

 

日銀の目標はゼロ・インフレではないか

日銀の目標はゼロ・インフレではないか。それは、原油価格の高騰と下落の影響を受けた2008年以降を除くと、平均インフレ率(2003年3月から2007年12月まで)は総合消費者物価では0.17%、生鮮食品を除いた消費者物価では0.07%という事実からもいえる。

 

デフレを恐れず、インフレを極度に恐れる日銀

日銀はデフレを恐れず、インフレを極度に恐れている。例えば、速水日銀総裁は高橋是清蔵相が国債の直接引受を行ったことで軍国主義が進み、戦争になって敗戦してしまった、ということを発言している。しかし、高橋蔵相は1936年からは国債の日銀引き受けを止め、軍事費を中心とする歳出を削減しようとして青年将校に暗殺されたのである。高橋蔵相が暗殺されたため国債の日銀引き受けが続き、その結果インフレ率が大幅に上昇し、戦後のハイパーインフレにつながったのだ。つまり、ハイパーインフレの原因は軍部の専横とそれを止められなかった政府と国会にあるのである。

日銀の早すぎる利上げは諸外国に比べて低い物価上昇率をもたらし、デフレと過度の円高をもたらす要因になっている。デフレ・円高こそが日本の長期経済停滞をもたらし、内需を萎縮させ、外需に大きく依存する経済を作り出している主たる原因だろう。

 

最後に

日銀は1970年代の「狂乱物価」のトラウマのために、利上げを急ぐ傾向にある。「狂乱物価」後には抜群のパフォーマンスを見せたが、バブル後はその金融政策を捨ててしまった。「地価バブルつぶし」など世論を重視し、明確なインフレ率の数値目標がない。高橋蔵相の歴史についても誤って理解していた。日銀の暗黙の目標はゼロ・インフレではないか

次回は、2-3%のインフレで構造改革は実現できる インフレ目標と手段の独立性についてまとめる。

日本銀行は信用できるか (講談社現代新書)


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