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ジョン・マクホーター テキスト・メッセージが言語を殺す?

「テキスト・メッセージは書く技能を衰退させるのでしょうか?」マクホーターは語りかける。ここでは、125万ビューを超える Linguist John のTED講演を訳し、テキスト・メッセージが持つ言語的・文化的な意味について理解する。

要約

テキスト・メッセージのせいで書く技能は衰退するでしょうか。ジョン・マクウォーターの考えでは、テキスト・メッセージは私達が思う以上に大きな言語的、文化的な意味をもっています。そして、それは良いことだというのです。

Linguist John McWhorter thinks about language in relation to race, politics and our shared cultural history.

 

1 テキスト・メッセージは書き言葉ではない

テキスト・メッセージは災いの元だと言われます。テキスト・メッセージのせいでアメリカだけでなく 世界中の 若者の全般的な読み書きの能力 ― とりわけ書く能力が著しく衰退すると言うのです。これを真実と思いがちですが 実はそうではありません。見方を変えて テキスト・メッセージは活気があるだけでなく 奇跡的なもので ― 目の前で起きているのが 言語の多様性の出現だと理解するには 少し離れたところから 言語の本質を見る必要があります。そこから見えてくるのは テキスト・メッセージは書き言葉ではないということです。どういうことでしょうか?

言語は おそらく15万年前 ― あるいは遅くとも8万年前から 存在しています。最初は話し言葉として現れました。おそらく言葉を話すのは人間の遺伝的な特性で 言語は主に話すためにあります。文字が現れたのはかなり後になってからです。他の方が話していた通り ― 正確な時期については意見が分かれますが 定説によると 人類の歴史を24時間とすると 文字が現れたのは午後11時7分頃に過ぎません。書き言葉は最近のことなのです。初めに話し言葉がありその後 伝達手段の一種として 書き言葉が現れました。

 

2 言語本来の姿は話し言葉

ただ誤解は禁物で書き言葉にも強みがあります。書くことは意識的なプロセスであり 見直すことができるので 話すときには あまりしない 言い回しが可能です。例えば ギボンの『ローマ帝国衰亡史』の 文章を思い浮かべてください。

「戦闘は12時間以上に及び 徐々に撤退していたペルシャ人は 無秩序な敗走を始めた。とりわけ恥ずべき例は 主な隊長達とスレナス自身であった」

美しい文章ですが実際にはこんな風に話す人はいません。少なくとも再生に興味があるのなら こんな話し方をすべきではありません (笑) これは普通の話し方ではありません。

普段の話し方は全く異なります。言語学者によると 意識せずに普通に話すとき ― 7~10語のまとまりで 話す傾向があります。自分や 何人かでしゃべる様子を 録音すると わかります。話し言葉とはそういうものです。自由度が高く電報のように端的で 推敲しない点が書き言葉と大きく違います。私達は言語を文字として見る機会が多いので “言語 = 書き言葉” と考えがちですが 言語本来の姿は話し言葉です。2つは違うものです。

 

3 話し言葉と書き言葉がある程度混ざるのは当然

ただ 歴史が進むにつれて 話し言葉と書き言葉が ある程度 混ざるのは当然のことです。例えば かつて ― 聴衆に向けて話す時は書き言葉のように 話すのが普通でした。古い映画にありがちですが人前に立つと 咳払いをしてからこんな風に話しました 「エヘン 紳士淑女の皆さん…」 普段の話し言葉とは異なる話し方です。文体は堅く ギボンと同様文は長めです。書き言葉のように話していたのです。例えば 最近映画が公開され リンカーンがよく話題に上ります。あのゲティスバーグ演説はメイン・イベントと呼ぶには短く その前 2時間に渡りエドワード・エヴァレットが 現代はおろか当時でさえ魅力のない演説をしました。重要なのは書き言葉のような スピーチを聞くことで 一般の人がそれを2時間も立ったまま聞きました。それが当たり前でした。書き言葉のように話すのが当時のやり方でした。

 

