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ジョン・モアレム 動物と人間との関係を浮き彫りにする、テディベアの奇妙なお話

「テディベアが生まれたのは、セオドア・ルーズベルト大統領が一匹のアメリカグマの命を助けたことに端を発しています」モアレムは語りかける。ここでは、80万ビューを超える Jon Mooallem のTED講演を訳し、動物と人間との関係を浮き彫りにする、テディベアの奇行について理解する。

要約

1902年にセオドア・ルーズベルト大統領は、いわゆる”テディベア”狂騒を引き起こすきっかけとなる一匹のアメリカグマの命を助けたと語り伝えられています。ジョン・モアレム記者はこの説話を掘り下げ、私たちが野生動物について語るこの話が、種の生存、また自然界全体に実際どのように影響を持つのか、についての考察を促します。

Jon Mooallem is the author of “Wild Ones: A Sometimes Dismaying, Weirdly Reassuring Story About Looking at People Looking at Animals in America.”

 

1 彼はスポーツマンとして守るべきものに反すると感じた

1902年の秋の事でした。セオドア・ルーズベルト大統領は ちょっとした休暇を取る必要があったのです。それで彼はミシシッピの スメデスという街の外れでクロクマ狩りをしようと 列車で向かいました。狩りの初日 一匹のクマも見かけることはなく 誰もがひどく落胆していたのですが 二日目 猟犬が長い追跡の末 一匹を追い詰めたのです。でもその時までには 大統領は狩りを諦めて 昼食をとりにキャンプに戻っていたのです。狩りのガイドはクマの 頭を銃の台尻で殴り 木へ括り付け それを撃ち殺す栄誉を差し上げようと ルーズベルトを呼び戻すために ラッパを鳴らし始めたのです。メスのクマでした。呆然とし 怪我をしており 酷く痩せこけ 毛もまだらで この動物が木に括られているのを ルーズベルトが見た時 彼は引き金を引けませんでした。彼はスポーツマンとして 守るべきものに反すると感じたのです。

 

2 「ミシシッピで一線を引く」という風刺画

数日後 ワシントンで その場面は 風刺画に刻まれました。それは「ミシシッピで一線を引く」と呼ばれ ルーズベルトは銃口を下げ 腕を伸ばし クマの命を助けています。後ろ脚で立っていたそのクマは 怯えた目を大きく開き 頭のてっぺんには 小さな耳が付いていました。それは本当に無力で まるで 腕にかき抱き安心させて あげたくなるようなものでした。当時それは馴染みあるようには 見えなかったのですが 今 風刺画を見れば その動物を皆さんはすぐに認識するでしょう。それは「テディベア」です。こんな風にしてティディベアが誕生したのです。元々は 玩具会社が風刺画のクマを模し フワフワのオモチャにして ルーズベルト大統領にちなみ 「テディベア」と名付けたのです。

 

3 私たちが伝える物語がどんなに劇的に自然を変えているのか

そして私はやや馬鹿らしくなっています。この舞台に立ち 懐かしい子どものおもちゃの生誕についての 100年も昔の話をする為に 時間を費やそうと決めていることに。でも 私はこの物語の中のテディベアの誕生と その内容はより重要な物語だと考えています。それは私たちの自然に関する考え方が どのように劇的に変わりうるのか。そして 今現在の地球上で 私たちが伝える物語が どんなに劇的に自然を変えているのか なのです。

 

