前回は、目標設定は政府の責任、手段は日銀の責任 透明性を担保するインフレ目標についてまとめた。ここでは、株価は金融緩和で上がり、金融引き締めで下がる 金融政策と株価の関係について解説する。
日本発の世界同時株安
2006年3月9日、日銀が量的緩和を解除した。およそ3ヶ月後の6月13日、日経平均株価は前日比614円安と、2001年9月のアメリカ同時多発テロで大幅に下げたとき以来の下げ幅を記録した。当時は、株価下落の原因をアメリカやアジア新興国など海外に求める声が大きかったが、時系列で見ると、日本発の世界同時株安であることは明白だった。下落率も、海外市場はピーク時のほぼ1割程度で収まっているのに、東京市場は2割近く下げたのである。
速すぎる当座預金残高の減少
3月に量的緩和を解除した後、当座預金残高の減少ペースが速すぎて予想以上に金利が上昇し、あわてて買いオペを実施したこともあったが、3ヶ月間で当座預金残高は30兆円から10兆円まで減少した。日銀のマネー供給が減少した結果、金利が上昇したのである。
この量的緩和解除は、0.5%くらいの利上げに相当するという見解もあり、累計では1%くらい金利を上げたことになる。
達成されなかった政府目標
2005年12月、政府は2006年度はデフレを脱却し、名目成長率2.0%(実質成長率1.9%、GDPデフレーター0.1%)という目標を決めた。しかし、名目成長率は1.4%(実質成長率2.1%、GDPデフレーターはマイナス0.7%)にとどまり、デフレ脱却はできなかった。ただし、実質成長率は目標達成しているので、物価安定を達成できなかった日銀の責任といわざるを得ない。
本来の株価より4000円安い
株価は経済を写す鏡といわれるため、日本の名目成長率の低さが株価に反映しているとみてよい。それは、日経平均とMSCI(モルガン・スタンレー・キャピタル・インターナショナル)のワールドインデックス(世界中で利用されている代表的な株価指数)を比較するとよくわかる。
金融引き締め後に、日経平均の上昇率は世界を下回るようになった。その押し下げ効果は4000円くらいであり、公的年金の積立金も4兆円失ったことになる。
相対的に割高になった日本の金利
2008年10月8日に、欧米の6つの中央銀行のほか、中国、アラブ首長国連邦、香港、クウェートが同時利下げを実施・発表した。しかし、日銀は金利を据え置いた。日本だけが金融緩和をしないと相対的に日本の金利は割高になり、円高圧力がかかり続ける。こうした「方向性」がかかったため輸出関連株が下がり、日本の株式市場は大きなダメージを受けたのである。
サブプライムの直撃を受けていないのに…
2008年第2四半期(4〜6月)の実質GDP成長率(前期比年率換算)は、サブプライム問題の影響が深刻なアメリカはプラス2.8%だったが、日本は欧米に比べて被害金額が2桁少ないにもかかわらず、マイナス3.0%だった。
金融緩和はバブルを生むのか?
「バブルは、崩壊して初めてバブルとわかる」グリーンスパン前FRB議長の名言である。その意味で、バブルがいつ起こっていつ崩壊するかはだれにもわからないのだ。
営業特金規制通達
営業特金規制通達とは、1989年12月26日に大蔵省が証券会社に対して出した通達である。その3ヶ月後、1990年3月の不動産融資総量規制によってバブル崩壊が起こったとされている。
営業特金とは、企業の資産運用(財テク)である。特金(特定金銭信託)とは、企業が特金を設定して企業で所有していた有価証券を特金に移管すると、その後売買しても企業が所有している有価証券の帳簿価格を変えずに、有価証券運用を行えるというメリットがあった。その特金を証券会社に事実上「売買一任」していたのが営業特金だったのである。
さらに、営業特金には証券会社による事実上の損失補填(事後)が行われていた。法令の不備をついた証券会社の営業が、バブルを加熱させていた。
バブルはいつ始まり、いつ崩壊したのか?
バブルの原因や発生メカニズムについて決定的なことはほとんどわかっていない。おおよそのバブルのイメージは、資産価格の急激な上昇、経済活動の加熱、マネーサプライ・信用の膨張という3つの現象によって特徴づけられる。
金融政策とバブルの関係
金融政策とバブルの関係は比較的わかっている。金融緩和が行われると、資金調達コストの低下とともに将来キャッシュフローの現在価値を高めて資産価値を上昇させる。つまり、プロジェクト自体が同じままでも、外部環境である金利が低下すると採算性が出てきたり、その価値が高まったりするのである。
ただし、実際にバブルが起こっているかどうかについては誰もわからないため、よほどの確証がなければ金融引き締めを行うことは避けたほうがいいのである。
バブル崩壊後の対応
バブル崩壊後の対応は、迅速に金融緩和を行うことである。日本のバブル後(1990年)とアメリカのITバブル後(2000年)の金融政策を比べると、前者が累積で5%の金融緩和を行うのに約4年間かかったのに対し、後者は2年弱で実施した。
アメリカの金融政策は正しかったのか?
サブプライム問題に関連して、アメリカが2001年に利下げを繰り返したことが住宅バブルを生んだという批判が出ている。しかし、当時金融緩和を小出しに行い、日本のようにバブル後の景気低迷を長引かせてもよかったとはいえない。
結果として低金利が住宅価格の上昇率を下回ったために、一種の住宅バブル状態になったという点は否定できない。こうした資産市場の変動は資本市場経済には不可避なのかもしれないが、世界中で有効な対策が積み上げられてきている。
最後に
過去の日銀の政策はさておき、現在の日銀は金融緩和政策を採っている。株価が1000円上がると、公的年金の積立金は1兆円上がる。つまり、直接的に株や債券といった金融商品を持っていない人にも株価は関係があるのだ。金融政策を監視しよう。
次回は、物価上昇率を合わせておけば為替相場はあまり変わらない 金融政策と為替についてまとめる。
![]() |