4 テキスト・メッセージの構造はとてもいい加減

もし書き言葉のように話せるなら 論理的には 話し言葉のように 書きたいと思うときもあるでしょう。ただ話し言葉には問題がありました。かつては話し言葉を 書き取ることが技術的に難しかったのです。速記を除くと手書きはまず無理な上 ― 伝達できる内容も限られます。手動式タイプはもちろん ― 電動式タイプやコンピュータでも 非常に難しいことでした。そもそも話すペースについていける位 ― 上手くタイプできても瞬時にメッセージを 受け取れる相手が必要です。

メッセージを受信できる携帯機器があって はじめて ― 話すように書く条件が揃ったことになります。こうしてテキスト・メッセージが登場します。テキスト・メッセージの構造はとてもいい加減です。送信時に大文字や句読点など誰も気にしません。でも話すときもそうでしょう? テキスト・メッセージを送るときも同じです。

テキスト・メッセージは「書く」行為を伴うけれど 本質的には「指で話す」ことに他なりません。こうして話すように書くことが可能になりました。これは興味深いことですが 一種の堕落と思われがちです。テキスト・メッセージは構造がいい加減で 文法や学校で学ぶことから逸脱しがちです。だから何かヘンだと感じるのです。そういう感覚はよくわかります。

 

5 新しい言語に新たな構造が生じる様子

でも実際に起きているのは ある種の多様性の出現です。「指で話す」ことからそれが垣間見えます。それを理解するためには この新しい言語に新たな構造が生じる様子を 観察する必要があります。

テキスト・メッセージでよく使われる表現に “lol” があります。私達は普通 “lol”の意味を 「大声で笑うこと」だと考えています。確かに基本的にはその通りで 古いテキスト・メッセージでは 実際 この意味で使われています。でもテキスト・メッセージをよく送る人や その変化の背景を意識する人なら “lol” は もはや 実際に笑う意味はなくなり もっと形式的な言葉に変化したことに気づくでしょう。

 

6 語用論的不変化詞になりつつある”lol”

これは20才位の女性が 最近送った実際のテキスト・メッセージです。 「ところで そのフォントいいね」 ジュリー 「lol ありがとgmailが遅くなってる」 面白い話ではないし 実際に笑っている人もいません (笑) それなのに書いてあるのは 間違っただけかもしれません。 スーザン 「lol そうだね」 また言っています。不都合にしては笑い過ぎでしょう ジュリー 「メール送った」 スーザン 「lol 届いたわ」 ”lol” を文字通りにとるととてもおかしく見えます。 ジュリー 「で どうしたの?」 スーザン 「lol レポート10枚書かなきゃ」

面白いと思っているわけがありません。ここでは “lol” は 共感や好意を示す標識として使われています。私達 言語学者はこれを語用論的不変化詞と呼びます。実際の話し言葉ではよく使われます。日本語だったら しばしば文の最後に「~ね」をつけますし 黒人の若者が話す言葉には “yo” が使われます。いくらでも論文が書ける題材ですし 実際に書いている人も多いと思います。“lol” は語用論的不変化詞になりつつあるのです。これが実際の言語使用です。

 

7 話題転換で使われる”/”

もう一つの例が“/” (スラッシュ)です。これまで通りにスラッシュを使った場合 ― 「パーティー / 交流会を開く予定」のような 感じになります。若者のテキスト・メッセージではスラッシュが かなり違った意味で用いられます。話題転換で使われるのです。

たとえば サリーがこう言います 「だから 遊び相手を見つけなきゃ」 ジェイク 「Haha」 この “Haha” も興味深いですが今は扱いません 「Haha じゃあ一人で行くの?なんで?」 サリー 「NYUのサマー・プログラムの間だけ」 ジェイク 「Hahaスラッシュ 今 見てるビデオ ― サンズの選手が片目でシュートしてる」

このスラッシュは面白い 話の後半の内容はよくわかりませんが 途中で話題が変わったことはわかります。つまらないことに思えますが考えてみると 実際の会話ではスムーズに話題を変える方法が いくつかあります。一気に話題を変えるのではなく ひざをたたいて考え込むように遠い目をしたり 何でもないのに「そう言えば…」と 言ったりします (笑) でも実際は話題を変えようとしているのです。テキスト・メッセージでは それができません。そこでそれを可能にする方法が発達してきました。どんな話し言葉にも言語学者が 新情報標識と呼ぶ要素がいくつかあります。テキスト・メッセージではスラッシュが新情報標識です。