4 テディベアは壮大な一連の皆殺しの只中に誕生した

何故なら テディベアを思い浮かべ 振り返ってみると まさに私たちのためのもので 何故ならクマは抱きしめたい程可愛らしく 誰もが子どもの遊び相手に あげたくなるようなものだったのです。しかし実際は 1902年当時のクマは 可愛くも抱きしめたくなる ようなものではなく 現在と同じ姿形でしたが 誰もクマをそんな風に考えませんでした。1902年当時 クマは怪物でした。クマは子どもたちを脅かすものでした。当時の人々にとっては クマは人々が辺境の地で出くわす あらゆる危険なものの象徴で 事実 連邦政府は組織的に クマを根絶やしにしようとしていたのです。コヨーテやオオカミといった 他の多くの捕食者も同じです。これらの動物は 悪魔のごとく見られました。家畜を殺したので 殺し屋と呼ばれました。ある政府の生物学者は クマのような動物との闘争を こう説明したのです。我々の高度な文明社会の中には それらの動物の生きる場所はないので 我々は ただ一掃しているだけであると。たった10年で 50万頭に近いオオカミが 殺戮されました。灰色グマは元々のテリトリーの 95%から排除されました。また かつて3000万頭の水牛が 大平原を移動したときには うごめく巨大なこれらの群れが 線路を横切るので 列車は4‐5時間も 停車せざるを得なかったことを 耳にしたことがあるでしょう。1902年の時点では 野生の水牛の生き残りは100頭以下でした。ですので 私が言いたいことは テディベアは この壮大な一連の皆殺しの只中に誕生したので それは心のどこかでその殺戮に 葛藤を覚え始めた人も いたことを示すと 考えることもできるでしょう。アメリカは 未だクマを嫌い 恐れていました。しかし アメリカは突然 クマに大きなハグをあげたくなったのです。

 

5 我々が特定の動物だけを気に掛けはじめたのはなぜか?

私はこの数年間 次のようなことを知りたいと思っていました。我々が動物について どのように想像し 考え 感じるのか そしてそれらへの感じ方が どのように我々の心に 刻まれ そして上書きされるのか? 世紀末までに半分もの地球上の生物が絶滅するような この大いなる絶滅の嵐の只中で 我々は生きているのに 何故 我々は他を差し置いて 特定の動物だけを 気に掛けはじめたのでしょうか? さて 比較的新しい 社会科学の分野では これらの疑問が研究され始め 強力で 時にかなり 精神分裂症的な 我々と動物との関係が 明らかになりつつあります。私が学術誌を 多くの時間を掛けて読み漁り言えることは 得られている知見は驚くほど 広範囲に渡るということです。私のお気に入りの幾つかには ニューヨーク北部で テレビをたくさん観ている人ほど クロクマに襲われることを恐がっている というものがあります。また アメリカ人はトラを見ると オスではなくてメスであると 見なしがちなのです。ある研究では ヘビとカメのニセモノを路肩に置くと ヘビがカメよりも多く轢かれ いずれかを轢いた人の内 約3%は 故意に轢いたようだといいます。波間にイルカを見た時 女性は男性よりも 「魔法にかかった気持ち」になりやすく 「権利意識と自尊心が高い」母親の 68パーセントはプリナのCMの中の 踊る猫に共感したということです (笑) アメリカ人はハトと比べて ロブスターを重要だと思うものの 遥かに頭が悪いと考えています。野生の七面鳥はカワウソよりも少しだけ危険で パンダはテントウムシの2倍 愛らしいと見られているということです。

 

6 我々は力を及ぼすが、その力強さ故に不安定

見た目が理由というのもありますよね? 私たちは 自分たちに似た外見の動物 特にヒトの赤ちゃんに似て 正面を向いた大きな瞳と 丸い顔でぷくぷくとした 体格の動物に親しみを覚えます。これは 何故ミネソタの大叔母からの クリスマスカードには グロテスクなクモのようなものではなく フワフワのペンギンの雛が描かれているのか その理由なのです。でも見た目が全てではないですよね? 我々の考える動物像には 文化的な面があり これらの動物についての物語は ― あらゆる物語と同様に ― それが語られた時と場所によって 紡がれていくものです。ですから 1902年当時に遡って 獰猛なクマがティディベアになった 瞬間を考えてください。状況はどうだったでしょうか? アメリカは都会化していました。初めて 大半の人々が都市に住んでいたので 自然と人間の間には距離が出来ていました。クマについて考え直し 夢想しても 安全な距離があったのです。自然はただこんな風に 純粋で愛すべきもののようになり始めたのです。何故なら もはや恐れる必要がなくなったからです。この一連の流れが あらゆる動物で 繰り返されたことがわかるでしょう 動物を悪魔のように見て 根絶をめざし やがて根絶の寸前になると 弱者として同情し 憐れみを見せたい気持ちになる ― こんな袋小路から抜け出せないようです。我々は力を及ぼしますが その力強さ故に 不安定なのです。

 

7 絶滅危惧種保護法でシロクマを保護して欲しい

例えば これは 子どもたちからブッシュ陣営に 送られた何千もの 手紙と絵のうちの1通で 絶滅危惧種保護法でシロクマを 保護して欲しいという手紙です。2000年台の半ば 気候変動への関心が 急に高まったときに 送られてきたものです。我々はシロクマが不機嫌そうに 流氷の上で 立ち往生する姿を 何度も目にしました。これらの資料を時間を掛けて調べました。どれも素適な手紙です。この手紙も気に入りました。シロクマが溺れていて また一方 ロブスターやサメに食べられているのが 分かるでしょうか。この手紙はフリッツという子どもからのもので 彼は気候変動の解決策を知っています。エタノールを基にした解決策です。彼はこう言いました 「僕はシロクマが好きで 彼らに悪いなと思っています。車には(ガソリンではなく)コーンのジュース(エタノール)を 使えるのに。フリッツより」 200年前 北極探検家の記したものによると シロクマがボートに乗り込み 例えクマに火を着けようとも 彼らを貪り喰おうとしたということです。しかし子どもたちは シロクマをそんな風には思わず 私が80年代に抱いたイメージとも 違った見方をしていました。我々はシロクマたちを 謎に満ちた 恐ろしい北極の支配者と 思っていました。しかし 現在は気候変動が どれ程あっという間に 我々の心に刻まれた動物のイメージを 覆したことでしょう。血に飢えた人殺しから 傷つきやすい 溺れる犠牲者へ シロクマのイメージは変化しました。考えてみるとそれは 遡って1902年にティディベアによって 語られ始めた物語の ある種の結論になります。当時 アメリカは自大陸の征服を ほぼ終えたところでした。そして 最後の野生の捕食者を まさに 片づけようというところでした。さて我々の社会の範疇は はるばる遠く 北極地方にまで到達し いちばん辺鄙なところに住む 地上最強のクマでさえ 愛らしく無実な犠牲者たちに 見えるようにしてしまいました。

 

8 オモチャ産業は次の大ヒットを探していた

しかし ティディベアの物語には 多くの人々が話題にしない 後日談があります。その話もしましょう。1902年のルーズベルトの狩りから 程なくそのオモチャは 爆発的に流行ったものの 殆どの人はそれは一時的なブームで つまらない政治的なグッズに過ぎず 大統領の任期と共に消え去ると踏んでいました。そして1909年までに ルーズベルトの後継者 ウィリアム・ハワード・タフトが 就任しようかという頃 オモチャ産業は次の 大ヒットを探していたのです。それは上手く行きませんでした。

 

9 ビリーポッサムの寿命は憐れなほど短いものだった

その1月 タフトはアトランタでの宴会の 主賓でした。数日前から宴会のメニューが 大きな話題となっていました。南部の郷土料理である 「オポッサムとポテト」と呼ばれる珍味で もてなす予定でした。スウィートポテトの上に オポッサムの丸焼きが乗っており 肉付きのよい 太麺のような しっぽも付けたままのこともあります。タフトのテーブルに給仕されたのは 8キロ強もあるものでした。晩餐後 オーケストラが音楽を奏で始め お客さんたちは唄い出しました。突然 タフトは 地元の支援者グループからの 贈り物に驚かされました。これはオポッサムのぬいぐるみで ビーズの瞳と禿げた耳 ルーズベルト大統領のティディベアに対する ウィリアム・タフト政権版のぬいぐるみとして 彼らが開発した新商品だったのです。彼らは「ビリーポッサム」と呼んでいました。24時間の内にジョージア・ビリー・ポッサム社は これらを全国的に 取引する準備に奔走し そしてロサンゼルスタイムズは 自信たっぷりにこう告知したのです。「ティディベアはお払い箱となり (任期の)4年間 ことによると8年間は アメリカ合衆国の子どもたちは ビリーポッサムと遊ぶことになるでしょう」 その時から オポッサムは一時流行りました。ビリーポッサム ポストカードやバッジ お茶の時間のクリーム用ピリーポッサム ピッチャー 子ども達が旗の如く振れるように ステッキの上には小さなビリーポッサムが付いてました。しかしこのマーケティングの甲斐無く ビリーポッサムの寿命は 憐れなほど短いものだったのです。そのオモチャはばったりと売れなくなり 年末までには ほぼ完全に消えさりました。つまり ビリーポッサムは クリスマスの時期まで 持ちこたえられず それは オモチャにとって 格別な悲劇といえるものでした。