 

8 いつだって新しい表現を気にする人はいる

このように新しい表現はどんどん出現していますが それでも何かおかしいと 思いがちです。構造には何か欠陥があるし 『ウォール・ストリート・ジャーナル』の 言葉づかいほど洗練されていません。でもよく考えるとテキスト・メッセージはまだ存在せず 『アイ・ラブ・ルーシー』が放映中の1956年にも こんな風に言う人がいたのです。 「アルファベットや九九を知らず文法通りに書けない人が大勢いる」

それ以前も同じようなことは言われていました。コネチカット州のある教師は1917年に こう言っています。1917年といえば書くことについては あらゆる面で完璧だったと誰もが信じている時代です。ドラマ『ダウントン・アビー』では皆きちんと話していますしね。 「国中の大学で『新入生は綴りも句読法も 身についていない』という悲鳴があがっている」

時代をもっと遡ることだってできます。ハーバードの学長の1871年の言葉です。電気はなく 名前をフルネームで呼んだ時代です。 「文章を書けば ひどい綴りで誤りがあり表現も稚拙である」 やり玉にあがっているのは文章を除けば 大学の勉強にちゃんとついていける人達です。

さらに遡ると 1841年に氏名不詳のある教育長が怒っています。以前から憂慮している ― 作文の技術をおろそかにする態度のせいです。 さらに時代をずっと遡ると紀元63年 ― (笑) ある男性がラテン語の乱れについて こぼしています。でも彼が指摘したラテン語は後にフランス語になるのです (笑)(拍手) いつだって気にする人はいます。それでも地球は回り続けるのに…

 

9 テキスト・メッセージは言語のレパートリーを増やしている

だからテキスト・メッセージについて最近は こう考えています。今 私達が目にしているのは若者が開発中の まったく新しい書き言葉です。彼らは これを普通の書き言葉と併用しているので 言葉を2つ操れるのです。バイリンガルは認知能力によい影響があるという ― 証拠がそろいつつあります。同じことが方言の使い分けにも言えます。また書き言葉にもあてはまるはずです。テキスト・メッセージとは 現代の若者が無意識に 2つの言葉のバランスをとっている証拠であり 言語のレパートリーを増やすことなのです。とても単純です。1973年の世界から来た人が 1993年の学生寮の掲示板を見たとします。『ある愛の詩』の時代とはスラングが多少違っても 掲示の内容は理解できるでしょう。でも1993年はそれほど昔ではないのに 『ビルとテッドの大冒険』みたいに人々を連れ出して 現代の20才の人が書いた ― 平凡なテキスト・メッセージを読ませたとしても きっと内容は半分も理解できないでしょう。現代の若者が小さなデバイスで話をする ― この何気ない瞬間にも まったく新しい言語が出現しつつあるからです。

もし私が未来に行けるなら ― たとえば2033年に行けるなら 真っ先にたずねたいのはデヴィッド・サイモンが 『ザ・ワイヤー』の続編を作ったかどうか これは本当に聞いてみたいです。それから『ダウントン・アビー』が どうなったかも知りたいです。その次に16才の女の子が書いた 文章を見せてもらいたいです。この言語が今後どう進化するのか 知りたいのです。できれば その文章を私達の時代に送って 今 起こりつつある言語の奇跡を研究したいのです。どうもありがとうございます(拍手) ありがとう (拍手)

 

最後に

テキスト・メッセージは書き言葉ではない。言語本来の姿は話し言葉。話し言葉と書き言葉がある程度混ざるのは当然。テキスト・メッセージの構造はとてもいい加減。語用論的不変化詞になりつつある”lol”。話題転換で使われる”/”。いつだって新しい表現を気にする人はいる。テキスト・メッセージは言語のレパートリーを増やしている。今起こりつつある言語の奇跡を研究しよう

和訳してくださった Kazunori Akashi 氏、レビューしてくださった Akira Kan 氏に感謝する(2013年2月)。

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