 

10 動物の生死は完全に人々の同情心か無関心次第となった

その敗因を2通り説明できます。1つは かなり明白なのものです。この際ハッキリ言ってしまいますが オポッサムは醜いからです(笑) しかし 恐らくもっと重要なのは ビリーポッサムの話は 特にティディベア秘話と比べると 全くダメなのです。考えてみてください 人類の進化の歴史の大半で クマから受ける印象と言えば 我々から全く独立した生き物でした。つまり 脅威として ライバルとして 交わることなく暮らしている生き物でした。ルーズベルトがミシシッピに狩りに行く頃までには その姿は押し砕かれ そして彼のために木に括りつけられた姿が 全てのクマの象徴となったのです。それらの動物の生死は 完全に人々の同情心か無関心次第となったのです。このことはクマの未来に 実に不吉な影を落としましたが でも もしそのような動物の生存ですら 我々次第であったなら 我々の成れの果てについても 大いなる不安が ほのめかされます。ですから1世紀後の今 もし皆さんが 環境に起きていることに 何らかの関心を払っているのなら 更に烈しい当惑を味わっているでしょう。我々は科学者が「保護依存」と呼び始めた そんな時代を生きていて そしてその言葉が意味するのは 我々が余りにも 破壊し過ぎた為に 自然は恐らく 自力で持ちこたえられず そして絶滅危機に瀕した種の大半は 彼らの好むよう造られた土地から 我々が姿を消さなければ 生き延びることができないという事です。さあ 我々は自然保護に取り組んでおり もう決して手を放すことはできません。途方もなく多くのやるべき事があるのです。現在 我々は電線に止まらないよう コンドルをトレーニングしています。アメリカシロヅルに超軽量飛行機の後ろに付き 冬の期間は南に渡るように教えます。フェレットにはペストワクチンを与え 無人偵察機でピグミーウサギを監視します。我々は種を死に絶えさせる代わりに 今では多くの種を生存させるよう こと細かな管理しているのです。無期限に ― でもどの種を? それはお話しした 魅力的な物語の生き物たちです。我々が存在し続けるべきだと決めたものたちです。保護と飼い慣らしの境界線は 曖昧です。

 

11 「物語を伝えること」は今 重要

私が言い続けているのは 私たちが野生動物について語るその物語は とても主観的で 馬鹿げたものにも ロマンチックにも センセーショナルにもなり得るのです。時には全く事実とは関係ないこともあります。しかし保護依存の世界においては それらの物語は 大変現実的な結果を伴います。何故なら 今 我々が動物について どんな風に感じるかということが あなたが環境の教科書で読んだ どんなことよりも その生存に影響するからです。「物語を伝えること」は今 重要なのです。「感情」には意味があるのです。我々の想像力は環境へ及ぼす力となっています。そして恐らくテディベアはある役を果たしました。何故ならルーズベルト大統領と ミシシッピ州のあのクマの言い伝えは 社会が当時 直視し始めた大いなる責任についての 寓話のようなものだったのです。絶滅危惧種保護法の失効まで あと71年ありますが しかし この寓話は 人々の思潮をステンドグラスの1場面に 昇華したかのようです。「クマは木に結び付けられた しがない犠牲者」で そして「アメリカ合衆国大統領は 憐れみを施すと決めた」のです。ありがとうございました (拍手)

 

最後に

「ミシシッピで一線を引く」という風刺画がテディベア誕生のきっかけ。テディベアは壮大な一連の皆殺しの只中に誕生した。我々は力を及ぼすが、その力強さ故に不安定。動物の生死は完全に人々の同情心か無関心次第。保護と飼い慣らしの境界線は曖昧。「物語を伝えること」は重要

和訳してくださった Masami Hisai 氏、レビューしてくださった Eriko Tsukamoto 氏に感謝する(2014年3月)。

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